藤原真夏
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藤原 真夏(ふじわら の まなつ、宝亀5年(774年) - 天長7年11月10日(830年12月2日))は、奈良時代から平安時代初期の貴族。北家内麻呂の長男として生まれる。平城天皇の側近で、同天皇が大同元年(806年)に即位すると、同年従五位下から一挙に従四位下まで昇進、大同4年(809年)には、山陰道観察使として公卿に加わる。しかし、嵯峨天皇の代になると大同5年(810年)の薬子の変に連座し参議を解官の上、備中権守に左遷。後に復帰し、左大臣に昇った同母弟冬嗣より長命を保ったが、最終官位は従三位刑部卿に止まった。
後に、藤原北家の嫡流となったのは冬嗣の子孫。但し、真夏の子孫からは、日野家が発祥し、他に、広橋家、柳原家、烏丸家、竹屋家、日野西家、勘解由小路家(かでのこうじけ)、裏松家、外山家、豊岡家、三室戸家、北小路家の計12家が成立し、真夏流と呼ばれる。
官位・官職[編集]
- 延暦22年(803年)従五位下、中衛権少将
- 延暦24年(805年)春宮権亮
- 大同元年(806年)従四位下、阿波守、内蔵頭
- 大同2年(807年)右近衛中将、兼武蔵守、兼中務大輔、美作守
- 大同4年(809年)山陰道観察使
- 大同5年(810年)平城宮使、正四位下、参議(観察使廃止による)、兼伊予守、兼按察使、9月10日職を解任・備中権守に左遷
- 弘仁13年(822年)従三位
- 天長5年(828年)刑部卿