荻原備中守
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荻原 備中守(おぎわら びっちゅうのかみ、? - 享禄元年8月30日(1528年9月13日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。
生涯[編集]
父は信虎が幼少時に弓矢指南を務めた常陸介昌勝ではないかとされる(『甲陽軍鑑』)。
諱は不詳[1]。武田信虎に仕えた。大永4年(1524年)に信虎が北条氏綱に和睦を提案した際、自ら氏綱の下に出向いて交渉を取り纏めた[1]。
享禄元年(1528年)8月、信虎の信濃諏訪家の侵攻に従軍するが、8月30日に行なわれた諏訪頼満との神戸・境川合戦で武田軍は大敗し、荻原備中守ら200人は戦死した(『勝山記』『諏訪神使御領之日記』)。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6