愛媛マンダリンパイレーツ
テンプレート:野球チーム 愛媛マンダリンパイレーツ(えひめ - 、Ehime Mandarin Pirates)は、プロ野球独立リーグ・四国・九州アイランドリーグに所属する愛媛県の野球チーム。2005年加盟。略称「愛媛MP」。
目次
概要[編集]
チーム名は当県で生産されるミカンの品種の一つ「マンダリン」と、村上水軍にちなんだ「海賊(=パイレーツ)」に由来[1] 。チームカラーは橙色。
本拠地は松山中央公園野球場(松山坊っちゃんスタジアム)を使用する。2007年のシーズンからは経費削減のため、サブグラウンドであるマドンナスタジアムでも公式戦を開催している(2008年は開催なし)。それ以外に、四国中央市・新居浜市・西条市・西予市・今治市・大洲市・宇和島市・愛南町の球場でも試合が開催されており、2009年は新たに伊予市と上島町(生名島)で開催された。
監督は初年度(2005年)は西田真二が務めたが、同年末の西田退任により、コーチだった沖泰司が2代目監督に就任し、現在に至る。
成績[編集]
シーズン[編集]
年度 | 期 | 監督 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | 打率 | 防御率 | 本塁打 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 全 | 西田真二 | 4 | 89 | 32 | 44 | 13 | .421 | 13.5 | .236 | 2.77 | 19 |
2006 | 前 | 沖泰司 | 3 | 45 | 20 | 20 | 5 | .500 | 7.0 | .230 | 2.95 | 17 |
後 | 沖泰司 | 3 | 45 | 16 | 24 | 5 | .400 | 13.0 | ||||
2007 | 前 | 沖泰司 | 2 | 45 | 22 | 19 | 4 | .537 | 7.0 | .255 | 2.47 | 22 |
後 | 沖泰司 | 2 | 45 | 26 | 17 | 2 | .605 | 3.0 | ||||
2008 | 前 | 沖泰司 | 4 | 40 | 18 | 17 | 5 | .514 | 7.5 | .251 | 2.43 | 29 |
後 | 沖泰司 | 1 | 40 | 22 | 13 | 5 | .629 | 1.0(注) | ||||
2009 | 前 | 沖泰司 | 3 | 40 | 16 | 14 | 10 | .533 | 4.0 | .253 | 3.54 | 38 |
後 | 沖泰司 | 5 | 40 | 15 | 21 | 4 | .417 | 8.0 |
※金地は優勝
- (注)2位とのゲーム差
リーグチャンピオンシップ[編集]
- 2007年 - 0勝2敗(対戦は香川)※香川は前後期制覇のため、1勝のアドバンテージがあり2勝で優勝。
- 2008年 - 0勝3敗(対戦は香川)
歴史[編集]
2005年(1年目)[編集]
- エースの西山道隆、好打者の林真輝、中谷翼のドラフト候補を擁し、前評判は高かったが、首位争いに加わることなくチームは最下位に終わった。優勝した高知ファイティングドッグスとの対戦成績は6勝19敗5分と大きく負け越し、高知の独走を許す要因になった。
- 2次ドラフト(育成選手用=いわゆる練習生ドラフト)で西山が福岡ソフトバンクホークス、中谷も広島東洋カープに指名され、練習生ながらも四国アイランドリーグメンバーとして実質初めてのプロ入りの切符を手にした(その後西山・中谷ともに支配下登録)。
- この年の観客動員は7万1503名(1試合平均1625名)でリーグ最多を記録した(1試合平均の数値は2008年現在もリーグ記録である)。シーズン終了後、西田監督は「リーグの方向性についての考え方の違い」を理由に契約を更新されず、沖泰司が後任となる。
2006年(2年目)[編集]
- 前年の反省を踏まえ、苦手としている高知に善戦した(高知との対戦成績は12勝15敗3分)。前期は、沖新監督が掲げる守り勝つ野球がチーム内に浸透し、ミスで自滅する試合が少なくなった。また、4月に投手の浦川大輔や近平省悟の活躍で一時首位に立った。しかし、その後は高知と香川の首位争いに割って入ることができず前期は3位に終わった。後期は前年首位打者の林が調子を上げ、投手陣も踏ん張ったが、攻守とも好不調の波が激しく、チームに勢いをつけることができず、後期も3位に終わった。個人タイトルは林が56打点で打点王を獲得、浦川は最多奪三振を獲得した。チーム成績は振るわなかったが、荒木康一や梶原有司など将来性のある選手が順調に伸び、次年度に期待を抱かせた。またシーズン直前にアドバイザリースタッフとして発足時から携わってきた藤田元司が死去し、そのまま同ポストは空席となる。
- 前年に続いて観客動員数はリーグ最多を記録した。ただし、他のチーム同様、動員数は前年より減少した。
2007年(3年目)[編集]
- 開幕直後はふるわず、4月下旬から5月にかけては最下位に転落したが、投手の梶本達哉や野手の比嘉将太・檜垣浩太ら新加入の選手の活躍もあって5月から6月にかけて8連勝を記録した。序盤での不振や香川に2勝10敗3分と大きく負け越したことが響き、香川の独走を止めるには至らなかったものの、初のAクラスとなる2位で前期を終了した。後期は近平が故障で離脱した中、先発に回った小山内大和が7勝を挙げる活躍を見せた。香川との間で激しい首位争いを展開し、シーズン終盤まで僅差で食い下がったが、香川の地力の前にあと一歩及ばず、前期に続いて2位となった。しかし、年間通算で2位を確保し、前後期優勝した香川と年間チャンピオンシップを争うことになった。個人タイトルでは、比嘉が打率.334で首位打者、近平が防御率1.00で最優秀防御率、梶本が15勝で最多勝を獲得した。
- 初出場の年間チャンピオンシップは、ホームの第1戦に敗れたことが響き、1勝も挙げられずに香川の連覇を許した。シーズン中からの香川に対する苦戦(前後期通算で8勝18敗4分)が最後まで続いた格好になった。
- 9月29日の対徳島戦ではリーグ記録となる8232人の入場者を集めるなど観客動員は前年よりも増加したが、リーグトップの座は総合優勝した香川に譲った。
- 2007年11月19日のドラフト会議では、梶本達哉が育成選手枠でオリックス・バファローズから指名を受け、チームとして2年ぶりのNPB入り選手となった。
2008年(4年目)[編集]
- リーグの拡張に合わせ、他の四国3チームとともにユニホームのデザインが変更された。
- 2008年1月、リーグの創設者で前コミッショナーの石毛宏典がシニア・チームアドバイザーに就任することが発表された。
- 2008年3月、リーグ初の6球団トーナメント(阿南市長杯)に2回戦から参加し、香川に勝って決勝に進出したが、高知との決勝戦は雨天中止となり、高知と両チーム優勝となった。愛媛としては発足以来初のタイトルである。
- 2008年の前期は梶本・浦川・小山内といった前年の主力が抜けた投手陣が懸念されていたが、ケガから復帰した近平や中継ぎの宇都宮勝平、抑えの西川雅人が好成績をあげ、チーム防御率はリーグトップであった。一方打撃陣は比嘉や桧垣が伸び悩み、決定力を欠く場面が見られた。前期は大部分で2位をキープしていたが、高知・福岡に終盤相次いで敗れ、3期ぶりのBクラスとなる4位に終わった。後期も序盤は負けが先行したが、8月に6連勝、9月も引き分けを挟んで8連勝を記録し、一時は0.5ゲーム差に4チームがひしめいた混戦を抜け出して、チーム創設から4年目にして初となる後期優勝を達成した。なお、半期優勝チームとしてはリーグで初めて年間の個人タイトルホルダーがいなかった。
- 2年連続で香川との対戦となった年間チャンピオンシップは、勝負所の第2戦に逆転サヨナラ機を逃してホームで連敗したことが響き、前年に続いて涙をのんだ。チャンピオンシップでは前年から通算して香川に5連敗となっている。
- 2008年10月30日のドラフト会議では、西川雅人がオリックスバファローズから5位で指名を受けた。支配下登録枠でのドラフト指名はチームでは初めてである。
- ホーム開幕戦となった4月12日の対福岡戦で、リーグ史上初めて1万人を突破する10288人の新記録を樹立した。観客動員トップの座を香川から奪い返したが、動員数自体は前年より減少している。
2009年(5年目)[編集]
- 2009年4月27日、チーム初の外国人選手として今シーズンより加入した韓国人選手 文相勲被告(27)が強姦致傷と住居侵入の容疑で逮捕され(その後、地裁判決で懲役4年6ヶ月)[2]、球団は該当選手を27日付けで解雇。アイランドリーグで不祥事により逮捕された選手は初となる。5月1日~3日に行われたホームゲームでは、試合前に球団社長と監督が不祥事を謝罪した。また、監督以下コーチ・選手の多くが頭髪を丸刈りとした。球団は監督を減俸20%(3か月)、5月3日から10試合の出場自粛などとする処分を発表。5月7日に開催されたリーグの再発防止策検討会議では、リーグからの厳重注意の通告と不祥事顛末書の提出、監督の4月29日からの13試合公式戦出場停止(球団による処分と重複)の処分が発表された。
- 前期は上記の不祥事による監督の出場自粛期間も大きな成績の崩れはなかったが、香川に2勝6敗と大きく負け越したことが響いて3位に終わる。後期は8月に2引き分けを挟む6連敗を喫して順位を下げ、一時は徳島と最下位を争う状況であったが、最終的には5位となった。前年に続いて個人タイトルホルダーはなしという結果であった。
経営[編集]
球団は2007年よりリーグの経営補填金を実質的に受けない独立採算になっているが、法人化以来3シーズンの累積赤字が1億8千万円にのぼり、その全額をスポンサーである星企画が補填していることが2008年のシーズン終了後に明らかにされた。これを受けて2009年1月に県や市および地元経済界の関係者による「経営改革協議会」が発足し、改善策を検討している。2009年2月25日の中間報告では、後援会員を増やしたりすることで財政基盤を強化する方向が示された[3]。また、現在は民間の賃貸住宅に分散して居住している選手を、既存のスポーツ施設を寮に転用する形で集めることも検討されている[4]。
2009年9月7日に愛媛県が発表した補正予算案に、運営会社に対する3000万円の出資が盛り込まれ、松山市ほか県下の20市町と民間企業も出資する見通しであることが報じられた[5]。
2009年10月30日のリーグ首脳の記者会見によると、2009年度は売上高8800万円に対して収支は4900万円の赤字となる見込みである[6]。売上高はリーグで香川に次ぐ2番目であるが、赤字額はリーグ6球団では最も大きい。
マスコット[編集]
マスコットキャラクターは、ミカンの顔に水軍をイメージした甲冑姿をしており、名前は「マッピー」。ホームゲームでは着ぐるみも登場する。球団では着ぐるみが依頼に応じて幼稚園や保育園に出向くサービスを行っているほか、「マッピー体操」というオリジナルの体操があり、球団ホームページで振り付けが紹介されている。
スタッフ・選手[編集]
選手・スタッフについては愛媛マンダリンパイレーツの選手一覧を参照。
スタッフ[編集]
応援スタイル[編集]
応援歌に、愛媛県出身のアーティスト(ジャパハリネットなど)が集結して作られた「VICTORY」がある。
私設応援団は「愛勇会」である。
基本的に「走れコウタロー」、「コンバットマーチ」、「狙いうち」など、高校野球の応援でも耳にする既存曲を選手の応援歌に使用している。
その他[編集]
- 2006年6月3日に、地域密着の一環で選手たちが小学生の通学路を見守る「見まもり隊」が発足した。選手、コーチ28人がそれぞれ分担して一週間に一回、ユニフォームに腕章を付け松山市内の小学校の下校時間に通学路で警戒に当たる。
脚注[編集]
- ↑ 地元紙ではチームを指して見出しに「水軍」という呼称が用いられることがある[1]。
- ↑ 独立リーグ・愛媛の韓国人内野手を強姦致傷容疑で逮捕朝日新聞 2009年4月27日付。
- ↑ 「MP後援会員大幅増を 経営改革協中間報告 黒字化へ目標1万人」愛媛新聞2009年2月25日付
- ↑ 愛媛MPの選手寮新設計画「久谷地区」が最有力 松山市産経新聞愛媛版 2009年3月6日付。
- ↑ 「愛媛MPが県民球団へ 市町なども出資」愛媛新聞2009年9月8日付
- ↑ 「福岡 参戦見送り」四国新聞2009年10月31日付