山小屋OL殺人事件

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山小屋OL殺人事件とは、1983年9月3日に、山梨県北巨摩郡須玉町増富の奥秩父連峰瑞牆山に1人で登山をしていたOL今井忍さん(22)を、山小屋の管理人・大柴勉(50)が強姦しようと殺害した事件である。

事件概要[編集]

1983年9月19日午後、山梨の北巨摩郡須玉町増富の奥秩父連峰瑞牆(みずがき)山(高さ2230メートル)の中腹の、富士見平小屋近くの北東300メートルの登山道の下100メートルの雑木林から、女性の腐乱死体が見つかった。

遺体は、9月3日に1人で登山に行き、行方不明となっていた武蔵村山市のOL今井忍さん(22)と判明、今井さんは殺害されており、9月23日には富士見平小屋の管理人・大柴勉(50)が逮捕された。

9月3日午後9時20分、山小屋に泊まっていた今井さんが、就寝前にトイレへと外へ出たところ、大柴はレイプしようと今井さんを100メートル西の山林へと引きずりこみ、下り斜面を悲鳴を上げながら逃げる今井さんのシャツを掴んで、手で口を塞いで窒息死させた。

9月4日午前5時30分、大柴は死体を遭難死に見せかけるべく発見場所へと運んだ。大柴は山梨県山岳連盟の中でもベテランだったが、1982年9月にも女性1人が泊まった際にわいせつ行為に及び、女性は別の山小屋に逃げ込むという騒ぎがあった。今井さん失踪の夜は別の客も数人宿泊しており、大柴の供述と他の客の証言の食い違いから、大柴が犯人として浮上した。

経緯[編集]

1983年9月4日に今井さんの家族が、娘が前日の3日早朝、水牆(みずがき)山に1人で登山に行ったが、帰宅予定の4日夜になっても戻ってこないと警察に捜索願いを届け出た。

連絡を受けた山梨県警韮崎署員が捜索した結果、同月19日になって水牆山の中腹付近にある富士見平小屋から200メートル離れた登山道下の山林で今井さんの遺体を発見した。

韮崎署は他殺と事故の両面から捜査を開始した。早速、現場近くの富士見平小屋の管理人だった大柴に事情聴取した。大柴は、今井さんは3日午後4時頃に山小屋にきたが、5時頃呼びにきた若い男と一緒に出て行ったままであると答えた。

捜査員は、大柴の落ちつかない態度に不審を抱き、更に厳しく追及した。その結果、当日に限って宿泊名簿をつけていないことが判明。また山小屋近くでキャンプしていた登山者が、助けを求める女性の悲鳴を聞いていたことや、以前山小屋を利用した女性から管理人に犯されそうになったという情報を得た。

同月23日早朝、警察は大柴が今井さんを殺害したとみて任意同行で取り調べを始めた。大柴は当初、若い男の存在を主張し続けていたが、夕方になって今井さんの殺害を認めた。

大柴の自供によると、3日午後9時20分頃、戸外のトイレに行く今井さんを乱暴しようと山林に連れ込んだが激しく抵抗されたためシャツの襟首を強く引いたところ坂道だったため首を吊った状態になり窒息死した。翌日未明に今井さんの遺体を担いで現場から100メートル離れた窪地に遺棄した。リュックや衣類は焼却したということだった。

4年前の女性行方不明の疑惑[編集]

大柴は両親と妻、娘の5人暮し。昭和52年、麓の増富ラジウム温泉観光協会経営の同小屋の管理人となった。宿泊客がいない時は須玉町の自宅に帰るような生活だった。性格は無口でおとなしいが、以前から同小屋で女性に悪戯したとの噂があった。地元では女性登山者に対して富士見平小屋には泊まらないように注意する人もいた。

警察は、今回の事件から4年前の昭和54年7月7日に、奥秩父の甲武信(こぶし)岳から燕山を目指して登山していたA子さん、B子さん2人が行方不明となり、同年8月4日と5日に甲武信岳手前の水晶山山頂付近で白骨化した2人の遺体が発見された不審死事件に関しても大柴が深く関係していると見て取り調べを行った。

2人の白骨化した遺体には後頭部と上腕部の骨折が認められた。衣類には鋭利な刃物で切られた傷跡があり、2人の所持金と腕時計は見当たらなかった。埼玉県警は転落死と他殺の両面で捜査したが結局未解決のままだった。

韮崎署は、2人の登山ルートが今回の事件と同じ登山ルートであるため大柴の犯行と見て追求したが、大柴は犯行を否認。結局確証もなく立件はできなかった。

甲府地裁、山小屋殺人で初公判――大柴、罪状認める(1983年11月)[編集]

山小屋殺人で初公判 ことし9月、奥秩父山系の瑞牆山(みずがきやま)で、山小屋に宿泊した女性登山者を襲って殺し、婦女暴行致死と死体遺棄の罪に問われている山梨県北巨摩郡須玉町小尾5530、元山小屋管理人大柴勉被告(50)に対する初公判が17日午前、甲府地裁(上田耕生裁判長)で開かれた。

起訴状朗読の後、罪状認否で大柴被告は「本当です」と答えた。弁護側は死因については意見を留保し、その他の起訴事実は認めた。大柴被告は罪状認否でもうなだれながら、小さな声で答え、上田裁判長から「もう一度はっきり」と促されていた。

起訴状によると、大柴被告は昭和52年6月から瑞牆山の富士見平小屋の管理人をしていたが、9月3日夜、同小屋に泊まった東京都武蔵村山市大南3-58-14、会社員今井忍さん(22)が小屋の外に出たところを襲い乱暴しようとした。

しかし今井さんが抵抗したため、襟首をつかんで今井さんの体を宙づり状態にして窒息死させた。大柴被告は翌4日朝、犯行を隠そうと今井さんの遺体を小屋から百数十メートル離れた山林内に運んで捨てた。

甲府地裁判決、奥秩父登山OL殺しに懲役12年(1984年6月)[編集]

1983年9月、山梨県の奥秩父山系瑞牆山(みずがきやま)で山小屋に宿泊した女性登山客の東京都武蔵村山市大南3-54-14、会社員今井忍さん=当時(22)=を死亡させたとして、婦女暴行致死と死体遺棄の罪に問われた山梨県北巨摩郡須玉町小尾5530、元富士見平小屋管理人、大柴勉被告(51)に対する判決公判が5日午前、甲府地裁で開かれた。上田耕生裁判長は大柴被告に懲役12年(求刑同15年)を言い渡した。

判決で同裁判長は「山小屋の管理人としての立場を忘れた悪質な犯行だ。暗い山中で信じていた管理人に乱暴され、死後二週間も放置され変わり果てた姿で発見された被害者の恐怖、無念は察しても余りある。大柴被告に改しゅんの情はみられず、事件が山岳関係者や社会に与えた衝撃も大きい」と述べた。

また、大柴被告が公判途中から「三人組の犯行だ」として犯行を否認した点について、同裁判長は「否認後の証言は客観的な証拠と食い違う。罪を犯していないとすれば被害者の靴などの遺留品を処分した合理的理由もなくなり、到底信用できない」と述べ、検察側の主張を全面的に認めた。

一方、弁護側は同日控訴する方針を明らかにした。

懲役13年で確定[編集]

1984年10月、大柴勉は今井忍さん殺害で婦女暴行致死、遺体遺棄などの罪で懲役13年の判決を受けた。1997年には出所している。