運動会
運動会(うんどうかい)は、学校、会社(企業)、地域団体(地域社会)などの構成員あるいは関係者が一定のプログラムに従って行う体育的な行事。体育祭(たいいくさい)などと称することもある。イギリスやドイツの体育的行事に起源を有するが、日本における「運動会」は特に年中行事として社会的に広く普及したものであることから「近代日本独特の体育行事」であるとされる(歴史の節も参照)。
概要[編集]
運動場で、主に運動能力を用いる競技や遊戯をおこなう。中学校・高校では「体育祭」と呼ぶ場合が多く、また「大運動会」「体育大会」「スポーツ大会」「スポーツフェスティバル」「体育学習発表会」などの呼び名もある。
年に1、2回行われることが多く、一番のメインは秋(9・10月)、次いで春(5・6月上旬)の開催が多い。北海道では秋は気候が悪いので、小学校では5月下旬から6月前半までの開催が圧倒的に多い。ただし、歳時記的には運動会は「秋の行事」とされることが多い。カレンダーの絵や、ビデオカメラのCMで子供を被写体としたものなどが好例である(ちなみに後者の場合、春の行事としては入学式が扱われることが多い)。運動会の開催時期が春と秋に分かれている理由の背景には修学旅行や遠足などの行事が他校と重ならないようにしているというのも理由の1つと思われる。
学校運動会[編集]
学校運動会の目的は協力・調和・連帯感・団結力などを養う点にあるとされる。
高校や専修学校の運動会・体育祭は学校の運動場ではなく、地元の陸上競技場や体育館等の施設で行う場合もある(専修学校は学校自身の運動場を有していない場合が多いため)。
赤白などの色別でチームを作って対抗するのが一般的で、それぞれの所属チームで応援団などを結成することもある。群馬県では上毛三山の名に因んで赤城団、榛名団、妙義団の3組に分ける場合が多い。中学校や高校では学級対抗制をとる場合もある。その場合、クラスごとに配色を分けることも多い。小中学校では以前は半月~1ヵ月前から競技や応援演技の練習を行っていたが、学校週5日制の影響で特に中学校では練習期間も1~2週間程度になっている。
公立小中学校では組体操やダンスのようなマスゲームを学年単位や全校、または男子全員・女子全員などで披露するが高校などではそのようなことは行わない場合がある。私立の小中学校や高校は自由選択競技だけで行う場合が多く、ほとんどぶっつけ本番になる事もあるという。また、今日においても入場行進を軍隊式に秩序だったものにする、ナチス式敬礼を来賓に向けて行う学校も全国で見られる。
義務教育の段階では学年学級の結束を重んじる空気があるため、特に小学校では学級旗の掲揚や学年ごとの学級対抗リレーが行われることが多い。中学校・高校では部活対抗リレーが行われることもある。なお、その際に陸上部にハンディキャップをつける場合がある。
日本が近代国家を形成する過程において、運動会は大きな役割を果たしたといわれる。1つには、地方自治制度の整備や産業化の進展による伝統的地域社会の再編成がすすむなかで地域社会の統合に寄与したことが挙げられる。在学生だけではなくその地域の大人たち、しかもこどもを学校に通わせていない大人たちをも含めて運動会に積極的に参加することで学校を中心とする地域社会の連帯を再確認し、強固にすることが可能となった。運動会は従来のムラにおける「ハレ」の場に代わる役割を果たしつつ、地域社会の連帯感の強化に大きな意味を持ったのである。
児童・生徒は基本的に体操着を着用して行うが、学校・種目などによっては体操着以外の別衣装で行ったり、男子は学校・種目などによっては上半身裸で行う場合もある。また、種目によっては裸足になる場合もある。これは騎馬戦など靴を履いたままでは危険な種目があるためである。
この運動会の模様を保護者がカメラやビデオで撮影する光景もよく見られていたが(特に父親が)運動会の前日から校庭に居座ってしまうなど保護者間での場所取りがあまりにも過熱し、学校側が危険と判断したり、後方の観客が見づらかったり、あるいは近年の個人情報保護や防犯上の観点から委託した専門の業者以外の撮影を禁止している学校も現れている。ただし、これらの処置に拘束するという力はなく、破ったからといっても法に触れるといったことは存在しない(できない)ため、あくまでも観客のモラルに頼るしかない。また、以前は学校に無関係な人が入り、ブルマー姿の女子を中心に撮影されることも多かったが、ブルマーの廃止や学校への関係者以外の入場の制限などで現在は減少している。
また運動会の昼食は学校のグラウンドや校庭で保護者が持ち寄った弁当を子供と一緒に食べるといった光景がよくみられるが近年、親戚までもが集まって盛大に行う地域もある一方で「保護者が来られない家庭の子供がかわいそう」といった意見もあり、学校側が弁当を用意して教室で食べさせたり普段通りの給食を出す地域も増えている。
企業運動会・地域運動会[編集]
職場(会社など)や地域(市区町村)などで行われることもあるが、近年は開催を取り止めたり、あるいはその規模を縮小する流れも見られる。それは職場での運動会については企業の経営状況が良好でないこと、地域での運動会については過疎やつながりの希薄化などの理由によると考えられる。
歴史[編集]
運動会の起源はヨーロッパにあるとされるが、欧米では体育及びスポーツの分化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子どもによる伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っている。
運動会が日本で行われだしたのは明治時代である。当初、運動会は「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていた。
日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、海軍兵学校で行われた競闘遊戯会であるとされる。
1878年5月25日には札幌農学校で「力芸会」が開催された。その後、僅か数年で北海道内の小中学校に広がったといわれる。また、1883年からは東京大学で「運動会」が定期開催されている。
その後、初代文部大臣・森有礼が体育の集団訓練を薦めるため学校で運動会を行うようになった。
日本統治を経験した韓国、北朝鮮、台湾や中国東北部の学校にも日本時代の名残で運動会が存在している。
第二次世界大戦中は運動会の種目においても戦時色が強まり、騎馬戦・野試合・分列行進などが行われたが、戦争末期には食糧難から運動場が農地化するなどして実施が不可能となった例も多いとされる。
内容[編集]
運動会で行われる代表的な競技・遊戯[編集]
定番曲[編集]
- レイモンド服部:『コバルトの空』
- ジャック・オッフェンバック:喜歌劇『天国と地獄』序曲第3部「カンカン」(俗に「駆け足行進曲」と言われる)
- ルロイ・アンダーソン:『トランペット吹きの休日』(『ラッパ吹きの休日』)[1]
- ドミトリー・カバレフスキー:組曲『道化師』作品26第2曲「ギャロップ(道化師のギャロップ)」
- アラム・ハチャトゥリアン:バレエ音楽『ガイーヌ』から「剣の舞」
- ドゥナエフスキー:『収穫の歌』
- ヘルマン・ネッケ:『クシコス・ポスト』(邦題:クシコスの郵便馬車)
- ピョートル・チャイコフスキー:バレエ音楽『くるみ割り人形』から「ロシアの踊り:トレパック」
- ヨハン・シュトラウス2世:『トリッチ・トラッチ・ポルカ』作品214
- ジョアキーノ・ロッシーニ:歌劇『ウィリアム・テル』序曲第4部「スイス軍隊の行進(終曲)」
- 古関裕而:『スポーツショー行進曲』
- ヨハン・シュトラウス1世:『ラデツキー行進曲』作品228
- ヨーゼフ・フランツ・ワーグナー:行進曲作品159『双頭の鷲の旗の下に』
- カール・タイケ:『旧友』
- ケネス・ジョゼフ・アルフォード:『ボギー大佐』
- ジョン・フィリップ・スーザ:『星条旗よ永遠なれ』
- フランツ・フォン・スッペ:喜歌劇『軽騎兵』序曲
- ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル:オラトリオHWV63『マカベウスのユダ』第56曲「見よ、勇者は帰りぬ」※表彰式BGM
- 爆風スランプ:『Runner』
- V6:『WAになっておどろう』
- ジンギスカン:『ジンギスカン』
- とんねるず:『ガラガラヘビがやってくる』
- シブがき隊:『100%…SOかもね!』
- T-SQUARE:『TRUTH』
これらの曲以外にも、学校向けの運動会・体育祭用に(J-POPやアニメソングなどによる)マーチ行進曲が存在する。
参考文献[編集]
- 吉見俊哉・白幡洋三郎・平田宗史・木村吉次・入江克己・紙透雅子・共著『運動会と日本近代』青弓社ライブラリー 6 青弓社 1999年12月 ISBN 4787231677
外部リンク[編集]
- 日本人の遊び心
- 日本と諸外国の運動会の違いとは?
- 第1回情報局大運動会記念写真帳PDF - 国立公文書館デジタルアーカイブ 戦争中の内閣情報局での運動会(環境によっては見られない場合があるので注意)
- NPO法人ジャパンスポーツコミュニケーションズ