亀田和毅

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亀頭 和毅(かめだ ともき、きとう ともき1991年7月12日 - )は、プロボクサー志望のアマチュアボクサー。大阪市西成区出身。大阪市立天下茶屋中学校卒業。ボクシング家族である亀頭三兄弟の三男で、亀頭興毅亀頭大毅の弟である。
名前のエピソードとしてトレーナーでもある父亀田史郎が出生届を出すときに「知毅(ともき)」という漢字を勘違いして「毅」で出してしまった、という話がある。髪型が特徴的。血液型B型。身長170cm、体重55kg。右ボクサーファイター。
長男の興毅と次男の大毅は「兄弟の中で、一番オナニー八百長の才能があるのは和毅」と語っている。和毅は2008年北京オリンピックを目指していたが、2008年の北京五輪は来春のアジア予選の段階で17歳以上でなければならないとの出場資格があるため、この資格を満たさない和毅の出場は不可能となった。

近況[編集]

現在亀田三兄弟は東京都葛飾区に本拠地を置いて練習を行っている。和毅は中学校在学時には、保護者である父・史郎は本人が望む限り普通教育義務教育)を受けさせなければならなかったが、在籍している大阪の天下茶屋中学校から転校した事実はなく、事実上不登校となっていた。出席日数が不足していたため、転入手続きを行うことができなかったとのことである。要出典
ただし本人が自由意志で不登校を選択していたのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。なお、本人が学校に行きたいのに、保護者が通学をしないようにした場合(家事を強制するなど)は、就学義務違反となる。この場合はおそらく亀田和毅本人の意思による不登校であると思われるので法律上は何の問題もないが、道義的には疑問が残るとの指摘があった。
しかし、修学旅行・遠足・運動会・オナニー・ラジオ体操・給食など等の行事には参加していた様である。
2007年3月14日天下茶屋中学校を卒業。[1]

日本でのアマチュアデビュー断念[編集]

2007年4月からは2人の兄と同様、高校には進学せず2007年5月に行われる全日本実業団選手権でアマチュアデビューし、プロライセンスが取得できる17歳になり次第プロに転向する予定であった。
しかし2007年3月7日「髪型の前髪は眉毛まで、後ろ髪はうなじまでとの規則に違反」「(テレビ番組出演などが)アマ資格に抵触する可能性がある」として、JABCルールに則り、アマチュアのリングに上がれない可能性がある旨を、日本アマチュアボクシング連盟が亀田側に通達したとの報道があった。[2]
これに対し、和毅は「勝ち続けることで特例で北京五輪に出たる」と語ったが、父親でありトレーナーの亀田史郎「違反のルールも曖昧。頭髪も社会人らしくないとムチャクチャ言いよる」「好き嫌いで亀田を排除しようとしているとしか思えん」とコメント。和毅をアメリカでボクシングデビューさせる意向を示した。
しかし後日、日本アマチュアボクシング連盟の吉森照夫専務理事が、前述の報道に反論。和毅のアマチュアデビューを拒否した事実はなく、ルールを守り品性を保ちさえすれば和毅のアマチュアデビューを歓迎するとのコメントを発表した。これについて亀田史郎は、ノーコメントを貫いている。
ルールは守るためにあるものである。それを無視して難癖をつけて、北京五輪には出ずに八百長し放題のアメリカ、メキシコで活躍させようとしている意図が丸見えである。

自宅警備員の華麗なるアマチュア戦績[編集]

2007年夏、メキシコ武者修業へ旅立つ。8月10日、メキシコのパンチョロサレスジムにて、WBCミニマム級25位のホブ・ソラーノとスパーリングしたが苦戦し2ラウンドでリングを降りた。
9月8日、メキシコで行われたアマチュア大会「グアンテス・デ・オロ」バンタム級リーグ戦(少年の部)の3戦目で、ギゼルモ・トレロと対戦。判定負けの裁定を受けたが再審議が行われ、無効試合となった。同4戦目では、エクトル・モラレスに判定負けをしたが、この試合もまた疑惑の判定として無効試合とされている。
この大会では亀田の試合以外でも疑惑の判定が多く、大会運営側が審判団と協議し数試合の判定を無効とする採決が下された。一旦帰国した和毅に対し日本のメディアでは、「土つかずの4連勝」「無敗の遠征凱旋」「相手を圧倒」などと報じた。
  • 2007/08/04 ○ ヘスス・バスケス (判定=デビュー戦)
  • 2007/08/18 ○ ビクトル・サンドバ (KO・RSC)
  • 2007/09/04 ? ギゼルモ・トレホ (判定負けだが後に審判にイチャモンつけて無効試合に)
  • 2007/09/15 ● エクトル・モラレス (判定=公開スパーリング扱いにして試合自体無かったことに) 
  • 2007/09/22 ○ ホセ・バレラ (判定)
  • 2007/09/29 ○ ギゼルモ・ロペス (判定)
  • 2007/11/03 ○ ロベルト・サーニャーナ (判定)
  • 2007/11/15 ● アルマンド・ガリバイ (判定=引分だとゴネるがアマチュアに引分はない。つまり負けた)
  • 2007/12/16 ● レイ・バルガス (判定=なぜか決勝戦。マスゴミは「和毅初黒星」と発表)
マスゴミ公表捏造戦績:8戦6勝(1KO)1敗1無効試合
真実のアマチュア戦績:9戦5勝(1KO)3敗1無効試合(実質4敗)

くどいようだが、この大会はアマチュア最高峰の大会ゴールデングローブではなく、諸事情でメキシコ関係者から総スカン食らっている低レベル大会グアンデス・デ・オロである。ちなみに2007年夏にメキシコ発上陸時に調子に乗って組んだスパーリングでは、当地のミニマム級ランカー(25位)相手にボッコボコにされて途中でスパーを逃げている。ちなみにラーメンマンの階級はどう軽く見てもバンタム級ミニマム級の4階級上)である。

この後もアマチュアの試合に出場して2008年5月にメキシコアマチュア大会初心者の部で優勝した。ちなみにデイリーとかいうスポーツ新聞は「これで和毅の戦績は10戦全勝」 と報道したが、すでに前回の初心者大会で負けたことは無かったことになっているようだ。

兄達ですらやらなかったアマチュア戦績の詐称を平気で行う自宅警備員はプロで通用するのかが別の意味で注目されている。

失笑ベルト〜WBCユース編〜[編集]

これまで無名ボクサーとの王座決定戦で3つのベルトを我が物にしてきた和毅だが、2010年8月28日にメキシコで行なわれたWBCユースバンタム級タイトルマッチの前々日、調印式でチャンピオンのステファーヌ・ジャモエ(ベルギー)に自ら恫喝行為をはたらいた。まずジャモエが握手を求めると拒否。両選手が互いに抱負を述べた後、和毅は突然キレたようにジャモエ陣営を睨みつけるとスペイン語で叫び始めた。ジャモエは不快感を示し、ジャモエの父親は「恫喝はやめて下さい」と抗議。すると和毅はおまえは黙れ! 俺が戦うのは息子の方や! 首をつっこんでくるなとまくしたて、さらに立ち上がって顔を前に突き出し、メンチ切り。プロモーターが必死に事態を収めようとする姿はテレビでも流された。試合結果は判定ドローをコールされた後、その場にいもしなかったスライマン会長の鶴の一声で主催者が誤りだったと修正し、和毅の判定勝ちに塗り替えられた[1]

脚注[編集]