君のひとみは10000ボルト

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

君のひとみは10000ボルト」(きみのひとみは いちまんボルト)は1978年8月にアリス堀内孝雄がソロとしてリリースしたシングルである。1978年の年間第4位に輝くなど、90万枚を越す大ヒットとなった。

解説

作詞は谷村新司、作曲は堀内孝雄。1978年の「資生堂化粧品」秋のキャンペーンソングとなっていた。リリースされて約1ヶ月でオリコン・シングルチャートの3位に初登場し、翌週には1位を獲得した。同時期には、この曲を収録したアルバム『あいつが死んだ晩』もアルバムチャートで1位を獲得している。

「10000ボルト」を誤って「ひゃくまんボルト」と言われることが多い [2] 。そのことは堀内本人も認識しており、現在ではさほど気にしていない様子である。2007年11月28日放送の『2時っチャオ!』(TBS)でも久保田智子アナウンサーが間違えて「ひゃくまんボルト」と読んだが、堀内は「よく間違えられるんですよ。“ひゃく”の方が言いやすいんだな。どうせなら“ひゃく”にしておけばよかった」と、大人の対応を見せていた。

ただ、この曲は始めから資生堂のCMソング前提として作られた曲であり、タイトルも資生堂が決めたものである。資生堂本社での打ち合わせの席で担当者が「テーマをお伝えします」と切り出し、競合他社があるため他言無用としながら「君のひとみは10000ボルト」とのみ書かれた紙を封筒から出して見せ、堀内が記憶したことを確認するとすぐに封筒に戻してしまったという。資生堂からはそれ以上の説明はなかった。

元々この曲はアリスで依頼が来ていたが、谷村がアリスでのコンサートツアー中、膵臓の疾患でのどが腫れ、声も出ない状態で長期入院することになった。「資生堂のキャンペーン・テーマはやれば絶対に売れる」ことから、どうしてもやりたかった中、堀内のソロで打診したところOKが出た、という経緯があった[3]。帰宅した堀内が谷村にタイトルの件を伝えると、谷村は困惑しながらもインパクトのある歌詞を書き上げた。堀内も曲のイメージが膨らみ、曲が完成すると何度も自分で歌い、曲を発表する前に堀内自身の中で大ヒットしていたと語っている。

なお、ジャケット写真で着用したTシャツ下北沢で買った私物だったことを『FLASH』(光文社)のインタビューで明かしている。

「君のひとみは10000ボルト」は流行歌の題名や歌詞をネタにした漫才で知られる人生幸朗・生恵幸子にも取り上げられ、堀内は「俺達もこれでメジャーになった」と喜んだという。

収録曲

  1. 君のひとみは10000ボルト THE LAST ANGEL(3分21秒)
    • 作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄/編曲:石川鷹彦
  2. 故郷には帰りたくない DON'T TAKE ME HOME(3分32秒)

タイアップ

オリジナル版
カバー版

カバー

出典

  1. 『小学六年生』1984年3月号、25頁。(『ワンダーライフスペシャル 学年誌が伝えた子ども文化史 昭和50〜64年編』小学館、2018年、99頁。ISBN 978-4-09-106615-2
  2. 1984年の『小学六年生』の記事では昭和54年度の流行語の一つとして「キミのひとみは百万ボルト!」テンプレート:sicが挙げられている[1]
  3. 富澤一誠「君のひとみは10000ボルト 堀内孝雄 1978年8月5日」『青春のバイブル』シンコー・ミュージック、1993年、231ページ。ISBN 4-401-61413-5
  4. (2018年1月18日) 泉里香が名曲「君のひとみは10000ボルト」で歌手デビュー!『やれたかも委員会』主題歌に決定 TVLIFE web 2018年1月18日 [ arch. ] 2018-01-21

関連項目