ドヤ街
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ドヤ街(ドヤがい)とは、日雇い労働者が多く住む街のこと。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さことばである。旅館業法に基づく簡易宿所が多く立ち並んでいることからきている。東京の山谷、大阪のあいりん地区、横浜の寿町が特に有名である。
戦後の高度成長期、日雇いの仕事を斡旋する寄せ場に日雇い労働者が多く集まり、彼らが寝泊りする簡易宿所が寄せ場の周辺に多く開設されることでドヤ街が形成された。いわゆるスラムとは異なり、その地域全体が日雇い労働者のドヤで占めているわけではなく中産階級の住宅も存在しているのが大きな特徴である。そして住民構成も独身の男性の中高年者が多数を占めている点が、戦前の日本の貧民窟や第三世界のスラムとの違いである。この様な住民構成から、人口の再生産が行われず、街自体は活気が失われているが、その反面諸外国のスラムに見られるような治安や犯罪発生率の高さといった問題は顕在化していない。とはいえ、スラム同様に日雇い労働者に対する貧困克服政策が求められている。
日雇い労働者の劣悪な生活環境から、これまでに暴動が幾度も発生している。現在日本で起きた最後の暴動はあいりん地区で発生した第24次西成暴動(2008年6月)である。
ドヤ街では救世軍などの慈善団体や市民団体による炊き出しや凍死防止のための夜回りなどの支援も常態化している。
また、「寄せ場解放」と称して新左翼活動家がドヤ街に入り、越年闘争を通じて日雇い労働者のオルグ(組織化)を図っている。そのため、他の地域では余り目にすることがない新左翼のアジビラや立て看板が存在している。
参考文献
- 青木秀男『寄せ場労働者の生と死』明石書店、1989年