のび太国系記事

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のび太国系記事(のびたこくけいきじ)とは、アンサイクロペディアの中におけるユーモアを勘違いして作られた記事である。基本的に、ある記事に関してのび太のようなネームバリューあふれる題材をからめることで、面白くない記事にある程度の笑いのスパイスが与えられると思った人達によって、一時期、大量に書き込みがなされた。それがそのまま見過ごされた結果、現在、「カテゴリ:国みたいなもの」と「カテゴリ:仮想国家」の中には、違った意味で笑える記事群が出来上がっている。出来上がってしまっている

なお、本家本元ののび太国は、諸悪の元凶としてすでに消されている。そのほうがええっ!

また、幾つかの記事においては、過去ログを見るとその片鱗が残されていたりする。 探すなよ! 絶対に探すなよ!

概要

のび太国系記事に関する一般的な感想。

のび太国系記事とは、初版投稿者が記事に作成する際に全く関係の無いのび太ドラえもんなどの周知のネタを加え、さらにはまったく関係のない妄想などを詰め込んで書かれている記事群の事をいう。

詰め込む内容としては、

なども含まれている。現在ではこれらの妄想系の書き込みは忌避される傾向が強いのだが、発足当時の記事数が少ない状況の中でいくつかの国が黙認されたため、現在でも上述したカテゴリにてひっそりと生き残っているのが現状である。

ある意味、未開の部族のようなものであるため、アンサイクロペディアの歴史を楽しむ、もしくは研究する際にいわゆる負の歴史として既存の記事群との比較対象として、ある意味有意義な存在でもある。ある意味。しかし、そうではない、普通にアンサイクロペディアを楽しもうとした人々が、いきなり未開の土人に出くわしたとしたら、それはある意味不幸な事故として処理するほかない。そっと目を合わせないようにして去ることができれば危険はないのだが、慣れていない人は、「どこかにユーモアが隠されているに違いない。この記述は多分、実際のデータを元にしたユーモアに違いない」などと、まるで地図のないジャングルの中をさまようような形でかすかな望みをこれらの記事群に託そうとする。しかし、残念なことに、そんなことはまったくない。ないものはない。妄想にユーモアは存在しない。そのため、全ての事実に気づいた初心者の精神的ダメージは計り知れないのである。

これは、1960年代後半にフィリピンで発見されたタサダイ族の話とまったく同じである。

手口

これらの記事で行われている手口として、一見、記事をそれらしく見せかけるために、リアリティを持たせようとして、さまざまなスペックの解説において具体的な数値が表記することが挙げられる。なお、実際にフィリピンのジャングルで発見された、とされるタサダイ族も当初は石斧や落とし穴で生活する原始的な狩猟民族だった。

しかし、それらの数値は実際にはなんの元データもなく、ひたすらに適当な話とでっち上げによって糊塗されたものであり、見るものが見れば一発で分かる話であったが、残念なことにある意味信心深い人々は、ユーモアへのかすかな望みを持って最後まで記事を読んでしまうのである。かわいそうに。なお、タサダイ族についても、「武器という単語がない」「敵という概念がない」だのといった、狩猟民族とはとても思えない話を信じた欧米のマスコミによって、多額の献金がフィリピン政府の担当省に贈られている。かわいそうに。

最終的に、記事を全部読み終わり、面白い部分も何もなかったことに気づいた読者がそのことに憤慨したとしてもあとの祭り。アンサイクロペディアに対する嫌な経験値を増やすことで、二度と読まないという気持ちを持って次の記事へ進むしかないのである。そして、タサダイ族についても、1986年に実は彼らは全員地元の住民で、洞窟ではなく普通の家に住んでバイクにも乗り、Tシャツ、ジーンズを着用していたことが明らかになる。つまり、全てフィリピン政府による嘘だったのである。この段階で、欧米マスコミはフィリピンに対して何を思っただろうか。

そのため、これらの記事の内容は、基本的に面白くない記事をいかにして面白い記事見せかけるか、を端的に示している。ほとんど誰も楽しむことはできない記事である「内容がぶっ飛びすぎてついていけない記事」をいかにして面白くするか、それには画像やデータといった、単純に人が信じやすいフォーマットを適当に用意し、歴史や政府などもそれとらしく見せかけて用意。さらには、バイト数を確保するために適当な関連人物へのリンクやさらなるエピソードの追加など、嘘に嘘を塗り重ねることによって、最終的に一つの記事らしく整備するのである。しかし、それらの記事の内容は、たとえ当時のアンサイクロペディアの時流に乗っていたものだとしても、全く面白くない。1年後、もしくは2年後に見られる記事になっている可能性はほとんどない。むしろ、その存在自体がギャグと言えるぐらい、かなり痛い。果たして、それはユーモアと言えるのだろうか。いや、いえない。

ちなみに、タサダイ族のキャンペーンで欧米から多額の献金を受け取った当時の環境大臣は、その後、薬物中毒から廃人になっている。なお、アンサイクロペディアにおいても、妄想とそれに伴う嘘の積み重ねも相当ひどい中毒性を持っている。天罰と言えなくもない。

ユーモアの点から

アンサイクロペディアにおいて、これらの有名人をからめた妄想記事の多くは、残念なことに妄想の持つ中毒性を考慮しない書き手にゆだねられており、一目見てあまりの飛びっぷりに笑えても、二度目三度目で笑わせられるようなネタの仕込みができていることは少ない。むしろ、妄想が一つの情熱を蝕む様を見て、身を震わせる感覚に襲われる。特に致命的と言えるのが、ほとんどの書き手のほとんどの妄想が、コントロール不能な状態で突っ走りながら書き込まれるため、記事自体が手直しができないほど悲惨な状況に陥っている点にある。そのため、一時の流行から外れると、これらの記事はもはや生命維持装置が切られたような哀れな病人の様相を呈するのがお約束となっている。

誰も止めを刺さず、誰も延命させないのもやはり、お約束である

対策

まず、妄想系の記事の多くがアニメや漫画などの、大変に中毒性を持つサブカルチャーにどうしようもないレベルで発生することを考慮し、そんな記事は最初から書かない。この点が重要になる。第一、まともな記事を書いても、加筆で荒らされるんだからたまったもんではない。そのため、心あるアンサイクロペディアンは、それ系の記事には近づかないことが重要である。あわせて、これからそのような中毒性の高い=妄想しやすい記事を書こうとする人は、なんとしても書かないか、もしくは、下記に示すとおり、ある一定のユーモアをもって書くことをお勧めする。

妄想中毒は、それぐらいに恐ろしい。

もしあなたの好きな記事が妄想の毒牙にかかったら

不幸にも、あなたの好きな題材に妄想中毒者の魔の手が伸びている場面に出くわしたとき。その対処法として、それらの記事のほとんどが元ネタがあるにも関わらずまったく事実からかけ離れたところでネタを作っているため、手直しするときはwikiや原作から事実を引っ張ってきてネタに仕込む。この努力が、記事の延命に与える影響は計り知れない。妄想の元データを全て破壊すること。そして、実際のデータを用いて、ちゃんとネタにすることが大切である。妄想中毒者も、ちゃんとしたデータを元にした書き込みには寛容である。

また、明らかに関係の無いネタで再度上書きされるようだったら、その項目を丸ごと削除するのも手だ。他の人が何か言ってきたら、ノートで話し合うこと。なお、妄想を持った人と編集合戦すると、心底疲れるため、なんだったら、記事ごとあきらめること。まぁ、もしかしたらこちらの知らないきちんとしたネタがあるかもしれないので、そこは考慮したほうがいい。まぁ、ないけどね。

もう一つ重要な点は、書く側も面白い記事を書けるようになってから書け、という見もフタもない事実である。実力のない人間が記事を書いて、実力のない人間が記事を直し、実力のない人間を笑わせられるような幸せな状況は、妄想サイドにしかない。そのため、のび太国系記事を含めた妄想系の記事への加筆者に求められることは、実力をみがき続けることである。それができたら、まったく苦労はしないのだけれど。

なお、受験勉強においてもそうだが、実際の世界でも妄想が本人の実力に及ぼす悪影響は計り知れないものがある。そのため、妄想系の記事の作者も含めて、アンサイクロペディアン全体が注意しなければいけないことは、自分の妄想のコントロール、この一言に尽きる。

留意点

「元ネタがわからないと笑えないネタ」と「元ネタがわからなくても笑えるネタ」の違いには注意しよう。例えば川口浩探検隊の第1回目の放送は、タサダイ族の探索であった。後年になってネタの俎上にする場合はともかくとして、リアルタイムで放送を見ていた当時の人たちにとっては、フィリピン政府の大臣による捏造とかいうバックボーンは、番組の面白さとは全く関係無い話であった。

「元ネタがわかっても笑えないネタ」「そもそも元ネタすらわからないネタ」については、まあ気にする必要は無い。何故かというとNRVが貼付けられ、記事がまるごと削除される運命にあるからだ。

あと当たり前の話だが、自分が面白く無いと思っても、他人は面白く読んでいるかもしれない。例えどれほどつまらない記事でも、他の記事を読んだ後に読むととても笑える事があるからだ。

自分が知っていても読んでいる人は知らないネタかもしれない。注意しよう。しかし逆に、自分が知らないだけで、他の人は知っているネタというのもある。全く関係無いネタをぶち込んだ記事に見えても、その記事について内容の理解が深い人にとっては、よく理解できる話というのはあるのだ。「俺が書く! そのためには俺の知らないネタを書くな! 俺の知っている事だけを書け!」という行動はいただけない。

よくよく相手の話を聞こう。そして、自分が間違っていたと思った場合は真摯に謝罪を行うべきである。

最後に

笑われるってのは、笑わせたことにはならない。

これ一つで十分 いやこれ一つでも多い

関連項目

Uncyclopedia logo.png アンサイクロペディアにも、この項目「のび太国系記事」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。