門田博光

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門田博光(かどたひろみつ)はプロ野球選手。 「ミスターホークス」の系譜にある。 左投左打、ポジション外野手指名打者背番号は27→44→60→78→53番。 1948年2月26日生まれ。山口県小野田市で生まれ、奈良県五條市で育つ。 天理高等学校からクラレ岡山を経て、1970年ドラフト2位で南海ホークスに入団。 2年目の1971年、3番打者に抜擢され、以降強肩の外野手、主軸打者として活躍。 1970年代、1980年代のホークスの主砲として一時代を築いた。 1979年2月、キャンプ中にアキレス腱を切断して1年間治療に専念、翌1980年には41本塁打を打って復活した。 1984年より指名打者に定着。 1988年には初の全試合出場を果たし、本塁打王打点王の二冠に輝きMVPを獲得。40歳「不惑の大砲」として、中年の世代を大きく勇気付け、社会的な話題となった。 豪快なバッティングは、後のホークスを支える山本和範佐々木誠吉永幸一郎に影響を与えた。 1989年、南海身売りに伴う福岡移転を拒否し、オリックス・ブレーブスに移籍。ブルーサンダー打線の4番打者としてチームを牽引した。 1991年オリックスの神戸移転に伴い古巣福岡ダイエーホークスに移籍。主に指名打者で出場。 1992年代打での出場が多くなり、現役引退。 通算本塁打数(567本)は歴代3位。 現在はABCプロ野球解説者。 2006年野球殿堂入り。 天理教信者。