和菓子
和菓子(わがし)とは、日本の伝統的製造法で作られた菓子のこと。明治時代以降にヨーロッパなどから新しく日本に入ってきた洋菓子に対して使われる言葉。
遣唐使によって伝来した唐菓子や、宣教師によってもたらされた南蛮菓子も和菓子に含める。
目次
概要
茶道に於ける薄茶(うすちゃ、お薄(おうす)とも)や濃茶(こいちゃ)とともに食べることもあり、味覚は元より美的鑑賞にも堪えることを期待されて発達した食品。通常、薄茶席では干菓子を、濃茶席では生菓子(主菓子)を供される。
日本茶や抹茶のお茶請けになることが多いため、甘いものが多く、油はほとんど使われない。
砂糖、水飴、米、小麦、小豆など、比較的少ない種類の主原料より、多くの種類の和菓子が生み出される。また、洋菓子のようにフルーツが素材として使われることは少ない。
原料に砂糖を用いるようになったのは近世以降であり、特に和三盆は、容易には白砂糖が手に入らない江戸時代、その独特の風味と程よい甘さによって、和菓子の発展に貢献したとされる。砂糖を用いるようになる以前における、もっとも甘い嗜好品は柿であったことから、和菓子が持つ味覚の繊細さを窺い知ることができる。
また、前述の通り、和菓子には芸術作品としての側面も要求される。夏の和菓子であれば、涼を感じさせるために葛などを用いて透明感ある作品に仕上げるといった具合に、季節感の表現一つにも材料を吟味する。特に精巧に作られる工芸菓子と呼ばれる分野もあり、食用可能な和菓子の材料で花鳥風月の世界を表現する。
水分量20%以下の和菓子を干菓子(ひがし)または乾菓子(ひがし)、40%以上の和菓子(羊羹は30%以上)を生菓子、その中間を半生菓子という。和菓子は大きくこの3タイプに分類される。
和菓子一例
季節の和菓子
和菓子メーカー一例
- 風月堂
- 清月堂本店
- 虎屋(京都) 16世紀末頃の創業。
- 紅屋
- 備後福山虎屋本舗(福山)
- 駿河屋(和歌山) 1461年(長禄4年)京都で「鶴屋」として創業。羊羹発祥の店。紀州徳川家御用達。屋号は徳川家ゆかりの地名を賜ったもの[1]。
- 花園万頭
- 鈴木亭(富山) 1866年(慶応2年)創業。立山杉の年輪模様を表現した「杢目羊羹(もくめようかん)」
- 森八(金沢) 1625年(寛永2年)創業。日本三銘菓の一つである「長生殿」
- あめの俵屋(金沢) 1830年(天保元年)創業。水飴の一種である「じろ飴」
- 諸江屋(金沢) 1849年(嘉永2年)創業。
- 柴舟小出(金沢) 1917年創業。生姜砂糖を塗った煎餅 「柴舟」
- 京菓子處 鼓月(京都) 1945年創業。波打つせんべいにクリームを挟んだ「千寿せんべい」
- 鶴屋吉信(京都)
- 鶴屋八幡(大阪) 1863年(文久3年)創業。
- 三條若狭屋(京都)1895年(明治28年)創業。
- 川端道喜(京都) 16世紀初頭の創業。創業当時の川端家文書は京都市の文化財にもなっている。創業時から明治天皇の東京行幸(1869年3月)まで、内裏に御朝物と称する菓子を毎朝献上してきた。ちまき
- 笹屋伊織(京都) 1716年創業。京都にある「笹屋」の本家でもある。棹物状のどら焼き
- 笹屋昌園(京都) 1918年創業。上用饅頭・こなしなど上生菓子
- 大原女屋(京都) 1897年(明治30年)に神戸で創業し、現在京都に本拠を置く。
- 俵屋吉富(京都) 1755年(宝暦5年)創業?京都に本拠を残している和菓子屋では老舗?の一つ。宮内庁や相国寺、南禅寺など納入先も多い。烏丸店は京菓子の資料館を併設している。棹物
- 一文字和助(京都) 平安時代の創業とされている。あぶり餅
- 叶匠寿庵(大津) 1958年創業。皇室御用達でもあり、ごま豆腐などの惣菜も手がける。
- 亀屋芳広(愛知県名古屋市)1949年創業 不老柿、七里の渡し、あつたの杜など史跡銘菓が有名
- もちたけ(愛知県犬山市) 美濃加茂市の免品栗を餅で巻いた和菓子。沖縄県波照間島の黒砂糖の饅頭等独自手造り。
- 菓宗庵(愛知県名古屋市) 名古屋コーチン卵を使った和菓子
- 柏屋 1852年(嘉永5年)創業。薄皮饅頭
- 岡埜栄泉
- 紅梅堂(東京都武蔵野市) 1968年創業。コーヒー大福
- 一進堂 (静岡県伊東市) 昭和初期創業 白あんにココアパウダーをかけ蒸かしあげたオリジナル和菓子『うり坊』
- 塩瀬総本家
- たねや
- 両口屋是清 1634年(寛永11年)創業。
京都の和菓子
京都の和菓子は、宮中や公家、寺社、茶家におさめたり、特別なお祝いのためにあつらえる「上菓子」、ふだんに食べる「おまん(饅頭の略)」や「だんご」「餅菓子」にわけられる。前者をつくるものを菓子匠、御菓子司などと称し、後者をつくるものを「おまんやさん」「おもちやさん」と呼んだ。「○△餅」という店でも、饂飩(うどん)・寿司・おはぎがだされるところが現在もある。現代ではその区分もあいまいになってきている。上菓子は、お供え菓子や、茶道の菓子として洗練した発展をとげ、ふだんの菓子も年中行事ごとに様々なものが食べられた経緯から多彩に展開した。その伝統が今日の京菓子に反映されている。
上菓子
上菓子は以下のような素材、中間素材、製法をもちい、美的につくりあげる。
- こなし
- 白こし餡(手亡豆等の隠元豆、あるいは白小豆の餡)と薄力粉をまぜて蒸したものに砂糖水をくわえねりあげたもの。色をつけてさまざまな形に加工する。梅の蕾をかたどった「未開紅」、紅葉にしたてた「竜田川」をはじめ、くず菓子の餡など多彩に展開する。
- きんとん
- 蒸した山芋をうらごしして砂糖と炊いたもの(薯蕷煉り切り)や、白餡を寒天で固めたもの(きんとん餡、天餡)、白餡を求肥でつないだもの(煉り切り)を、色々な色にそめ、うらごし器でそぼろ状にし、餡などの芯にうえつけて季節を表現する。
- 求肥(ぎゅうひ)
- もち米の粉を水で練って湯がき、火の上で砂糖を加えてねったもの。夏の菓子「鮎」、「調布」などにつかう。
- くず
- 本くず粉に水を加えたものを漉して、砂糖を加え加熱しアルファ化させる。葛きり、葛饅頭など透明感が涼しさをよぶ。またシンプルに六方を焼いただけの「葛焼」は熟練を要する菓子。
- 薯蕷(じょうよ)
- 山芋のこと。「織部まんじゅう」など上用饅頭の皮は、山芋をすりおろして砂糖と上用粉(細目の米粉)をくわえたもの。餡を包んで蒸してつくる。また、すりおろした山芋に、砂糖、水、軽羹粉(粗目の米粉)を加え、蒸しあげたのがカルカン(軽羹)。蒸した山芋をうらごしして砂糖と炊いたものが、薯蕷煉り切り。どの場合も、山芋本来の『白さ』と、独特の香りを生かすことが大切。
このほかにも「道明寺」「淡雪」「錦玉」など中間素材は数多い。中間素材の段階までに炊く、蒸す、まぜる、練るなどの作業があり、そのひとつでもゆるがせにするとおいしい菓子はできない。また材料も厳選されたものを素材に応じてあくぬきなどをしながら、味をひきだす技術が要求される。そして最後に季節感や、菓子が食べられる場のコンセプトを表現しなければならない。繊細な感覚と確かな技術で上菓子はつくられる。ただし、その製法および感性は菓子店、職人によって千差万別であり、微妙な違いがそれぞれの個性になっている。
和菓子商人の受領官名
江戸時代、市内の菓子商人は、店ごとに掾国名を付記したが、これは菓子商人は京都、中御門家の支配に属したからである。 当家の役所からは1年おきに下役数人ずつが浅草新堀端の松平西福寺内の役宅に出張し、江戸市内において掾国号などの官名を明記せずにたんにXX屋XX兵衛のような通称で営業する菓子屋を捜索した。 そしてその家主、地主に差紙を送り、無免許者を役宅出張所の召喚し、菓子商人は京都、中御門家の支配に属すること、当家から掾国号の官名を受け営業すべきことを諭し、希望に応じて掾国名を授与した。
官名等級は藤原姓が最高で、ついで山城、大和、河内、和泉、摂津など、また武蔵、紀伊、尾張、常陸などは決して許されず、その他の国名およびXX堂、XX軒など、の順位であった。 これは俗に「餅屋官」ともいわれ、大掾の階級はのちの奏任待遇に該当し、正七位に相当するという。
関連項目
関連書
- 中山圭子 『事典 和菓子の世界』岩波書店 ISBN 4000803077
- 中山圭子 『和菓子ものがたり』 朝日文庫 朝日新聞社 ISBN 4022642572
- 伊藤汎 監修 『砂糖の文化誌 ―日本人と砂糖』 八坂書房 2008 ISBN 4896949223
製法の参考文献
- 近世菓子製法書集成 1,2 東洋文庫 平凡社
脚注
外部リンク
- 全国和菓子協会
- 百華万華鏡~石川の菓史~ - 石川新情報書府
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