小瀬新太郎
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小瀬 新太郎(おぜ しんたろう)は、幕末から明治初期の尾張藩士。早くから徳川慶勝に近侍し、文久2年(1862)に慶勝が復権した後、国政に参与した。明治維新の後、1875年に尾張徳川家の家令となった。
経歴
幕末
安政5年(1858)7月に名古屋藩主・徳川慶勝が幕府によって幽閉されたとき、小瀬は江戸にいて、目付を勤めていたが、辞職して名古屋ヘ帰った[1]。
文久2年(1862)9月、徳川慶勝が復権すると、小瀬は小納戸頭取となり、弟で当主の小瀬玄同を扶けて働いた[1]。
同3年(1863)正月、玄同に従い、上京[2]。
同年2月、将軍が上洛し、玄同が江戸の留守を預ることになったため、玄同に従って江戸へ行く。このとき、外国償金の事について、老中たちが玄同に事を決定させようとし、小瀬は近松矩弘と共に諫めたが、聞き入れられず、退任して名古屋ヘ帰った。[3]
暫くしてから、玄同に召喚され、再び江戸へ。同年5月、玄同に従い上京。その途中で玄同が病に罹ったため、上京を中止し、名古屋に留った。[3]
明治維新後
1875年(明治8)11月、徳川慶勝の家令となる[4][5]。
明治某年、病死[3]。
家族
評価
- 中村 (1910 37)は、小瀬は、性格は謹厚温雅で、早くから勤王の志を抱き、文久年間に藩主の近侍に撰ばれ、兄弟でも協力しあった。その後、藩政に参与すると、田宮如雲と共に力を尽して知事の藩主・徳川義宜および慶勝を輔翼し、国政に勤めた。その功績は少なくない、と評価している。[3]
付録
関連文献
- 「小瀬新太郎」徳川林政史研究所 > 史料の公開 > PDFファイル公開史料一覧(公開史料一覧へ進む) > 藩士名寄 旧蓬左文庫所蔵史料140-4 > 第12冊 PDFコマ217-220(MFコマ222-225)
脚注
参考文献
- 片桐 安藤 (1994) 片桐寿(遺稿)・安藤慶六「片桐助作とその時代 - 頴川雑記」名古屋郷土文化会『郷土文化』vol.49 no.1、1994年8月、pp.43-60、NDLJP 6045201/23
- 中村 (1910) 「小瀬新太郎」中村修(編)『勤王家履歴』〈名古屋市史編纂資料 和装本 市11-37〉pp.36-37