郷間機関

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郷間機関(ごうまきかん)とは、日本占領下のシンガポールで、重慶無線超諜者検挙事件で検挙した重慶政府のスパイを逆スパイにするなど華人を利用して、中国内地とのコネクションを作ったり、中国内地の情報を収集する情報工作をしていた日本軍の特務機関。陸軍嘱託の郷間某と菱刈隆文が機関員で、シンガポールのオーチャード路English版に事務所があった。

機関員

南洋商報 (1947 )によると、郷間は陸軍嘱託で、広東で活動した経験のある人物だった。戦前シンガポールでスパイをしていたとも伝えられていた。以前から防衛司令部にも属しており、黄堆金と密接な関係にあった。

中島 (1977 145)によると、1942年7月の晒し首事件の頃、郷間は、予備役大尉から何らかの理由で陸軍の諜報員となっていた。中近東へ行ったことのある人物で、戦前は中国で特務機関に属していたらしい、とのことだった。

同じ頃、中島健蔵は、菱刈隆文を通じて郷間を紹介され、第25軍の宣伝班と参謀部を兼務するようになり、午前中は菱刈・郷間と軍司令部に出勤し、午後は宣伝班に顔を出していた[1]

中島 (1977 171)によると、機関員は郷間と菱刈の2人だった。責任者は情報参謀だった、ともいう。 中島自身は、考え方が謀略に向いておらず、2人の機密に立ち入ろうとしなかったため、2人との間に自然にわだかまりができたといい(郷間と合わず)、任期満了により帰国した[2]

  • 編注:中島は、帰国までの期間は、機関員として活動していたようでもある。

事務所

機関の事務所はオーチャード路English版にあり、浪機関とも連絡を取っていた[3]

任務

中島 (1977 171)によると、郷間機関は、中国から潜入していた国民党軍のスパイを憲兵隊から引きとり、逆スパイにするような仕事をしていた。

菱刈 (1969 172-173)によると、菱刈は、重慶無線諜者検挙事件で憲兵隊に逮捕され、銃殺されそうになっていた陳という大佐(陳奇山)以下の重慶政府のスパイをもらい受けて逆スパイにし、重慶との通信を利用して、中国内地の動向を探ったり、日本の動向についての偽情報を流す情報工作をしていた。

菱刈は1年半ほどでこの職務を離れて帰国し、それから数ヶ月後にこの工作は「どうも駄目になったよう」だったという[4]

南洋商報 (1947 )は、郷間機関の使命は、華人を利用して特権を手に入れることで、例えば、為替送金、中国内地に旅行すること、親日活動を鼓舞すること、親日分子を買収すること、中国内地で情報を収集すること、特にアメリカ軍の飛行場や軍事力に関する情報、内地の情報を収集することなどが目的だった、としている。

付録

脚注

参考文献

  • 中島 (1977) 中島健蔵『雨過天晴の巻 回想の文学5 昭和17年-23年』平凡社、JPNO 78000357
  • 菱刈 (1969) 菱刈隆文(述)「イエスかノーか - シンガポール陥落」東京12チャンネル報道部(編)『証言 私の昭和史 3』学芸書林pp.166-173、JPNO 73019406
  • 南洋商報 (1947) 昭南時代 組織之秘密 浪機關『南洋商報』1947年7月12日12面
    • 日本語訳:「5 浪機関の秘密」許雲樵・蔡史君(原編)田中宏・福永平和(編訳)『日本軍占領下のシンガポール』青木書店、1986年、ISBN 4250860280、134-143頁