茶陽会館
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茶陽会館(ちゃようかいかん、英語:Char Yong (Dabu) Association)は、1857年に大坡の北京街 に設立された客家人系の同郷会館[1][2]。設立当初は茶陽館と称し、のち茶陽会館と改名した。2014年現在の名称は新加坡茶陽(大埔)会館[3]。
1938年にヒル街 29号の啓発学校の隣の建物に移転したが、1941年に日本軍の攻撃により会館と学校が損壊[4]。
1947年にタンリン(東陵) のケーンヒル路 30号に用地を取得し、啓発学校の再開準備を開始。1952年に会館と学校の南校舎が落成した。その後も学校建物の拡張が進められ、会館設立から100周年にあたる1958年に3階建の学校本校舎が完成、1966年に北校舎と食堂、幼稚園、運動場および職員宿舎が完成し、全ての施設が竣工した。[4]
1984年に市の再開発計画を受けて啓発学校は一旦閉鎖され、翌1985年に教育部の管轄下で、西海岸路 50号に建てられた新校舎で、Qifa Primary School(華語名は「啓発」のまま)として再開され、教育活動を続けることになった[4]。
一方、会館は発展置地公司と合弁で高級賃貸マンション「茶陽花園」を建設して36区分を所有し、1988年にゲイラン 地区22巷(Lor)29号の建物を購入して新しい会館とした[4]。
1995年に茶陽(大埔)基金会(英語:Char Yong (Dabu) Foundation Limited)を設立。2000年には「茶陽ビル」が竣工した。[4]
外部リンク
- 公式サイト
- 百度百科 > 新加坡茶陽会館 2018年12月23日閲覧
- Char Yong (Dabu) Association - Instagram
- 2018年9月28日、茶陽(大埔)会館の160周年記念晩餐会で、華語で挨拶をするリー・シェンロン首相 - YouTube
付録
関連文献
- 利亮時「会館、華商与華校的結合体制:以新加坡茶陽(大埔)会館為例」『客家研究』第3巻第1期、2009年6月、pp.35-36
- 『新加坡茶陽会館百年紀念刊』シンガポール、1958年[5]
脚注
参考文献
- 何 (2014) 何炳彪「新加坡茶陽(大埔)会館曁文物館簡介」『全球客家研究』第3期、2014年11月、pp.373-380
- 山下 (1988) 山下清海『シンガポールの華人社会』大明堂、1988年、ISBN 4470430226