吉田東伍
吉田 東伍(よしだ とうご、1864年5月19日 -1918年1月22日)は日本の歴史・地理学者。新潟県出身。『大日本地名辞書』の編纂者として知られる。日本歴史地理学会の創設者の一人。
経歴
元治元年4月14日(1864年5月19日)[1]、越後国蒲原郡保田村(現阿賀野市安田村)の豪農・旗野家に、父・木七と母・園子の子(三男)として生まれる。1873年、叔父である旗野十一郎らが熱心に運動して設立された必勤舎(のちの保田小学校)に入学。翌1874年に親元を離れ、新潟町にあった県営の新潟学校(旧英学校)へ転校。同年10月に母・園子が死去。1876年、新潟英語学校へ転校。1877年に同校が新潟学校に併合され、新潟学校中等部に在籍したが、同年12月に中退。以後学校教育を受けずに独学を続ける。1881年に、出身地である新潟県安田町の歴史をまとめた『安田志料』を作り始める。同年、父・木七が死去。
1883(明治16)年、20歳の時に新潟県小学校教員検定に合格し、中蒲原郡大鹿小学校の教員となる。1884年、中蒲原郡大鹿新田の吉田家の長女カツミと結婚し、同家の養子となる。同年12月から養子先の吉田姓を名乗った[2]。新潟学校師範部に入学するも、まもなく中退。1885年、1年志願兵として仙台兵学校に入営する。休日に、旧仙台藩の図書を収蔵していた仙台師範学校の図書館に通う。翌年、帰郷。
1887(明治20)年、24歳の時、小学校正教員の検定に合格し、北蒲原郡水原小学校訓導となった。この頃、歴史・地理・天文学のほか考古学・人類学に関心をもつ。1889年、同小学校を辞職[3]。
1890(明治23)年、27歳で結婚(再婚?)した後、単身北海道に渡り、翌年11月まで滞在。この頃、新聞・雑誌に「落後生」などの筆名で史論の投稿を始め、『史学雑誌』に「古代半島興廃概考」を寄稿した。1891年に帰郷。1892年に雑誌『史海』に投稿した田口卯吉に対する反論が主筆・田口卯吉らの注目を惹いた。同年、親戚の市島謙吉を頼って上京し、市島が主筆を務める読売新聞社に入社。1893年に『読売新聞』紙上で「徳川政教考」を連載し、同年『日韓古史断』を刊行。翌1894年には『徳川政教考』の単行本を出版した。
1895(明治28)年、日清戦争に特派記者として従軍。この頃、日本の地名の変遷を記した研究がないことに気付き、1893年に官撰日本地誌の編纂が中止されていたことから、編纂事業を独力で引き継ぐ意思を持って『大日本地名辞書』を起稿した[4]。同書は1899年から刊行が開始され、1907年に全11冊が完成した。
1899(明治32)年、東京専門学校(翌年早稲田大学と改称)の文学部史学科の講師となり、国史、日本地誌、明治史、日本地理を担当。のちに教授となり、さらに維持員、理事に就任した。
吉田は歴史・地理学のほか日本音楽史、特に能楽の研究に意を注ぎ、『世子六十以後申楽談儀』(『申楽談儀』)を校訂、これが世阿弥伝書の発見につながる契機となった。1909年に、吉田が『花伝書』と命名した『風姿花伝』をはじめ、当時発見された世阿弥の著書16部を収めた『世阿弥十六部集』(校註)を刊行。同年、文学博士となる。1911年から『世阿弥十六部集註解』の連載を開始した。晩年は宴曲(早歌)研究に努め,東儀鉄笛の協力で宴曲再興を試み,私財を投じて『宴曲全集』を公刊して研究の基礎を築いた。
1918(大正7)年1月22日、千葉県本銚子町で尿毒症のため急死、享年53。1914年に編集を開始した『国史百科事典』は未完に終った。
家族
著書等
歴史・地理学、日本音楽史(能楽研究)に関する編著書の他、社会経済史の分野では『庄園制度之大要』が、近代史の分野では『維新史八講』があり、現代より過去に遡るという歴史的視野の問題を含む通史『倒叙日本史』(全12巻)がある。
- 1893年『日韓古史断』富山房、NDLJP:993752
- 1894年『徳川政教考』富山房
- 『大日本地名辞書』冨山房
- 上巻 1907年 2版 NDLJP:2937057
- 中巻 1907年 2版 NDLJP:2937058
- 下巻 1907年 2版 NDLJP:2937059
- 汎論索引 1907年 2版 NDLJP:2937061
- 続編 1909年 初版 NDLJP:2937060
- 1909年(校注)『能楽古典 世阿弥十六部集』能楽会、NDLJP:859394
- 1910年(述)『維新史八講』富山房、NDLJP:773192
- 1910年『利根治水論考』日本歴史地理学会、NDLJP:846020
- 1913年 - 1914年『倒叙日本史』早稲田大学出版部
- 第1冊 1913年 NDLJP:950650
- 第2冊 1913年 NDLJP:950651
- 第3冊 1913年 NDLJP:950652
- 第4冊 1913年 NDLJP:950653
- 第5冊 1913年 NDLJP:950654
- 第6冊 1913年 NDLJP:950655
- 第7冊 1913年 NDLJP:950656
- 第8冊 1913年 NDLJP:950657
- 第9冊 1914年 NDLJP:950658
- 第10冊 1914年 NDLJP:950659
- 1915年(校注)『能楽古典 禅竹集』能楽会、NDLJP:953829
- 1915年『日本文明史話』広文堂書店、NDLJP:980699
- 1917年(編)『中古歌謡 宴曲全集』早稲田大学出版部、NDLJP:968919
- 1923年『日本歴史地理之研究』富山房、NDLJP:978683
- 1925年(著)高橋義彦(校訂)『越後之歴史地理』万松堂新潟支店、NDLJP:1918636
- 1935年 (著)蘆田伊人(補修)『大日本読史地図』冨山房、NDLJP:1920697
付録
関連文献
- 高橋源一郎『故文学博士吉田東伍先生略伝』私家版、1919年、NDLJP:960891
- 市島春城「吉田東伍博士を憶ふ」『春城筆語』早稲田大学出版部、1928年、pp.49-56、NDLJP:1177503/33-37、
関連リンク
- 阿賀野市 > 吉田東伍記念博物館
- 世紀をまたぐ『大日本地名辞書』 吉田東伍記念博物館友の会
脚注
参考文献
- 高橋(1919) 高橋源一郎(編)『吉田東伍博士追懐録』私家版、1919年、NDLJP:960889 (閉)
- 紀田(1995) 紀田順一郎『日本博覧人物史 - データベースの黎明』ジャストシステム、1995年、ISBN 4883090779
- 日本ナショナルトラスト(1998) 「特集 風土を読む。吉田東伍」日本ナショナルトラスト(編)『季刊 自然と文化』No.58、1998年、NDLJP:6067765 (閉)、pp.4-59
- 千田(2003) 千田稔『地名の巨人 吉田東伍 - 大日本地名辞書の誕生』〈角川叢書〉角川書店、2003年、ISBN 4047021261
- 千田・渡辺(2003) 千田稔・渡辺史生(編)『吉田東伍前期論考・随筆選』〈日文研叢書〉国際日本文化研究センター、2003年、ISBN 4901558188
- 紀伊國屋書店(2006) 紀田順一郎(監修)、都憲雄(演出)『DVD 甦る名著5 吉田東伍と「大日本地名辞書」』紀伊國屋書店映像情報部、2006年、ISBN 9784877669430
- 岡田(2011) 岡田俊裕 『日本地理学人物事典 近世編』原書房、2011年、ISBN 9784562046942