市川元松
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市川 元松(いちかわ げんしょう、永正8年(1511年)? - 文禄2年9月1日[1](1593年9月25日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。後に徳川家の家臣。諱は家光(いえみつ)[1]。昌忠(まさただ)とする説もあるがこれは誤伝とされる[1]。法号は以清斎元松[1]。受領名は備後守[1]。官途は七郎右衛門尉[1]。子に昌房[1]。養子に昌犄[1]。
生涯
甲斐武田氏の勘定奉行を務めていた[1]。年齢から武田信虎の時代から仕えていた古参の可能性が高い。
信玄没後は勝頼に仕え、天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで息子の昌房が戦死すると、駒井肥前守の子の昌犄を養子に迎えた[1]。また昌房の遺児(つまり孫)・吉千世を庇護した[1]。天正10年(1582年)の武田征伐で武田家が滅亡すると、徳川家康に仕えて甲斐4奉行の一人となる[1]。文禄2年(1593年)9月1日に83歳の高齢で没した[1]。
法名は太翁元松[1]。
脚注
参考文献
- 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3