北条兼貞

提供: Yourpedia
2015年5月9日 (土) 08:58時点における神田 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「'''北条 兼貞'''(ほうじょう かねさだ、? - 元弘3年/正慶2年(1333年))は、鎌倉時代後期の北条家の一族<r...」)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

北条 兼貞(ほうじょう かねさだ、? - 元弘3年/正慶2年(1333年))は、鎌倉時代後期の北条家の一族[1]。家系は桜田流北条家。祖父は第5代執権北条時頼。父は時厳[1]。母は不詳[1]。伯父に第8代執権の北条時宗。兄弟に頼覚師頼篤貞貞国貞源綱栄定宗。通称は五郎、治部大輔入道[1]。従兄弟の北条兼時養子になった[1]

没年から鎌倉幕府の討幕戦争で戦死したと思われるが、経歴に関しては不明である。

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年、153頁

参考文献

  • 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年