北条 藤時(ほうじょう ふじとき、? - 正慶2年/元弘3年5月22日(1333年7月4日))は、鎌倉時代後期の北条家の一族[1]。家系は塩田流北条家。父は北条国時[1]。母は不詳[1]。左近大夫将監[1]。兄に俊時(俊時は藤時の弟とする説もある)[1]。
正中3年3月16日(1326年4月19日)に評定衆に任命される[1]。正慶2年/元弘3年5月22日、東勝寺において北条高時ら北条一族と共に自害した[1]。