馬引沢 (多摩市)

提供: Yourpedia
2015年2月24日 (火) 10:43時点における匿名性 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「'''馬引沢'''(まひきざわ)は、東京都多摩市の地名。現行行政地名は馬引沢一丁目及び二丁目。郵便番号206-0023。 == ...」)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

馬引沢(まひきざわ)は、東京都多摩市の地名。現行行政地名は馬引沢一丁目及び二丁目。郵便番号206-0023。

地理[編集]

多摩ニュータウン開発区域内に位置し、聖ヶ丘諏訪乞田川に囲まれた細長い形状をしている。旧来からの住民などには「まびきさわ」あるいは「まびきざわ」と呼ぶ者もいる。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、馬引沢2丁目13番15の地点で18万6000円/m2となっている。[1]

歴史[編集]

現在の馬引沢と小字馬引沢は完全に一致するわけではない。小字馬引沢は現在の馬引沢の大部分と、諏訪一丁目、三丁目、四丁目、聖ヶ丘二丁目〜四丁目のそれぞれ一部である。

小字馬引沢のうち多摩ニュータウン第5住区に含まれる場所は早くに区画整理が行われ、諏訪一丁目〜四丁目の一部となっていた。残りの土地についても、多摩ニュータウン第4住区および区画整理事業第2工区に設定され、小字諏訪坂(すわのさか)および小字諏訪越(すわのこし)などとともに区画整理が行われた。区画整理事業区域のうち諏訪へ編入される部分を除いた地域とニュータウン第4住区 (すなわち現在の馬引沢地区および聖ヶ丘地区)の町名は、当初は「連光台」とする計画であった。そして1977年に町名についての協議が開始されたが地元の意見はまとまらず、結局1979年11月、第4住区部分は「聖ヶ丘」とし、馬引沢地域は諏訪へ編入することが計画された。 諏訪への編入により馬引沢地域は「諏訪7丁目」となることが明らかになると、地元は「七丁目」では問題がある[2]として、1986年10月、同地を「諏訪元町」とするよう要望した。しかし諏訪元町ではすでにある諏訪地区と紛らわしいことから、同地の小字馬引沢から地名をとることになった。こうして、1990年1月27日、馬引沢一丁目(連光寺小字諏訪坂、諏訪越、馬引沢)、二丁目(連光寺小字諏訪坂、馬引沢)が新設された。なお、同日に小字諏訪越の一部が諏訪一丁目に、小字馬引沢の一部が諏訪一丁目、三丁目、四丁目にそれぞれ編入されている。

地名の由来[編集]

もともとは大字連光寺の一部で、町名をつける際に連光寺の小字から採られた。馬引沢の名については、小字沖谷戸(おきのやと)から乞田川へ流れ込む沢[3]がこの地域(小字馬引沢)のほぼ中央を南北に貫いており、沢沿いに黒川方面へ抜ける道があったといわれ、この道が馬を降り引いて歩かねばならない程険しい道であったことが由来と言われている。

また伝承では、馬引沢へ通じる道が連光寺小字本村(ほんむら)からの一本だけであった頃、この道の途中に金色の薬師如来が祭られており、その薬師如来のそばまで来ると馬からおりて馬を引いて通った沢であったことが由来という[4]。なお、この薬師如来像があったと思われる薬王寺は1966年火災のため焼失している。

沿革[編集]

※ 小字馬引沢は単に「馬引沢」と記す。

  • 1970年10月1日 馬引沢の一部を含む地域から、諏訪二丁目、四丁目を新設。
  • 1975年1月1日 馬引沢の一部を諏訪一丁目、三丁目、四丁目に編入。
  • 1977年9月1日 馬引沢の一部を諏訪三丁目に編入。
  • 1981年11月1日 馬引沢の一部[5]を諏訪一丁目に編入。
  • 1983年2月1日 馬引沢の一部を諏訪四丁目、聖ヶ丘三丁目に編入。
  • 1983年2月1日 馬引沢の一部を含む区域から、聖ヶ丘二丁目、四丁目を新設。
  • 1990年1月27日 馬引沢の一部が諏訪一丁目、三丁目、四丁目に編入される。
  • 1990年1月27日 諏訪坂、諏訪越、馬引沢のそれぞれ一部から馬引沢一丁目を新設。また、諏訪坂、馬引沢のそれぞれ一部から馬引沢二丁目を新設。

脚注[編集]

  1. 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  2. 例えば、諏訪六丁目に隣接しておらず飛び地のようになってしまうため訪問者などに分かりにくい、など
  3. 沖ノ谷戸から馬引沢、諏訪坂を経て乞田川へ
  4. 馬から降りた理由については複数のパターンがある
  5. 馬引沢団地を含む区域。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 多摩市の町名(市制施行20周年記念),多摩市
  • 歴史のさんぽみち,多摩市
  • 馬引沢昭和史,馬引沢区画整理竣工記念事業推進委員会