小野寺歩
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小野寺歩(おのでら あゆみ、1978年11月25日 - )は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町)出身の日本の女性カーリング選手(現在は引退)で、社団法人日本カーリング協会(JCA)の元強化指定選手。札幌学院大学人文学部英語英米学科卒業。身長155cm、体重47kg。血液型A型。右利き。
目次
来歴
- 小学生のころは素行が悪く、同級生にたびたび暴力をふるい、万引きを繰り返すなどしていたが祖父母の努力によって更正した。
- カーリングが非常に盛んな北海道常呂町で、中学校の同級生の加藤章子、林弓枝とともに「シムソンズ」を結成、高校時代に堀美香が加わり、この4人のチームでソルトレークシティオリンピックに出場し8位に終わる。また、このときメンバーの試合態度の悪さが問題視され、日本カーリング協会が謝罪することとなった。
- 上記の影響もあって、シムソンズは解散に追い込まれるが、冬季アジア大会に向けてカーリング専用施設を建設し、選手の育成強化をはかっていた青森市に臨時職員として誘われ、林を誘って青森市文化スポーツ振興公社臨時職員になった。
- 2003年に青森県の大学に進学した目黒萌絵と寺田桜子、林で「フォルティウス」(後のチーム青森)を結成、その後、世界選手権出場に備えてジュニア選手として活躍していた本橋麻里をチームに招き入れた。
- トリノオリンピック代表内定後の日本選手権でチーム長野に一次リーグ・決勝戦で連敗を喫し、代表の座が危ぶまれるも、2005年11月に常呂町で行われた代表決定戦に勝利しトリノ代表となった。
- トリノ五輪は予選敗退に終わったが、優勝候補のカナダに勝利するなど世界の強豪国を相手に大健闘を見せ、どちらかといえば地味で、大して期待もされなかったカーリングへの注目度は大きく上昇した。ただしこれは同五輪の他の日本選手の不振による部分も大きい。予選落ちが決まった後のインタビュでは「明日も、明後日も、ずっと試合がしたかったです」 と話して悔しがった。
- トリノオリンピックから帰国後に林弓枝とともに引退を表明した。
- 2006年11月21日から26日にかけて西東京市ダイドードリンコアイスアリーナで行われた第16回パシフィックカーリング選手権大会において、林弓枝とともにゲスト解説員として登場し、場内音声中継を行った。
主な成績
1994-1995年シーズン
- パシフィック選手権(ニュージーランド・クライストチャーチ):優勝(予選リーグ:4戦全勝)
1995-1996年シーズン
- 世界ジュニア選手権(カナダ、アルバータ州レッド・ディアー):準決勝進出決定戦でスコットランドに敗退(予選リーグ:5勝4敗 5位)
1996-1997年シーズン
- 世界ジュニア選手権(長野県軽井沢町):5位(予選リーグ:5勝4敗)
1997-1998年シーズン
- 世界ジュニア選手権(カナダ、オンタリオ州サンダーベイ):準優勝(予選リーグ:8勝1敗 1位)
1998-1999年シーズン
- パシフィック選手権(カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州クオリカムビーチ):優勝
- 世界ジュニア選手権(スウェーデン、エステルスンド):準優勝(予選リーグ:6勝3敗 4位)
- 世界選手権(カナダ、ニュー・ブランズウィック州セント・ジョン):9位(予選リーグ:3勝6敗 9位)
2000-2001年シーズン
- 世界選手権(スイス・ローザンヌ):7位(予選リーグ:4勝5敗 予選落ち)
2001-2002年シーズン
- パシフィック選手権(韓国・全州):2位(予選リーグ:8戦全勝)
- ソルトレークシティオリンピック:8位(予選リーグ:2勝7敗 予選落ち)
2003-2004年シーズン
- 日本選手権(長野・スカップ軽井沢):優勝
2004-2005年シーズン
- パシフィック選手権(韓国・春川):優勝(予選リーグ:4勝1敗)
- 世界選手権(スコットランド):9位(予選リーグ:3勝8敗 予選落ち)
- 日本選手権(長野・スカップ軽井沢):2位
2005-2006年シーズン
- トリノオリンピック代表選考会(北海道常呂町):第1戦で5-2でチーム長野に勝利、代表決定
- トリノオリンピック(ピネローロ・パラギアッチョ):7位(予選リーグ4勝5敗 予選落ち)
- 日本選手権(青森):優勝