薩弘恪

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薩弘恪(さつこうかく、生没年不詳)は、7世紀後半(飛鳥時代後期)に唐から倭(日本)へ帰化した渡来人。『大宝律令』の撰定に参画した人の一人。

続守言らとともに、鬼室福信斉明天皇に献上した唐人捕虜の一人だったと思われる。持統天皇3年(689年)6月、続守言とともに稲を賜る。この間に音博士に任ぜられたらしい。持統天皇5年(691年)、続守言とともに銀20両を賜る。文武天皇4年(700年)6月、『大宝律令』撰定の功により刑部親王らとともに禄を賜る。時に薩弘恪は勤大壱の位階にあった。

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