内々神社
提供: Yourpedia
春日井市内で最も古い神社のひとつで、平安時代に編纂された「延喜式神名帳」に記載されています。 伝説によると日本武尊が東征の帰路、内津の坂を下るころ、副将軍であった建稲種命が駿河の海で水死の報告を聞き、「現哉(うつつかな)」と泣き悲しんだことから、「内々神社」という名に、また「内津(うつつ)」という地名になったと伝えられています。 昔から武将の尊崇が厚く、豊臣秀吉の朝鮮役にも戦勝を祈願して、この社頭から軍船用の帆柱を伐り出したといわれています。 篠木荘33ヶ村の総鎮守でもありました。神社と密接な関係にある妙見寺は、室町時代初期に天台宗密蔵院開山慈妙上人によって開創されました。 権現造りの社殿は、江戸末期・名工立川一族により造られ、廻遊式林泉型の庭園は、夢窓国師作といわれています。
交通手段
住所
このページは Wikipedia日本語版由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は内々神社にあります。執筆者のリストは履歴をご覧ください。 Yourpediaと同じく、WikipediaはGFDLのライセンスで提供されています。 コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。