伊奈龍哉

提供: Yourpedia
2018年11月9日 (金) 02:19時点における107.178.36.23 (トーク)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
伊奈 龍哉
伊奈 龍哉
伊奈 龍哉

伊奈 龍哉(いな りゅうや、1988年5月9日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手外野手)。 2006年、高校生ドラフトの3巡目で指名され、近江高校(滋賀県)からソフトバンクに入団。2007年に戦力外通告を受け退団している。

犯罪歴

2010年4月29日午後3時ごろ、兵庫県洲本市海岸通のミニボートピア洲本で、ボートレースを一緒に座って観覧していた知人女性(21)の現金4万円入りの財布を盗んだ疑いで逮捕された。

2011年3月31日福島第1原発から30キロ圏内の屋内退避地域で被災した電柱の電線を盗んだとして、福島県警南相馬署が窃盗容疑で現行犯逮捕した。南相馬市原町区で、被災した電柱から地面に垂れ下がった電線約10メートル(時価9330円相当)を盗んだ疑い。現場は屋内退避を指示されている地域。通行人の男性が110番し、駆け付けた署員が取り押さえた。

元プロ野球選手が福井の船場で窃盗。伊奈龍哉容疑者、容疑否認(2014年8月)

福井県警鯖江、越前両署は13日、窃盗で兵庫県洲本市プロ野球[ソフトバンクの元選手で自称水産物卸売業の伊奈龍哉(26)を逮捕した。鯖江署によると、容疑を否認している。

伊那は兵庫県洲本市、無職・西堀通昭(37)、同、無職・吉澤雷火(40)、同県南あわじ市、無職・北崎公揮(23)の3被告=いずれも同罪で起訴済み=と共謀して、6月22日午後10時ごろから同10時半ごろにかけて、南越前町河野と越前町米ノの船揚場で、小

型船用の船外機3台を盗んだ。

伊奈は洲本市から電話で3人に指示していた。3人は「伊奈に盗みを誘われた」などと供述しており、同署は伊奈が主犯格とみている。6月18日夜にも越前町、南越前両町の漁港で船外機計8台が盗まれる被害があり、両署で関連を調べている。

伊奈は、2006年、高校生ドラフトの3巡目で指名され、ソフトバンクに入団、翌年退団した。

経歴

高校通算74本 → ソフトバンク入団 → 大怪我 → 1年で解雇 → 独立リーグ入団 → 怪我再発で半年で解雇 → 逮捕 → 逮捕

中学生の頃に砲丸投げでジュニア五輪を2度制覇と肩の強さを見せつける

近江高校では1年秋からベンチ入りし、2年春から4番を付ける。長打力から「伊奈ゴジラ」の異名を持ち身長182体重84とモテ要素も満載

滋賀大会では2本塁打を放ってチームの甲子園出場に貢献。ベンチプレス130キロ、背筋300キロと脅威のパワーで高校通算74本塁打を記録

ドラフト3位でソフトバンク入りと順風満帆

高校時代からの右肩の爆弾が悪化しソフトバンクを解雇される

徳島インディゴソックスでも右肩のせいで解雇。徳島での出場5試合での打撃成績は、14打数2安打2打点1盗塁。

競艇場で知人女性の財布パクって逮捕。彼女の金を勝手に使った上の痴話ゲンカか?

福島第1原発の30キロ圏で電線盗んで逮捕。1位指名でムショ入りへ

プロ入り前

洲本市立由良小学校2年生時、地元の「由良少年野球クラブ」で野球を始める。当時は遊撃手だった。由良中学校1年まで「神戸少年シニア」に所属。同中1年時、3年時には砲丸投げの選手としてジュニアオリンピックに出場し、優勝を遂げている。

近江高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年春から4番を任せられる。高校通算74本塁打。その長打力から「伊奈ゴジラ」の異名が付いた。2005年全国高等学校野球選手権滋賀大会では2本塁打を放ってチームの甲子園出場に貢献した。推定飛距離150mの本塁打も放っている。

2006年高校生ドラフト3巡目で福岡ソフトバンクホークスに指名され、入団。

ホークス時代

兵庫県洲本市の由良中学時代は、陸上の砲丸投げで2度の全国チャンピオンに輝いたアスリート。野球に専念しようと進学した滋賀県の近江高では、通算74本塁打を放ち“伊奈ゴジラ”と呼ばれた。打つときにバットがしなる感覚を大切にしており、高校生からバットは特注だったという。

その打力を買われ、高校生ドラフト3位で福岡ソフトバンクに入団。しかし、キャンプ中に痛めた右肩を4月に手術し、1軍での出場機会に恵まれないまま10月に戦力外通告を受けた。

2007年10月27日、高卒1年目のルーキー選手ながら戦力外通告を受ける。高校時代から右肩に故障を抱えており、4月に右肩関節の手術を行ったが状態は上向かなかった。球団は来季以降の戦力として見込めないと判断し、11月30日付で自由契約が公示された。

独立リーグ時代

「NPBに戻ってみせる」。この一心でILへ足を踏み入れた。同年12月、四国・九州アイランドリーグ徳島インディゴソックスに入団。

4勤1休だったNPBに比べて徳島は6勤1休。「想像したよりきつい」と話すが、練習後にはほぼ毎日、「趣味」という筋力トレーニングに励む。けがに泣く息子を見た父親(39)が整体師の免許を取ろうと整骨院で見習いを始めた。休日には故郷の洲本市へ帰り、マッサージを受けながら再起への思いを募らせている。

2008年はシーズン開幕後、指名打者を中心に5試合に出場したが、右肩の回復が思わしくないことから5月31日付で選手契約を解除。練習生としてチームに残る形で右肩の療養を行うことになった。出場5試合での打撃成績は、14打数2安打2打点1盗塁。のちに退団する。

背番号

  • 55 (2007年)
  • 17 (2008年)

関連項目

テンプレート:福岡ソフトバンクホークス2006年ドラフト指名選手