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2019年6月1日 (土) 21:47時点における版
萩原 真(はぎはら まこと)、斎藤 義暢(さいとう よしお)は、日本の宗教活動家。宗教団体・真の道の開祖。
1927年、満洲を訪問し、関東州関子の日高見農場で内山若枝に会って影響を受ける[1]。
1931年に萩原は大連の道院を訪問し、乩示(扶乩、降霊術)によって「瑞道」という名を与えられ、霊能者から天意を受けて働かなくてはならない使命を持っているといわれたといい、日本に帰国した後、真の道の前身にあたる宗教団体・千鳥会を開いた[2]。
小田秀人(小田 1985 60-61)によると、萩原は1931年に内山とともに小田を訪ねて来た一行の中にいた青年だったが、満洲に帰ってから「物理現象的霊能」を発揮するようになった。小田は、萩原を朝鮮から東京へ呼び寄せて日本の心霊界に紹介したという。
この頃、萩原は千葉県の九十九里浜近くで暮らしており、小田秀人や竹内満朋とともに九十九里浜で2月に5日間の「断食みそぎ」をしたことがあった[3]。
1933年(昭和8)12月20日に、東京・成城の巴章呂で行われた「神言拝受の儀式」には「巴章呂の一党」の1人として若林不比等、舟田六郎、竹内重郎、執行稲造らとともに出席。このとき、霊媒となった内山は、「みちから ちはえて あめつち ゆりませ」という16音の「ことたま」の託宣をした。[4]
付録
脚注
参考文献
- 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037
- 小田 (1985) 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年1月、ISBN 4884811291