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勝ち組(かちぐみ)とは、
目次
勝ち組の住居[編集]
六本木ヒルズ 32階 賃料 192万円。敷金 4ヶ月・礼金 無・間取り 2LDK。専有面積 104.44m2(31.59坪)
ラ・トゥール代官山7階 賃料 5310,000円。敷金 4ヶ月・礼金 無・間取り 1LDK・専有面積 501.24m2(151.62坪)
グロブナープレイス神園町
都心にありながら、広大な公園に囲まれた希少な立地、深い緑に囲まれた眺望。周囲の喧騒から一歩離れた平穏と静けさ。世界でも有数の大都市、東京の中心に生まれた格調と荘厳さを湛えた邸宅。現代日本とヨーロッパのセンスが融合したデザインは、上質でありながら華美ではない、今までにない洗練されたライフスタイルを提供しています。
賃料3,500,000円、敷金14,000,000円
今どき主婦たちの「勝ち組/負け組」の基準[編集]
あなたは、奥さんの愛読誌を知っているだろうか?リビングルームの片隅に積み上げられたバックナンバーを確認してみてほしい。表紙では井川遥が微笑んでおり、手に取って見ればその殺人的な重さに腰を抜かす……
それこそは昨今、日本中の主婦から“教典”として崇められる『VERY』である。
『VERY』にかぶれた主婦たち=「VERY妻」の実態に肉薄し、彼女らが望む「VERY的生活」を実現するために、いかにカネがかかるかをリポートする。
とあるVERY妻(夫の年収2000万円のリアル金持ち)は、「世帯年収が1000万円はないと厳しいはず」と断言。だが、一見カジュアルな世界観に騙され、うっかり取り込まれてしまう庶民妻も少なくない。あなたの奥さんは、大丈夫だろうか……?
VERY妻の「勝ち負け」は、「女としての人生を味わいつくしたかどうかで決まる」(佳奈子さん・34歳・世帯年収800万円)そうだ。したがって、同じ主婦でも子なしは価値がなく、子持ちが基本。それも「1人ではなく2人、2人より3人がエライ」(優子さん・37歳・世帯年収700万円)。なおかつ、「男の子と女の子が揃っているとバリューアップ」(同)なんだそう。こうした「主婦のヒエラルキー」の上位を目指し、VERY妻たちは今日も奮闘する。
「どうしても女の子が欲しくて、産み分けのカリスマと呼ばれる産婦人科医の元に通いました。通院費用は数十万円。先生の訓示どおり、夫には浅くしか挿入させないSEXを続けた結果、幸い女の子を授かったのですが、同じことをテレビでビッグ・ダディが言っていて呆然……」(同)
仕事も「専業」より、「ワーママ(働く母)」のほうが「やりつくした感」の演出に一役買うとか。ただし、あくまで演出なので、生活のための労働はパス!
「着付けの仕事がしたいと思って、資格の勉強を始めたんです」と微笑むVERY妻の真紀さん(33歳・世帯年収600万円)は、看護師の資格保有者だ。そっちのほうが、よほど家計の足しになると思うのだが……。仕事はあくまで「社会とのつながりを保つためのもの。自己表現の一環ですね」(同)。
その手段としてVERY妻から最高評価を得るのが「サロネーゼ」。
「自宅でサロンを開いて生徒さんを集めるんです。『子連れママのパン教室』みたいなのをやるのが(VERY妻にとって)一つの上がりなんですが、実際には家計からの持ち出しで運営している人も多いですね。サロンを開くには、人が呼べるほど家が広くて立地がいいことも条件。それをクリアできず、思い余って子供の幼稚園で自作パンの行商を始めた人も。園の庭先で、ビニール袋に詰めたパンをママ友に売りつける姿には鬼気迫るものが……」(佳奈子さん)
「夫の肩書」も、当然ながら妻の序列に影響する。官僚や一流商社マンであるに越したことはないが、そうでなくとも「グローバルに活躍するエリート」くらいのハクは必要とされるのだ。
「そのために、最近では『駐在妻』を自称するのが流行っているんです。たかだか3か月間、語学留学するだけの旦那に無理やりついていって、それだけでは期間が短すぎるからと、旦那が帰国した後も半年間、現地に居座った奥さんまでいましたね」(佳奈子さん)
当然、妻の滞在にまつわる諸費用は自腹である……。
子供を「帰国子女」にすることも、VERY妻がノドから手が出るほど欲しがるステイタス。
「最低でも2年は現地にいないと帰国子女は名乗れないのに、半年程度の現地滞在で、『ウチの子は帰国子女だから英語保持が……』とか言ってる奥さんには笑っちゃいますね。とはいえ、私も『子供がインターナショナルスクールに通っている』と言いたいために、インターのサマースクールに子供を入れましたけど(笑)。お値段は、4日間で3万5000円でした」
果たしてその4日間で、お子さんはグローバルな人材に育ったのだろうか? 他人からすれば、カネをどぶに捨てているようにしか見えないが、VERY妻にとっては要らぬお世話というものなのだろう……。
【VERY妻の[勝ち組]】
- 子供 - 男の子&女の子
- 夫の勤務先 - 官僚、大手商社、都銀、医者など
- 仕事 - 自己表現のための趣味的な仕事(サロネーゼなど)
- 住まい - 都心のタワーマンションor郊外の洋風一軒家
- 旅行先 - ハワイ
【VERY妻の[負け組]】
- 子供 - 子なし
- 夫の勤務先 - 中小企業、自営業
- 仕事 - 生活のための労働
- 住まい - 23区辺境のマンション
- 旅行先 - 国内
日系移民社会[編集]
南米(主にブラジル)及びハワイの日系人社会において、太平洋戦争終結後、戦時中「敵国人」として扱われていた為の情報不足により、日本が「ブラジルやアメリカ合衆国などの連合国軍に勝った」と信じていた人々の集団を勝ち組と呼んだ。これとは逆に「日本が負けた」と思っていた人たちは負け組と呼ばれた。この対立を利用して、偽ニュース売り、偽土地売り、偽円売りなど、日本人が日本人をだます詐欺犯罪が続発し、DOPS (ブラジルの特高)の手入れを受ける事態にまで発展した。
ブラジルにおいては1970年代初期まで、勝ち組と負け組の対立による後遺症が存在していた。第二次世界大戦直後の時点で、日本人移民30万人の内9割が日本敗戦のニュースをデマと信じる勝ち組であったと伝えられる。また、高度経済成長期末の1973年に日本に帰国した勝ち組の家族3組が「ほら見ろ、日本はこんなに豊かになっている、やっぱり日本は勝ったんだ。」といった趣旨の発言をしたという。ただし、この当時にはすでに日本の敗戦とその後の復興が一般に知られており、このような発言は日系移民社会においても時代錯誤に陥っていた。
ハワイでは、終戦から10年経過した後も勝ち組は存在したと言われている。その後、正しい情報の流入によって日本の敗戦の現実を知り、自然消滅した。
1946年には、ブラジルの勝ち組と負け組の間で大規模な抗争事件が起こり、死者も出た(参照:日系ブラジル人、臣道連盟)。しかし、戦後数年を経て社会的に問題になる事件は次第に下火になっていったが、一部では騒ぎが十年近く続いた。ペルーでも同様に日系ペルー人の間で両者に抗争が起きた。
勝ち組が発生した原因は、日本が短波で日本国外向けに放送していたラジオ・トウキョウが当時のブラジル移民の情報源になっており、報じられた戦争報道が大本営発表による「日本有利」の戦況をそのまま信じた事、そして戦後になって連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が放送を中止させたためにブラジル移民社会への情報の遮断が起こり、日本の情報が不足したことが指摘されている。これらの放送は短波ラジオで受信できたが、当時そのような高性能ラジオは大変高価であった。また、多くの日系移民はポルトガル語の一般新聞が読めなかった。同時に、当時ブラジルではヴァルガス大統領の下に国粋主義政策がとられ、街頭で外国語での(日本語以外の言語も含め)会話が憚られた。
1970年代初期まで、ブラジルの日系移民社会において、日本が戦争に勝ったのか負けたのかを話題にすることは憚られている場合があったと伝えられており、勝ち組と負け組の対立は根強いものであった。戦後対応に成功した負け組の人々の中に、社会的経済的な成功者がいたという、ブラジル日系移民社会独自の背景もあった。
参考文献[編集]
- 太田恒夫『「日本は降伏していない」―ブラジル日系人社会を揺るがせた十年抗争』(文藝春秋、1995年、ISBN 4163501703)
格差社会[編集]
「失われた20年」が始まり格差社会化が目立つようになった1990年代後半以降は一般に、多額の資産や巨大な名声を手に入れた実業家や投資家などの富裕層、あるいはその様な企業(プライベート・エクイティ・ファンドの経営者など)や何らかの活動グループ、すなわち成功者を人生の勝者と見なし、この呼称で呼ぶ様になった。元々は、日本経済新聞紙上やテレビ東京で多く用いられており[1]、現在でも多用する傾向にある。逆に、低賃金であったり、社会的地位や信頼が低かったり、出世コースから外れた労働者らを人生の敗者と見なし、負け組と呼ぶ。派生語として、ニートを指す「待ち組」なる言葉も生まれた。
これらの新用法に対しては、「かつての用法とかけ離れた意味である」「そもそも誰が人生の『勝ち』『負け』という基準を決めるのか」等の批判がある。
社会への影響[編集]
「勝ち組・負け組」という概念が生まれた要因の一つとして、日本国内における、いわゆる一億総中流社会の崩壊による収入と消費の二極化の発生と、その固定化・世襲化があると言われる。この事は企業のマーケティング戦略にも大きな影響を及ぼした。とある企業は勝ち組向けのビジネスや富裕層市場を拡充させ、トヨタ自動車のレクサスを始めとする高級品や都心のタワーマンション、業績が好調な企業が多く結集し、勝ち組の象徴と持て囃された六本木ヒルズや東京ミッドタウン等が生まれた。一方、負け組向けのそれとしては貧困ビジネスが挙げられる。こうしたマーケティング戦略の中には成功を収め、多額の利益をもたらした例も数多い。
その一方で、「勝ち組・負け組」という概念が差別に結び付く事態も発生している。例えば現在、職業において「勝ち組の仕事の代表格は同族企業の親族」「負け組の仕事の代表格はマクドナルドの店員」といった様な偏見が生まれており、「勝ち組」「負け組」という言葉が半ば職業差別として機能している一面があり、諺「職業に貴賎なし」は建前化しつつある。また、職業以外にも、学歴、容姿、恋愛、さらには出身地、血液型、趣味に至るまで、つまり「個人による何らかの違い」が存在する多くの要素において、同様の差別や偏見が発生しているか、あるいは今後発生する可能性がある。これは雑誌などの書籍や新聞・テレビといったマスメディアがこのような表現を意図して行っていることが一因であると見る向きがある。
また、このような格差社会は犯罪(特に無差別殺傷事件)を生み出す要因にもなりうる。有名なところでは「負け組」が世の中に絶望して起こした秋葉原通り魔事件がある。
勝ち組を扱ったテレビ番組[編集]
など。
関連項目[編集]
ここでは主に格差社会における勝ち組・負け組の意味合いでの関連項目を記載する。
- 勝ち組・負け組の実態
- 格差社会 - 希望格差社会 - ウォール街を占拠せよ
- 下流社会
- ジニ係数
- 勝ち組・負け組を生む要因とされるもの
- 一般的な勝ち組像
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 【コラム】ウォール・ストリート人の母だけに愛される子供たち (デビッド・ウェイドナー、ウォールストリート・ジャーナル2011年1月14日)
- DIRTY HEARTS ブラジルにおける日系社会の勝ち組と負け組についての映画の予告編