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{{Redirect|田無町|かつての田無市本町に相当する西東京市の町|田無町 (西東京市)}}
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'''田無市'''(たなしし)は、かつて[[東京都]]に存在した[[]]である。東京都[[東京都区部|特別区部]]への通勤率は44.7%(平成12年国勢調査)。[[2001年]][[平成]]13年)[[1月21日]]に保谷市と合併し'''[[西東京市]]'''となった。
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市章の説明 = |
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都道府県=東京都|
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支庁=|
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面積=6.80|
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境界未定=|
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人口=78,165|
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人口の時点=2000年国勢調査|
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隣接自治体=[[保谷市]][[武蔵野市]][[小金井市]]、<br />[[小平市]]、[[東久留米市]]|
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木=[[ケヤキ|けやき]]、[[はくうんぼく]]|
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花=[[タナシツツジ]]|
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シンボル名=他のシンボル|
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郵便番号=188-8666|
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所在地=田無市南町五丁目6番13号|
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電話番号=0424-64-1311|
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外部リンク=|
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'''田無市'''(たなしし)は、かつて[[東京都]]に存在した[[市]]である。[[2001年]]([[平成]]13年)[[1月21日]]に'''[[保谷市]]'''と合併し'''[[西東京市]]'''となった。
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全国でも[[埼玉県]][[蕨市]]、埼玉県[[鳩ヶ谷市]][[東京都]][[狛江市]]についで4番目に小さい市であった。
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== 地名の由来 ==
 
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# '''棚瀬'''が変化し「たなし」となり、田無の字があてられた説
 
# '''棚瀬'''が変化し「たなし」となり、田無の字があてられた説
 
# '''田成'''が田無に変化した説
 
# '''田成'''が田無に変化した説
# '''種なし'''が田無となった説。田無では税の取立てが厳しく、種(本来ならモミか)までとられてしまうため、周囲の村から'''種なしの村'''と呼ばれたと言う説。
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# '''種なし'''が田無となった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種[[籾]])までとられてしまうため、周囲の村から'''種なしの村'''と呼ばれたと言う説。
  
1の説では、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無い([[陸稲]]が中心)こと。2と3の説では、途中で意味は正反対に変わってしまっていること。4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、決め手となる説がないのが現状である。
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1の説では、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無い([[陸稲]]が中心)こと。2と3の説では、途中で意味は正反対に変わってしまっていること。4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、決め手となる説がない。
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
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* [[1873年]](明治6年)[[5月13日]] - 区番組制により第11区4番組に編入される。
 
* [[1873年]](明治6年)[[5月13日]] - 区番組制により第11区4番組に編入される。
 
* [[1876年]](明治9年)4月 - [[大区小区制]]により神奈川県第11大区5小区に編入される。
 
* [[1876年]](明治9年)4月 - [[大区小区制]]により神奈川県第11大区5小区に編入される。
* [[1878年]](明治11年)[[7月22日]] - 北多摩郡に編入され神奈川県[[北多摩郡]]田無村となる。
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* [[1878年]](明治11年)[[7月22日]] - [[北多摩郡]]に編入される。
* [[1879年]](明治12年)[[5月7日]] - 町制施行([[郡区町村編制法]]下)し神奈川県北多摩郡田無町となる。
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* [[1879年]](明治12年)[[5月7日]] - 町制施行([[郡区町村編制法]]下)し田無町となる。
* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行に伴い、田無町がそのまま単独町制。また、飛地が久留米村の大字田無となる(現在の[[東久留米市]][[下里 (東久留米市)|下里]]の一部)。
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* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行に伴い、'''田無町'''がそのまま単独町制。また、飛地が久留米村の大字田無となる(現在の[[東久留米市]][[下里 (東久留米市)|下里]]の一部)。
* [[1893年]](明治26年) - 北多摩郡が東京府に編入されるに伴い、東京府北多摩郡田無町となる。
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* [[1893年]](明治26年) - 北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所属となる。
 
* [[1927年]]([[昭和]]2年) - 西武鉄道開通、[[田無駅]]開業。
 
* [[1927年]]([[昭和]]2年) - 西武鉄道開通、[[田無駅]]開業。
* [[1943年]](昭和18年)[[7月1日]] - [[東京都制]]施行により東京都北多摩郡田無町となる。
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* [[1943年]](昭和18年)[[7月1日]] - [[東京都制]]施行により東京都の所属となる。
* [[1967年]](昭和42年) - 市制施行。東京都田無市となる(東京で16番目/全国で563番目)。
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* [[1967年]](昭和42年) - 市制施行。'''田無市'''となる(東京で16番目/全国で563番目)。保谷市・[[国立市]]も同日付である。
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** 北多摩郡で[[当初から町制を施行している町の一覧#関東地方_2|当初から町制を施行していた]]自治体のうち、[[単独市制]]施行したのは当市だけである。[[調布町]]・[[府中町 (東京都)|府中町]]はいずれも合併市制。
 
* [[2001年]]([[平成]]13年)[[1月21日]] - 保谷市と合併し西東京市となる(21世紀最初の合併による市制施行)。
 
* [[2001年]]([[平成]]13年)[[1月21日]] - 保谷市と合併し西東京市となる(21世紀最初の合併による市制施行)。
  
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== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
* [[消滅した日本の市町村の一覧]]
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* [[日本の廃止市町村一覧]]
 
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* [[東京都の廃止市町村一覧]]
{{東京府の自治体}}
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[[Category:東京都の市町村 (廃止)|たなしし]]
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[[Category:西東京市|旧たなしし]]
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[[en:Tanashi, Tokyo]]
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{{デフォルトソート:たなしし}}
[[ko:다나시 시]]
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[[Category:東京都の市町村 (廃止)]]
[[zh:田無市]]
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[[Category:西東京市の歴史]]

2015年5月13日 (水) 08:14時点における最新版

田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在したである。東京都特別区部への通勤率は44.7%(平成12年国勢調査)。2001年平成13年)1月21日に保谷市と合併し西東京市となった。

全国でも埼玉県蕨市、埼玉県鳩ヶ谷市(現川口市)、東京都狛江市についで4番目に小さい市であった。

地名の由来[編集]

田無の地名は、1559年永禄2年)の後北条家の文書にあるのが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。

  1. 田んぼが無いため田無となった説
  2. 棚瀬が変化し「たなし」となり、田無の字があてられた説
  3. 田成が田無に変化した説
  4. 種なしが田無となった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種)までとられてしまうため、周囲の村から種なしの村と呼ばれたと言う説。

1の説では、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無い(陸稲が中心)こと。2と3の説では、途中で意味は正反対に変わってしまっていること。4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、決め手となる説がない。

歴史[編集]

青梅街道所沢街道が交差する交通の要所で、かつ青梅街道の宿場町として江戸時代より栄える。

宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央本線)の開業によりその地位を失う。その後は西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となり、昭和10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京のベッドタウンとしての発展を続けた。

江戸時代より商業的に発展していたことから、周辺の地区が複数の村を統合して明治以降、村を形成したのに対して、田無は江戸から同じ市域で明治以降の田無村となった。全国の市で、複数の大字(に相当する区域)を持たない唯一の市であった。そのため明治20年代より幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、2001年(平成13年)に隣接する保谷市との合併を果たした。

姉妹都市・提携都市[編集]

関連項目[編集]