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2013年12月16日 (月) 00:59時点における版
桶川ストーカー殺人事件(おけがわストーカーさつじんじけん)は、1999年10月26日に埼玉県桶川市のJR高崎線桶川駅前で、桶川市泉台に住む跡見学園女子大学文学部国文科2年の猪野詩織ちゃんが元交際相手とその兄が雇った男によって殺害された事件である。
目次
概要
被害者がこれらのグループから監視・中傷・脅迫・プライバシーの侵害等のストーカー行為を受けていたために、「ストーカー殺人事件」と呼ばれることが多い。またこの事件がきっかけとなって、「ストーカー規制法」が制定された。 日本で最初に認知された集団ストーカー事件でもある。
この事件は警察の怠慢な捜査も発覚した事件でもある。被害者とその家族は、幾度となく埼玉県警上尾署に相談し告訴状を提出していた。しかし警察側は捜査をせずにこれを放置し、被害者の家族に告訴の取り下げを要求した。この警察の不正は週刊誌フォーカスが明らかにした。また、告訴状を改ざんしていたことは内部調査で明らかになった。最後に埼玉県警が不正捜査を認めて謝罪することとなった。
改ざんに関わった署員は懲戒免職になり、のちに有罪判決を受けた。被害者の人格を攻撃するなどして、自らの捜査怠慢をひた隠しにしてきたという。また遺族の家に刑事が常駐し、マスコミとの接触をさせないようにしていたとも言われる。
遺族は埼玉県(埼玉県警)を相手に「国家賠償請求訴訟」を起こしたが、2006年8月30日最高裁にて、捜査怠慢と殺人の因果関係は否定し慰謝料550万円の支払いのみを命じた1・2審の判決が確定した。
経緯
1999年
- 1月 - 被害者の女子大生Aが加害者の小松和人と知り合う。
- 2月~3月 - 和人が異常な行動を見せ暴力を振るうなどしたことから、Aは別れ話を切り出すが、和人は家族に危害を加えるといった脅迫をし交際の続行を強要。このころからAは身の危険を感じるようになり、遺書を用意するなどの行動をする。それ以降、和人によるストーカー行為が始まる。
- 6月14日 - 和人とその兄の小松武史らが上尾市内のAの自宅に押しかけ、Aを脅迫し、現金500万円を要求する。
- 6月15日 - Aが埼玉県警上尾署に相談する。しかし「民事不介入」を理由に、上尾署は全く取り合わなかった。これ以降、Aの家に頻繁に無言電話がかかってくるようになる。
- 6月15日 - 武史が元職場の同僚のに、Aの殺害を依頼する。
- 7月13日 - Aの自宅周辺と学校・父親の勤め先に、約300枚の誹謗中傷のビラが貼られる。
- 7月29日 - Aが犯人を名誉毀損で埼玉県警察署に告訴。
- 8月23日・24日 - Aの父親の勤め先などに、約800通もの誹謗中傷の手紙が届く。
- 9月07日 - 上尾署員が告訴状を被害届に改竄。
- 9月21日 - 上尾署員がAの母親に対して告訴取り下げを要請する。
- 10月16日 - 深夜、Aの自宅前に大音響を鳴らした車2台が現れる。
- 10月26日 - AがDらによって殺害される。事件後、上尾署はAを中傷する虚偽の内容の記者会見を行い、被害者であるAに非があるかのように発表。マスコミ各社の多くもそれをそのまま報道する。
- 11月 - 写真週刊誌「フォーカス」に事件の記事が掲載される。内容はストーカーグループの異常さを浮き彫りにした記事だった。この後もフォーカス誌独自の立場で継続的に事件を扱う。
- 12月 - フォーカス誌の清水潔が独自に殺害犯人グループを特定し、その写真をフォーカス誌に掲載する。
- 12月19日 - フォーカス誌から情報を得た埼玉県警察は、久保田を逮捕し、翌20日、武史を含むA殺害に関わった3人を殺人容疑で逮捕。しかし事件の全容を知る立場の和人は逃亡する。
2000年
- 1月16日 - 埼玉県警察は殺害実行犯を含む中傷に関わった12名を名誉棄損容疑で逮捕し、和人を指名手配する。清水潔記者は和人を追って北海道へ行く。
- 1月27日 - 和人の死体が北海道で発見される。警察は自殺と断定し、フォーカス誌にて埼玉県警上尾署の怠慢な捜査体制、告訴状取り下げの要請などが記事になる。
- 3月07日 - 事件が国会で取り上げられ、議員が警察を追及する。
- 3月04日 - テレビ朝日『ザ・スクープ』で事件が放送される(フォーカス誌を読んだ鳥越俊太郎が取材)。
- 4月06日 - 埼玉県警は「調書改ざん」や「捜査放置」を認め謝罪し、署員の処分を決定。
- 5月18日 - この事件をきっかけに「ストーカー規制法(ストーカー行為等の規制等に関する法律)」が成立。同年11月24日施行。
- 9月07日 - 告訴状の改ざんに関わっていた元署員3名が虚偽有印公文書作成容疑で有罪判決。
- 10月26日 - 遺族が殺人や名誉棄損に関与した加害者ら計17人に対し、損害賠償を求め提訴。
- 12月22日 - 遺族が埼玉県(埼玉県警)に国家賠償請求訴訟を起こす。裁判になると一転、埼玉県警は「この事件はストーカー事件ではない」、「単なる男女の痴話げんか」、「Aの遺書は若い女性特有の空想」などと反論。
2001年
- 7月17日 - 殺害実行犯の久保田に懲役18年、見張り役だった伊藤嘉孝に懲役15年の実刑判決が言い渡される。
2002年
- 6月27日 - 車の運転手役だった川上聡に懲役15年の実刑判決が言い渡される。
2003年
- 2月16日 - 埼玉県(埼玉県警)に対する国家賠償請求訴訟の判決で、さいたま地裁は、「捜査怠慢」を認め計550万円の支払いを命じたが、「捜査と殺害の因果関係」は否定。遺族は翌日控訴し、その後埼玉県(埼玉県警)側も控訴した。
- 12月25日 - 主犯の武史に無期懲役の1審判決が言い渡される。
2005年
- 1月26日 - 埼玉県(埼玉県警)に対する国家賠償請求訴訟の判決で、東京高裁は1審・さいたま地裁の判決を支持し双方の控訴を棄却。上告。
- 12月20日 - 武史に対する刑事裁判の控訴審判決で、東京高裁は1審・さいたま地裁の判決を支持し被告人側の控訴を棄却。上告。
2006年
- 3月31日 - 加害者やその家族に対する損害賠償請求訴訟の判決で、さいたま地裁は約1億250万円の支払いを命じる。<ref>平成12年(ワ)第2324号損害賠償請求事件</ref>
- 8月30日 - 最高裁第2小法廷は埼玉県(埼玉県警)の上告を「理由にならない」として棄却。これにより2審の判決が確定。
- 9月5日 - 最高裁第2小法廷は武史の上告を棄却、無期懲役が確定する。
影響
警察の民事不介入が事件を引き起こしたとされ、国の警察刷新会議は2000年、この原則にとらわれないよう提言を発表したが、その反動で警察による行き過ぎた民事介入が顕著化していると、月刊誌『ZAITEN』2009年4月号が指摘した。
また、従来は「ストーカー」という言葉は「追跡者」などという意味で用いられていたが、当事件を鳥越俊太郎などが「桶川ストーカー殺人事件」という名称で追跡報道した事がきっかけの1つとなって、日本においては「つきまとい型犯罪者」という極めてネガティブな意味に変質し、従来の様な単純な「追跡者」という意味での使用はされる事がなくなった。ちなみに、この事件の以前を見れば、1994年に放映されたテレビアニメ『機動武闘伝Gガンダム』では、「物語の追跡者」という意味でストーカーという名が付けられた、語り部役のキャラクターが毎回冒頭に登場している。
参照
<references/>
関連書籍
- 『桶川ストーカー殺人事件 - 遺言』清水潔・著(新潮文庫)ISBN 4101492212
- 『遺言 - 桶川ストーカー殺人事件の深層』清水潔・著(新潮社)ISBN 4104405019
- 『桶川女子大生ストーカー殺人事件』鳥越俊太郎+取材班・著(メディアファクトリー)ISBN 4840101590
- 『虚誕 - 警察に作られた桶川ストーカー殺人事件』鳥越俊太郎+小林ゆうこ・著(岩波書店)ISBN 4000225227
テレビ放送
- 2002年6月10日(6月9日深夜) - 日本テレビのNNNドキュメント’02 で『帰らぬ遺品 ~桶川ストーカー殺人事件 再検証』が放送された。
- 2002年10月28日 - 清水潔記者の書いた『遺言 - 桶川ストーカー事件の深層』(新潮社刊)が日本テレビのスーパーテレビ情報最前線・特別版で『実録ドラマ 遺言・桶川ストーカー殺人事件』としてドラマ化され放送された。出演は椎名桔平、内藤剛志など。
- 2003年12月13日 - 『ひまわり - 桶川女子大生ストーカー殺人事件』としてもドラマ化され、テレビ朝日の土曜ワイド劇場で放送された。原作は鳥越俊太郎の著作による。出演は内山理名、渡瀬恒彦など。