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内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年(昭和57年)8月4日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
元東北楽天ゴールデンイーグルスの吉田豊彦とは子供の頃からの知り合いである。大分県立大分工業高等学校時代は、骨嚢腫[1]により左かかとを3回に渡って手術しながらも、通算43本塁打を放った。3年生の全国高等学校野球選手権大分大会には遊撃手として出場し、チームは準優勝を挙げた。
当時、大分工高の監督でもあった父親の内川一寛(現在は大分県立情報科学高等学校の監督)が法政大学出身だったため、内川も法大進学が確実視されていたが、ドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名を受けて入団[2]。広島東洋カープも指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチ・大下剛史主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ(NHK総合テレビ『にんげんドキュメント・村上孝雄 -いつか輝く原石を求めて-』でもそのシーンが放送された)、もし広島から1位指名された場合は拒否をして進学するとしていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている[3]。
横浜時代[編集]
1年目から一軍を経験。2年目の2002年から代打として42試合に出場、70打席ながら打率.333、2本塁打と結果を残した。
2003年のキャンプ中、突然右目の視力が極端に悪くなり、開幕一軍を逃す。シーズン途中に再調整のため降格した石井琢朗に代わり、5月から2番・遊撃手のレギュラーに定着するが、原因不明の体調不良が続いて右手の握力が弱くなり、ボールを握ることすら出来なくなったため、6月に登録抹消。9月に再昇格した後は二塁手として起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因は、アゴが右側に曲がって頚椎の神経を圧迫していたことだったと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増された(結局整形はせず、奥歯の噛み合わせを矯正することで解消した)。
2004年、7番・二塁手として初めて開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁での先発出場が多くなった。打撃では自己最多の17本塁打を放ち、得点圏打率は4割後半を記録した。
2005年、堅守の種田仁が打撃好調だったため、慣れない左翼手のポジションを小池正晃や古木克明と争うが、後半戦のレギュラーは守備力の高い小池に固定され、代打での出場が多くなった。
2006年には不振の種田に代わり二塁手に復帰するが、佐伯貴弘を筆頭にチームに故障者が相次いだことや、自身の送球難から左翼手や一塁手に回る事も多かった[4]。初めて100試合出場を達成したが、規定打席には届かなかった。
2007年、多村仁の移籍や自身の守備難により本格的に外野手へ転向され、右翼手に固定された。開幕から結果が出ず降格した時もあったが、再昇格後の8月には打率.448を記録し、復活を印象付けた。同シーズンはプロ入り後初めて、シーズンを通して外野手を務めた。
2008年は開幕から打撃好調で、佐伯の不振により4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、オールスターゲームに監督推薦で外野手部門で初出場し、2試合を通じて5打席連続安打を記録するなど活躍、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。後半戦も好調を維持し、右打者としては1999年のロバート・ローズを抜き、日本人選手のセリーグ記録も更新する打率.378を記録(従来は1951年、巨人・川上哲治の.377)。自身初の首位打者に輝いた。同シーズンは最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルも獲得した他、得点圏打率は両リーグトップの.449を記録した。村田修一、吉村裕基と共に右打者の並ぶクリーンナップは、低迷するチームの中にあって他球団の脅威となった。
2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、第1ラウンド2回戦の対韓国戦に6番・一塁手として先発出場。金廣鉉から三塁線を破る2点適時二塁打を放ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位を決める対韓国戦でも、先制された直後に張洹三から同点本塁打を放った。決勝の韓国戦では6番・左翼手として出場し、5回裏の守備では高永民が打った鋭い当たりにスライディングで突っ込み、正確な送球で打者走者を二塁でアウトにする好プレーを見せた。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者として右前安打を打ってイチローの決勝2点適時打のお膳立てをし、走者として決勝の得点を踏んだ。同大会では主に左投手相手に起用され、大会成績は6試合出場で打率.333(18打数6安打)、1本塁打であった。
2009年、同じくWBCの代表に選出された村田が大会期間中の3月30日に右脚を故障したため、内川は開幕4番打者を務め、全打順での試合出場を達成した。平成になって初の台覧試合となった7月12日のヤクルト戦(神宮球場)前、愛子内親王が内川のファンであったこともあり皇太子一家への挨拶を果たしたが、自分のファンであることを聞かされた内川は「僕でいいのかな」とコメントを残している[5]。この年はアレックス・ラミレスと首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.318を記録した。この年外野手として獲得したダン・ジョンソンが怪我で一塁しか守れないこともあり、同年は主に左翼を守った。10月5日、フジテレビアナウンサーの長野翼との交際が明らかになり[6]、翌年の3月24日に結婚した[7]。2012年6月5日、球団のツイッターで、翼夫人が5日に福岡市内の病院にて、体重3,956g女児を出産したことを発表。
2010年、6月3日に国内FA権を獲得。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、小椋真介から自身初の満塁本塁打を放った。当初は主に3番・一塁手としての出場が多かったが、シーズン途中に獲得したブレット・ハーパーが一塁しか守れなかったため、シーズン後半は1番・右翼手での出場が中心となる。最終的にリーグ3位の182安打を記録し、自身初めての全試合出場、3年連続打率3割を達成した。シーズン終了後の11月8日、FA権行使を表明[8]。福岡ソフトバンクホークスと広島東洋カープが獲得に名乗りを上げ、両球団と交渉を行い、12月1日に内川の地元である大分に最も近い球団であるソフトバンクへ移籍することを表明した[9]。
ソフトバンク時代[編集]
12月6日に正式に契約を交わし、同じく移籍した細川亨と共に入団会見を行った[10]。契約内容は4年契約で総額5億6000万円から13億6000万円の間での変動制。背番号はWBCで着用した24に決まった。
2011年、4月に打率.397、安打、塁打(38)でリーグトップ、打点、二塁打(5)でリーグ2位タイ、長打率(.603)でリーグ3位の好成績を残し、自身2度目となる月間MVPを獲得した[11][12]。交流戦では打率 .326(交流戦6位)、20打点(交流戦4位)、4本塁打(交流戦7位タイ)、長打率.554(交流戦2位)と活躍し、交流戦の優勝に貢献。MVPも獲得した[13]。度重なる左足腿のケガに悩まされ一軍登録抹消やベンチ入りしながら代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。首位打者を事実上確定させた後も最終戦まで出場を続け、打率.338で自身2度目、江藤愼一以来史上2人目の両リーグでの首位打者を獲得した。
ポストシーズンではクライマックスシリーズファイナルステージでは第1戦と第2戦に先制打を放つなど活躍し、最優秀選手賞を獲得した。日本シリーズでは第2戦の第2打席で、中日ドラゴンズの落合博満監督からバットにテーピングをしていることに対しクレームをつけられ、テープを剥がしてプレイを続行するという一幕もあった。12月1日には、パ・リーグ年間最優秀選手に選出され、自身初となるシーズンMVPを獲得した[14]。
2012年シーズンからは、現・ソフトバンク監督の秋山幸二が現役時代付け、前年までは柴原洋が付けていた背番号1を引き継ぐことになった。 シーズンでは開幕当初はまずまずだったものの、6月には月間打率.128と大不振に終わる。それでも後半巻き返し、5年連続打率.300を記録し2年連続のタイトルとなる最多安打を獲得した。契約更改では、現状維持の1億7000万円で更改した。
プレースタイル[編集]
打撃は早打ち型で三振と四球共に少ない。もともとは球を前でさばくバッティングに自信を持っていたが、コーチの杉村繁から、ボールを体の近くまで引き付けて打つようアドバイスされる[15]。杉村との特訓による打撃改造が実って広角にヒットを量産するようになり、2008年に初めて首位打者のタイトルを獲得した。また、和田一浩がキャンプ中はカーブマシンしか打たないと聞いて、「遅いボールを強く打つということがどれだけ大変なのかが改めてわかった」とコメントしている[16]。
首位打者を獲得した2008年から2010年までの対左打率.356と左投手に強い。特に首位打者を獲得した2008年には対左打率.439を残し、2009年のWBCでは日本代表監督の原辰徳にこの点が評価され[17]、左投手の先発試合では積極的に3番で起用された。
外野守備ではライト線近くの打球に弱く、右翼手での守備範囲は平均を下回るが[18]、右打者ながら一塁到達まで4.20秒と平均以上の脚力は備えている。内野守備ではフィールディングは悪くないが、イップスのため短い距離の送球が出来ないこともあり[4]スローイングに難があると評されるも、外野守備でのスローイングは比較的安定している。ちなみに、メジャーのスカウトからは前述のWBCでの好送球とバットスピードが速い点から「ジェイソン・ワースを思わせる」と評価されている[19]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 横浜 | 3 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2002 | 42 | 73 | 66 | 11 | 22 | 4 | 1 | 2 | 34 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 1 | 0 | 13 | 1 | .333 | .371 | .515 | .887 | |
2003 | 45 | 161 | 150 | 20 | 47 | 5 | 0 | 4 | 64 | 18 | 4 | 4 | 6 | 0 | 5 | 0 | 0 | 13 | 1 | .313 | .335 | .427 | .762 | |
2004 | 94 | 369 | 338 | 55 | 97 | 11 | 1 | 17 | 161 | 45 | 2 | 7 | 12 | 1 | 18 | 0 | 0 | 42 | 7 | .287 | .322 | .476 | .798 | |
2005 | 90 | 262 | 234 | 33 | 64 | 11 | 0 | 5 | 90 | 23 | 1 | 1 | 6 | 1 | 19 | 1 | 2 | 36 | 10 | .274 | .332 | .385 | .717 | |
2006 | 124 | 439 | 402 | 41 | 115 | 15 | 2 | 4 | 146 | 34 | 8 | 3 | 7 | 3 | 22 | 0 | 5 | 64 | 9 | .286 | .329 | .363 | .692 | |
2007 | 92 | 274 | 247 | 24 | 69 | 17 | 3 | 7 | 113 | 29 | 3 | 4 | 4 | 1 | 16 | 0 | 6 | 37 | 9 | .279 | .337 | .457 | .795 | |
2008 | 135 | 544 | 500 | 83 | 189 | 37 | 1 | 14 | 270 | 67 | 2 | 3 | 5 | 4 | 31 | 1 | 4 | 49 | 7 | .378 | .416 | .540 | .956 | |
2009 | 132 | 552 | 503 | 65 | 160 | 32 | 2 | 17 | 247 | 66 | 1 | 5 | 2 | 4 | 42 | 5 | 1 | 56 | 16 | .318 | .369 | .491 | .860 | |
2010 | 144 | 637 | 577 | 75 | 182 | 36 | 4 | 9 | 253 | 66 | 1 | 2 | 3 | 4 | 47 | 1 | 6 | 51 | 17 | .315 | .371 | .438 | .809 | |
2011 | ソフトバンク | 114 | 463 | 429 | 48 | 145 | 21 | 3 | 12 | 208 | 74 | 4 | 0 | 0 | 7 | 25 | 1 | 2 | 48 | 3 | .338 | .371 | .485 | .856 |
2012 | 138 | 567 | 523 | 44 | 157 | 21 | 3 | 7 | 205 | 53 | 6 | 4 | 0 | 7 | 31 | 6 | 6 | 36 | 12 | .300 | .342 | .392 | .734 | |
通算:12年 | 1153 | 4343 | 3971 | 500 | 1247 | 210 | 20 | 98 | 1791 | 482 | 32 | 33 | 48 | 32 | 260 | 16 | 32 | 445 | 92 | .314 | .358 | .451 | .809 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績[編集]
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | |||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2001 | - | - | - | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||||||||||||
2002 | - | 16 | 34 | 32 | 1 | 9 | .985 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | ||||||||||
2003 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 24 | 49 | 63 | 4 | 11 | .966 | - | 18 | 28 | 60 | 5 | 7 | .946 | - | ||||||||||
2004 | - | 82 | 196 | 274 | 10 | 56 | .979 | - | 9 | 5 | 14 | 2 | 2 | .905 | - | |||||||||||||||
2005 | 4 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 9 | 4 | 10 | 1 | 1 | .933 | - | 59 | 78 | 0 | 1 | 0 | .987 | |||||
2006 | 43 | 328 | 14 | 1 | 27 | .997 | 60 | 128 | 174 | 10 | 37 | .968 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | 12 | 13 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2007 | - | - | - | - | 79 | 119 | 1 | 2 | 0 | .984 | ||||||||||||||||||||
2008 | 119 | 1094 | 75 | 5 | 96 | .996 | - | - | - | 11 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2009 | - | - | - | - | 130 | 216 | 1 | 3 | 1 | .986 | ||||||||||||||||||||
2010 | 73 | 651 | 38 | 4 | 47 | .994 | - | - | - | 72 | 127 | 6 | 0 | 2 | 1.000 | |||||||||||||||
2011 | - | - | - | - | 88 | 126 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | ||||||||||||||||||||
2012 | - | - | - | - | 136 | 236 | 7 | 1 | 2 | .996 | ||||||||||||||||||||
通算 | 240 | 2082 | 128 | 10 | 170 | .996 | 183 | 407 | 544 | 25 | 113 | .974 | 12 | 4 | 14 | 1 | 1 | .947 | 31 | 33 | 78 | 7 | 9 | .940 | 587 | 927 | 19 | 7 | 6 | .993 |
- 2012年度シーズン終了時
タイトル[編集]
表彰[編集]
- 最優秀選手:1回(2011年)
- ベストナイン:通算4回(2008年 = 一塁手部門、2009年、2011年、2012年 = 外野手部門)
- セ・リーグ会長特別賞:1回(2008年、右打者史上最高打率に対しての表彰)
- 月間MVP:2回(2008年8月、2011年4月)
- 「ジョージア魂」賞:1回(2011年度第12回)
- オールスターゲームベストバッター賞、マツダ ビアンテ賞(イチロー以来の5打席連続安打)
- セ・パ交流戦MVP:1回 (2011年)
- クライマックスシリーズMVP : 1回(2011年)
- 日本シリーズ特別賞
- みんなで選ぶコナミ賞:1回(2011年)
- ドリームナイン賞:1回(2011年)
- BASEBALL HEROES賞:1回(2011年)
- 大分市民栄誉賞(2008年)
- パ・リーグ特別表彰:1回(2011年:史上2人目となるセ、パ両リーグで首位打者を獲得)
記録[編集]
- 初記録
- 初出場:2001年3月30日、対ヤクルトスワローズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏にジョン・ズーバーの代走として出場
- 初安打:2002年4月24日、対中日ドラゴンズ5回戦(札幌ドーム)、9回裏にエディ・ギャラードから右前安打
- 初先発出場:2002年5月3日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、7番・二塁手として出場
- 初本塁打・初打点:2002年7月7日、対中日ドラゴンズ15回戦(石川県立野球場)、5回表に山井大介から左越ソロ
- 初盗塁:2003年6月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:工藤公康、捕手:村田善則)
- 節目の記録
- 1000本安打:2011年6月9日、対読売ジャイアンツ4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回裏に東野峻から右前安打 ※史上265人目
- 1000試合出場:2011年9月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、3番・左翼手として先発出場 ※史上446人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:4回 (2008年 - 2009年、2011年 - 2012年)
- 3打席連続本塁打:2004年5月18日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、1回裏・3回裏に木佐貫洋、4回裏にマシュー・ランデルから
- 全球団から本塁打:2011年6月19日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、5回表に須田幸太から左越ソロ ※史上21人目
日付 | 対戦球団 | 球場 | 回 | 相手投手 | 通算本数 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2002年7月7日 | 中日15回戦 | 石川県立野球場 | 5回表 | 山井大介 | 1 |
2 | 4月6日 | 巨人15回戦 | 東京ドーム | 8回表 | 岡島秀樹 | 2 |
3 | 2003年6月3日 | ヤクルト10回戦 | 横浜スタジアム | 7回裏 | 河端龍 | 3 |
4 | 2004年4月9日 | 広島1回戦 | 広島市民球場 | 2回表 | 黒田博樹 | 7 |
5 | 4月28日 | 阪神4回戦 | 阪神甲子園球場 | 7回表 | 吉野誠 | 12 |
6 | 2005年5月17日 | オリックス1回戦 | 大阪ドーム | 8回表 | 川越英隆 | 24 |
7 | 5月22日 | 西武3回戦 | 横浜スタジアム | 1回裏 | 山岸穣 | 25 |
8 | 2006年5月11日 | 楽天3回戦 | 横浜スタジアム | 4回裏 | 愛敬尚史 | 31 |
9 | 2008年5月21日 | 日本ハム2回戦 | 札幌ドーム | 8回表 | 星野八千穂 | 42 |
10 | 2009年6月7日 | ロッテ3回戦 | 横浜スタジアム | 4回裏 | 成瀬善久 | 64 |
11 | 2010年6月15日 | ソフトバンク4回戦 | 横浜スタジアム | 4回裏 | 小椋真介 | 72 |
12 | 2011年6月19日 | 横浜4回戦 | 横浜スタジアム | 5回表 | 須田幸太 | 85 |
背番号[編集]
- 25 (2001年)
- 2 (2002年 - 2010年)
- 24 (2011年)
- 1 (2012年 - )
登場曲[編集]
- ザ・キラーズ「Somebody Told Me」(2005年)
- フランツ・フェルディナンド「Do You Want To」(2006年)
- 大塚愛「フレンジャー」(2006年)
- 倖田來未「BUT」(2007年)
- RYUKYUDISKO「NICE DAY feat. BEAT CRUSADERS」(2007年)
- ヨースケ@HOME 「トコナッツ」(2008年夏季)
- グッド・シャーロット 「DANCE FLOOR ANTHEM」(2008年)
- 桜 FUNKY MONKEY BABYS (2010年)
- Blue Stealer「Take The Dream」(プロレスラー・佐々木健介の入場曲)(2009年、2010年)
- ゆず「虹」(2009年、2010年)
- 無限 -MUGEN-「魂 ~spirit~」(2011年)
- 遊助 「ひまわり (遊助の曲)」 (2012年)
- 福山雅治 「vs. 〜知覚と快楽の螺旋〜」 (2012年)
- 斉藤和義 「やさしくなりたい」 (2012年8月〜、当曲を登場曲にしていた松田宣浩の故障離脱後から使用。)
関連情報[編集]
コマーシャル[編集]
脚注[編集]
- ↑ 骨に穴が開く病気。
- ↑ 【11月17日】2000年(平12) 実質1年で43本塁打!難病克服した内川聖一、横浜1位指名スポニチ
- ↑ 『広島スカウト』 第三回朝日新聞 2000年11月の記事より
- ↑ 4.0 4.1 イップスなどの障害、顎、2008年の右打者クリーンアップ
- ↑ 2009年7月12日スポーツニッポン、内川のブログ
- ↑ 横浜内川がフジ女子アナと真剣交際 日刊スポーツ 2009年10月6日閲覧
- ↑ 横浜:内川とフジ:長野アナ結婚 サンケイスポーツ 2010年1月13日閲覧
- ↑ 横浜・内川、FA視野「しっかりした環境で」 サンケイスポーツ 2010年11月8日閲覧
- ↑ 内川の横浜退団が決定 ソフトB入り デイリースポーツ 2010年12月1日閲覧
- ↑ 内川「九州に帰ってきた」日刊スポーツ、2010年12月6日。
- ↑ 4月度「日本生命月間MVP」受賞者発表
- ↑ 「ほっとしている」内川は両リーグ受賞
- ↑ 2011年度「日本生命セ・パ交流戦」最優秀選手賞(MVP)および日本生命賞決定のお知らせ
- ↑ セが中日・浅尾、パはソフトバンク内川…MVP 読売新聞 2011年12月1日閲覧
- ↑ 【プロ野球】コーチの真髄(3)~横浜・杉村繁「ふたりの大打者を育てた挫折組のあふれる愛情」集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
- ↑ 内川聖一、打撃開眼への道のり
- ↑ 【WBC】1位通過へカギ握る“左キラー”内川
- ↑ Baseball Lab守備評価~Right FielderSMR Baseball lab
- ↑ 現役スカウト部長が見た日本チーム『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、52頁