「イタリアの地震」の版間の差分

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== イタリアで起きた主な地震 ==
 
== イタリアで起きた主な地震 ==
=== ポンペイ地震(62年)===
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この項目では、最近(2000年以降)にイタリアで発生した主な地震について解説する。
62年2月5日、カンパニア州で地震。震源付近のポンペイ等で甚大な被害が出た。
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この地震の17年後には、ポンペイの近くあるベスビオ山で大噴火が発生。再び被害を受ける。
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=== カラブリア地震(1905年) ===
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1905年9月8日、カラブリア州でM7.2の地震。津波もあった。死者は少なくとも500人。カラブリア州では2年後(1907年)にもM6.0程度の地震が起きている。
  
=== シチリア地震(1169年) ===
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=== メッシナ地震(1908年)===
1169年2月4日、シチリアで地震。死者多数。
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1908年12月28日、メッシナ海峡付近で、M7.1の地震が発生。津波も発生し、その高さは10mを超えた。死者は8万〜10万人とも言われ、ヨーロッパの歴史の中でも最悪の死者数である。
  
この地震が起きた年には、シチリアにあるエトナ山が噴火し、壊滅的な被害が出た。
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=== アベツァーノ地震(1915年)===
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1915年1月13日、イタリア中部でM6.7の地震。死者30000人前後。
  
=== フリウリ地震(1348年)===
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=== ガルファニャーナ地震(1920年)===
1348年1月25日、イタリア北部のフリウリで地震。死者多数。
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1920年9月7日、トスカーナ州で地震。M6.5。死者およそ200人。
  
=== ラクイラ地震(1461年) ===
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=== イルピニア地震(1930年)===
1461年11月26日、イタリア中部のラクイラで地震。死者約100人。
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1930年7月23日、イタリア南部のイルピニアで地震。M6.6。死者約1400人。
  
=== フリウリ地震(1511年) ===
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=== イルピニア地震(1962年)===
1511年3月26日、再びフリウリで大きな地震。死者多数。M6.5。
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1930年の地震から32年後、再びイルピニアで地震が起こる。M6.3。死傷者1400人。
  
=== アマトリーチェ地震(1639年) ===
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=== フリウリ地震(1976年) ===
1639年10月7日、イタリア中部のアマトリーチェで地震。M6.2。死者500人ほど。
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1976年5月6日、イタリア北部のフリウリで地震。規模はM6.7。死者1000人程。
 
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=== バル・ジ・ノート地震(1693年)===
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1693年1月11日、シチリア島で大地震。M7.6。死者数万人。
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=== ナポリ地震(1805年) ===
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1805年7月26日、再びカンパニア州で地震。ナポリ等で大きな被害。死者5000人以上。
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2019年8月26日 (月) 15:56時点における版

イタリアの地震(いたりあのじしん)では、ヨーロッパイタリアで発生する地震について記述する。

地震の原因

イタリアやギリシャなど、ヨーロッパ南部は、ユーラシアプレートとアフリカプレートが衝突する地域であり、日本と同様に地震が多い地域である。さらに、日本と同じように、火山も多い(例:ベスビオ山・エトナ山)。

イタリアで起きた主な地震

この項目では、最近(2000年以降)にイタリアで発生した主な地震について解説する。

カラブリア地震(1905年)

1905年9月8日、カラブリア州でM7.2の地震。津波もあった。死者は少なくとも500人。カラブリア州では2年後(1907年)にもM6.0程度の地震が起きている。

メッシナ地震(1908年)

1908年12月28日、メッシナ海峡付近で、M7.1の地震が発生。津波も発生し、その高さは10mを超えた。死者は8万〜10万人とも言われ、ヨーロッパの歴史の中でも最悪の死者数である。

アベツァーノ地震(1915年)

1915年1月13日、イタリア中部でM6.7の地震。死者30000人前後。

ガルファニャーナ地震(1920年)

1920年9月7日、トスカーナ州で地震。M6.5。死者およそ200人。

イルピニア地震(1930年)

1930年7月23日、イタリア南部のイルピニアで地震。M6.6。死者約1400人。

イルピニア地震(1962年)

1930年の地震から32年後、再びイルピニアで地震が起こる。M6.3。死傷者1400人。

フリウリ地震(1976年)

1976年5月6日、イタリア北部のフリウリで地震。規模はM6.7。死者1000人程。