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'''14世紀'''(じゅうよんせいき)は、[[西暦]][[1301年]]から西暦[[1400年]]までの100年間を指す。 == 14世紀の歴史 == === 世界 === 14世紀の[[ヨーロッパ]]では[[ペスト]]により人口が大きく減少(詳細は後述)した後、'''[[ルネサンス|イタリアルネサンス]]'''により、新しい時代へと大きく転換した。 13世紀に[[ユーラシア大陸]]を覆っていた[[モンゴル帝国]]は弱体化し、[[アジア]]各地に'''[[明|明王朝]]'''や'''[[ティムール朝]]'''など地域的な新しい国家が誕生、モンゴル帝国の[[元 (王朝)|元王朝]]は明王朝の脅威から逃れるため、[[大都]]を捨て北部[[モンゴル高原]]へ退去した(以後、[[北元]]と呼ばれる)。一方、13世紀末に成立した'''[[オスマン帝国]]'''も勢力を拡大した。 ==== ペスト(黒死病)の大流行 ==== 正確な統計はないが、全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に[[農奴制|農奴]]不足が続いていた[[荘園|荘園制]]に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。 === 日本 === 14世紀の日本は、時代区分上では[[中世]]、[[鎌倉時代]]後期から[[室町時代]]の初期([[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の全期間を含む)にあたる。 ==== 鎌倉時代 ==== 2度に渡る[[元寇]]を撃退し、[[得宗]]権力を強めた鎌倉[[北条氏|北条]]政権であったが、[[武士]]たちに募る恩賞の不満や[[徳政令]]の発布、[[霜月騒動]]、[[平禅門の乱]]などによる政治的混乱で政権への不満を招いていた。 ==== 南北朝時代・室町時代 ==== [[後醍醐天皇]]の討幕運動に[[足利尊氏]]・[[新田義貞]]らの活躍で[[鎌倉幕府]]は滅亡し、後醍醐天皇は'''[[建武の新政]]'''と呼ばれる[[親政|天皇親政]]を開始する。新政は唐突な改革による混乱と恩賞などに対する武士層を中心とする不満を招き、離反した尊氏が[[京都]]に[[室町幕府]]を開いて'''[[北朝 (日本)|北朝]]'''を立てると、[[吉野]]に逃れた後醍醐天皇の'''[[南朝 (日本)|南朝]]'''と対立する(南北朝時代)。 その後南朝の勢力は衰亡するが、尊氏と弟[[足利直義|直義]]が対立する内紛([[観応の擾乱]])が起き、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。幕府内部での政治抗争は3代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義満]]の時代まで続き、抗争により有力[[守護大名]]が南朝に奔るといった状態が繰り返される。[[今川貞世]]が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に義満により'''南北朝の合一'''が行われる。これより前の1379年には室町幕府の政治事件「[[康暦の政変]]」も起こっており、以後義満は1391年に[[明徳の乱]]、1399年に[[応永の乱]]を自らの主導により誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて[[天皇]]の権威にせまる将軍権力を確立する。 ==== 近隣諸国との関係・琉球の情勢 ==== 元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、[[天龍寺船]]などの寺社造営資金の調達のための貿易船([[寺社造営料唐船]])の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには[[倭寇]]と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である[[懐良親王]]は明の使節を迎えて[[冊封]]を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「[[日本国王]]」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。 一方、当時の[[朝鮮半島]]でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た[[李成桂]]が[[高麗]]王朝を倒し[[李氏朝鮮]]が成立する。 [[琉球]]では中山・南山・北山の[[三山時代]]を迎えて、いずれも明王朝に[[朝貢]]をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に[[琉球王国]]の成立にいたる。 == できごと == * [[中国]]では元朝の衰退により、明朝成立。 * 1300年頃に[[スウェーデン]]による[[フィンランド]]遠征([[北方十字軍]]の完了)。 ---- * 1301年 ** オゴタイ家のカイドゥが没し、30年にわたるカイドゥの乱が終わる。 ** [[後伏見天皇]]が譲位し、第94代[[後二条天皇]]が即位。 ** [[北条師時]]が鎌倉幕府第10代[[執権]]に就任。 * 1302年 ** フランス王フィリップ4世による[[三部会]]の招集。 ** [[ブリュージュ]]の朝課事件と、続く[[金拍車の戦い]](コルトレイクの戦い)で[[フランドル]]がフランスから独立。 * 1303年 - [[アナーニ事件]]。 * 1305年 - 元のテムル(成宗)にオゴタイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。 * 1308年 **神聖ローマ皇帝[[アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト1世]]が甥[[ヨーハン・パリツィーダ|ヨーハン]]に暗殺される。 ** 後二条天皇が没し、第95代[[花園天皇]]が即位。 * 1308年 - [[守邦親王]]が鎌倉幕府第9代将軍となる。 * 1308年 - [[ルーム・セルジューク朝]]滅亡。 * 1309年 - [[アヴィニョン捕囚]](教皇のバビロン捕囚)。 * 1311年 - [[北条宗宣]]が鎌倉幕府第11代執権に就任。 * 1312年 - [[北条煕時]]が鎌倉幕府第12代執権に就任。 * 1314年 ** [[バノックバーンの戦い]]で、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。 ** フランスで「ネールの塔」事件が発覚する。国王フィリップ4世が死去。 * 1315年 ** [[北条基時]]が鎌倉幕府第13代執権に就任。 ** モルガルテンの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利。 * 1315年〜1321年頃 - ヨーロッパで激しい[[飢饉]]。→ [[小氷期]]。 * 1316年 - [[北条高時]]が鎌倉幕府第14代執権に就任。 * 1317年 ** 鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる([[文保の和談]])。 ** アヴィニョン教皇ヨハネス22世の回勅「クォルムダム・エクスィギト」により清貧論争が激化。 * 1318年 ** 花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。 ** イル・ハン国宰相であった[[ラシードゥッディーン]]が処刑される。 * 1320年 ** [[デリー]]で[[トゥグルク朝]]が成立。 ** [[スコットランド王国|スコットランド]]で[[アーブロース宣言]]を採択、イングランドからの独立が決定的に。 * 1323年 ** 南坡の変で、元の皇帝[[シデバラ]](英宗)が御史大夫[[テクシ]]に暗殺される。 ** この頃、元から日本へ向かう[[寺社造営料唐船|東福寺造営料唐船]]が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没(新安沈船)。 * 1324年 ** 後醍醐天皇の挙兵計画である [[正中の変]]が発覚。 ** マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。 * 1326年 ** [[北条貞顕]]が鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。 ** [[北条守時]]が鎌倉幕府第16代執権に就任。この一連の政変を[[嘉暦の騒動]]という。 ** [[チャガタイ・ハン国]]の東西分裂。 * 1327年 ** 王妃[[イザベラ・オブ・フランス|イザベラ]]によりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。 ** ジェーラムの戦いで、[[ムハンマド・ビン・トゥグルク]]がチャガタイ・ハン国を撃破。 * 1328年 ** 元で天暦の内乱。 ** フランスで[[カペー朝]]が断絶。[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]が即位し[[ヴァロワ朝]]が始まる。 * 1330年 - イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。 * 1331年 - [[元弘の変]] ** 8月 後醍醐天皇、[[三種の神器]]を持って[[笠置山 (京都府)|笠置山]]に入る。 ** 9月 幕府の奏請により、量仁親王が即位して、北朝初代[[光厳天皇]]となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。 ** 10月 後醍醐天皇、神器を光厳天皇に渡す。 * 1332年 - 幕府、後醍醐天皇を[[隠岐島]]に流す。 * 1333年 - 足利尊氏・新田義貞らにより鎌倉幕府が滅亡。 ** 5月 後醍醐天皇、光厳天皇と[[正慶]]の年号を廃止する。新田義貞、[[鎌倉]]を陥落させる。建武の新政はじまる。 ** 6月、後醍醐天皇が京都に入る。 ** 7月、[[記録荘園券契所|記録所]]を復置する。 ** 9月、[[雑訴決断所]]を設置する。 * 1334年 ** [[南禅寺]]を五山の第一とする。 ** スコットランド王[[デイヴィッド2世 (スコットランド王)|デイヴィッド2世]]がフランスに亡命。 * 1335年 ** [[北条氏]]の遺臣が[[中先代の乱]]を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に[[護良親王]]を殺害。 ** ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。 * 1336年 ** 3月 [[筑前国]]の[[多々良浜の戦い]]で足利尊氏が多々良浜に[[菊池武敏]]を破る。 ** 5月 [[湊川の戦い]]で足利尊氏、新田義貞・[[楠木正成]]を[[湊川 (兵庫県)|湊川]]で破る。 ** 11月 後醍醐天皇、北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が「[[建武式目]]」を定める([[室町幕府]]の成立)。 ** 12月 後醍醐天皇、吉野へ逃れる。(南北朝分立、1336年 - 1392年) ** ハリハラとブッカがトゥグルク朝から独立を宣言し、[[ヴィジャヤナガル王国]]を建国。 * 1337年 - [[イングランド王国|イングランド]]と[[フランス王国|フランス]]の間で[[百年戦争]]が始まる(-[[1453年]])。 * 1338年 - [[四條畷の戦い]] ** 5月 [[北畠顕家]]、[[高師直]]らと堺浦・石津に闘い、死ぬ。 ** 8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍とする。足利尊氏[[室町幕府]]初代将軍となる。 ** レンゼ選帝侯会議により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。 * 1339年 ** [[8月15日 (旧暦)|8月15日]]、後醍醐天皇が譲位し、第97代[[後村上天皇]]が即位。翌16日、後醍醐天皇、52歳で没する。 * 1340年 ** サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝はイベリア半島から撤退。 ** [[ハールィチ・ヴォルィーニ戦争]]始まる( - [[1392年]])。 * 1341年 ** [[塩冶高貞]]が高師直の讒言により討たれる。 ** 東ローマ帝国で[[ヨハネス5世パレオロゴス|ヨハネス5世]]と[[ヨハネス6世カンタクゼノス|ヨハネス6世]]の帝位争い。この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失。 * 1344年 - [[アラゴン連合王国|アラゴン王国]]が[[バレアレス諸島]]の[[マヨルカ王国]]を併合。 * 1346年 ** [[クレシーの戦い]]。 ** [[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]が「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。 * 1347年 ** ペストが流行し、ヨーロッパや[[北アフリカ]]の人口が激減( - 1351年)。 ** [[カレー包囲戦]]により[[カレー (フランス)|カレー市]]がイングランド軍に降伏(「[[カレーの市民]]」)。 * 1348年 - イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。[[ガーター勲章]]も制定。 * 1350年 - [[タイ王国|タイ]]で[[アユタヤ王朝]]成立。 * 1350年 - 観応の擾乱と呼ばれる室町幕府の内部抗争が勃発。 * 1351年 - [[紅巾の乱]]。 * 1352年 - [[寺社本所領事|応安の半済令]]施行。 * 1353年 - [[イルハン朝]]の滅亡。 * 1356年 ** [[神聖ローマ皇帝]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]によって、帝国の基本的な体制を規定する[[金印勅書]]が発布される。 ** [[ポワティエの戦い]] 。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。 ** 元朝で[[中国の貨幣制度史|交鈔]]が廃止になる。 * 1357年 - ポルトガル国王[[ペドロ1世 (ポルトガル王)|ペドロ1世]]の即位。惨殺された愛妾[[イネス・デ・カストロ]]を王妃として復権させる。 * 1358年 ** [[足利義詮]]が室町幕府第2代将軍となる。 ** 商人ハンザと都市ハンザの統合で[[ハンザ同盟|ハンザ都市同盟]]が正式に発足。 * 1359年 - [[ジョチ・ウルス|キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)]]、君主([[ハーン]])乱立時代に入る( - 1378年)。 * 1360年 - 5月、幕府執事の[[細川清氏]]が[[佐々木道誉]]の讒言で失脚する。 * 1362年 - デンマークとハンザ同盟との戦争が始まる( - 1370年) * 1368年 ** 後村上天皇が没し、第98代[[長慶天皇]]が即位。 ** [[朱元璋]]が明を建国。 ** 足利義満が室町幕府第3代将軍となる。 * 1369年 - トラスタマラ伯エンリケがカスティリア王[[ペドロ1世]]を殺害し王位に就く([[エンリケ4世]])。トラスタマラ朝の成立。 * 1370年 - ティムール朝の成立。 * 1375年 - [[アステカ王国]]の成立。 * 1376年 ** イングランドで「善良議会」が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。 ** [[空印事件|空印の案]]。 * 1378年 ** [[花の御所]]の造営開始。 ** [[教会大分裂]]([[シスマ]])。 ** [[フィレンツェ]]で[[チョンピの乱]]が起きる。 * 1379年 - [[斯波氏]]の[[クーデター]]である康暦の政変で[[管領]]の[[細川頼之]]が失脚する。 * 1380年 ** [[クリコヴォの戦い]]で[[ルーシ]]諸侯連合軍がキプチャク・ハン国に勝利。 ** [[胡惟庸の獄]]。 * 1381年 - イングランドで[[ワット・タイラー]]に率いられた[[農民]]・[[労働者]]が[[暴動]]を起こす([[ワット・タイラーの乱]])。 * 1383年 - 長慶天皇が譲位し、第99代[[後亀山天皇]]が即位。 * 1385年 ** [[ポーランド王国]]と[[リトアニア大公国]]が[[クレヴォの合同]]を結ぶ。 ** [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]が[[アヴィス王朝]]を創始。[[アルジュバロタの戦い]]で[[カスティーリャ王国]]軍撃破。 * 1386年 ** [[ポーランド・リトアニア合同|ポーランド・リトアニア連合王国]]成立([[ヤギェウォ朝]])。 ** ゼンパッハの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。 * 1388年 ** [[ブイル・ノール]]湖畔の戦いで明が北元に勝利。逃亡した[[トグス・テムル]]も殺害され北元で[[クビライ]]家の皇帝(ハーン)が断絶。 ** イングランドで「無慈悲議会」が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。 ** [[威化島回軍]]により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。 * 1389年 - [[コソヴォの戦い]]。オスマン帝国が[[セルビア]]を従属させる。 * 1390年 - ** 明朝の朱元璋が[[梁王国]]を滅ぼし、[[雲南省|雲南地方]]を中国に併合 。 ** [[李善長の獄]]。 * 1391年 - 明徳の乱 * 1392年 ** 李成桂が高麗を滅ぼし李氏朝鮮建国。 ** 南北朝の合一。後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代[[後小松天皇]]に渡す。 ** フランス国王シャルル6世が発狂する。 * 1393年 ** オスマン帝国の[[タルノヴォ]]征服により[[第二次ブルガリア帝国]]が滅亡する。 ** [[藍玉の獄]]。 * 1394年 - 足利義満が将軍職を第4代[[足利義持]]に譲り、[[太政大臣]]となる。 * 1396年 - [[ニコポリスの戦い]]。オスマン帝国、欧州連合撃破。 * 1397年 ** [[カルマル同盟]]成立。[[デンマーク]]が盟主。 ** [[鹿苑寺]]金閣の建造。 *[[1398年]] - [[ティムール]]の[[ティムールの征服戦争#インド遠征|インド北部侵攻]]。 * 1399年 ** 6月 足利義満の命により[[大内義弘]]の兵が[[朝鮮]]に渡って倭寇を討つ。 ** 7月 [[靖難の変]]。 ** 12月 応永の乱、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟[[大内弘茂]]降伏。 ** イングランド王リチャード2世が廃位され、ヘンリー4世が即位して[[ランカスター朝]]が成立。 == 人物 == === キリスト教世界 === ==== ローマ教皇 ==== * [[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]([[1235年]] - [[1303年]]) - ローマ教皇(在位[[1294年]] - [[1303年]])・フランス王と争いアナーニ事件後に憤死 * [[クレメンス5世 (ローマ教皇)|クレメンス5世]]([[1264年]] - [[1314年]]) - ローマ教皇(在位[[1305年]] - [[1314年]])・教皇庁を[[アヴィニョン]]に移転する * [[ヨハネス22世 (ローマ教皇)|ヨハネス22世]]([[1244年]]? - [[1334年]]) - ローマ教皇(在位[[1316年]] - [[1334年]])・清貧論争や聖職禄問題に介入 * [[ウルバヌス6世 (ローマ教皇)|ウルバヌス6世]]([[1318年]] - [[1389年]]) - ローマ教皇(在位[[1378年]] - [[1389年]])・教会大分裂のローマ派初代 * [[クレメンス7世 (対立教皇)|クレメンス7世]]([[1342年]] - [[1394年]]) - ローマ教皇(対立教皇)(在位[[1378年]] - [[1394年]])・教会大分裂のアヴィニョン派初代 ==== フランス・フランドル ==== * [[ジャック・ド・モレー]]([[1244年]]? - [[1314年]]) - [[テンプル騎士団]]の最後の総長・[[ヴィエンヌ公会議]]の決定で処刑される * [[ベルナール・ギー]]([[1261年]]/[[1262年]] - [[1331年]]) - フランスのドミニコ会士・[[異端審問]]官・『異端審問の実務』の他に多くの教会文書を編纂 * [[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]](端麗王)([[1268年]] - [[1314年]]) - フランス王(在位[[1285年]] - [[1314年]])・アナーニ事件で教皇権を抑える * [[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]([[1293年]] - [[1350年]]) - [[ヴァロワ朝]]初代のフランス王(在位[[1328年]] - [[1350年]])・百年戦争では[[クレシーの戦い]]で敗北 * [[ジャン・ビュリダン]]([[1295年]]頃 - [[1358年]]) - フランスの聖職者・哲学者として「[[インペトゥス理論]]」を展開・「[[ビュリダンのロバ]]」でも有名 * [[ギヨーム・ド・マショー]]([[1300年]]頃 - [[1377年]]) - フランスの[[アルス・ノーヴァ]]の作曲家・詩人・「[[ノートルダム・ミサ曲]]」が有名 * [[エティエンヌ・マルセル]]([[1315年]] - [[1358年]]) - パリ市長・王太子シャルルと対立し百年戦争の間にパリを支配・ジャックリーの乱とも合流 * ギョーム・カルル(? - [[1358年]]) - フランスの農民・[[ジャックリーの乱]]の指導者・ナバラ王シャルルに敗れ処刑される * [[ベルトラン・デュ・ゲクラン]]([[1320年]] - [[1380年]]) - フランスの軍人・国王シャルル5世に仕え百年戦争初期に活躍・フランスの劣勢を挽回 * [[ニコル・オレーム]]([[1323年]] - [[1382年]]) - フランスの聖職者・科学者として『天体地体論』を執筆・国王側近として貨幣改革の理論家として活躍 * [[ジャン・フロワサール]]([[1337年]]頃 - [[1405年]]頃) - [[フランドル]]出身の年代記作家・『年代記』は百年戦争前半における重要な史料 * [[シャルル5世 (フランス王)|シャルル5世]](賢明王)([[1338年]] - [[1380年]]) - ヴァロワ朝のフランス王(在位[[1364年]] - [[1380年]])・ブレティニ・カレー条約で領土奪回 * [[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ2世]](豪胆公)([[1342年]] - [[1404年]]) - [[ヴァロワ家]]の初代[[ブルゴーニュ公]](在位[[1363年]] - [[1404年]])・婚姻によりフランドルを継承 * [[ロクス]]([[1348年]] - [[1376年]]([[1295年]] - [[1327年]]説もあり)) - フランス南部[[モンペリエ]]出身の信仰者・[[黒死病]]に対する守護聖人として崇敬される ==== イタリア ==== * [[ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ]]([[1246年]] - [[1328年]]) - イタリア生まれの宣教師・インドを経て中国で宣教を行い[[大都]]大司教となる * [[ダンテ・アリギエーリ]]([[1265年]] - [[1321年]]) - フィレンツェの政治家・哲学者・詩人・『[[神曲]]』や『[[新生 (詩集)|新生]]』の著者 * [[ジョット・ディ・ボンドーネ]]([[1267年]]頃 - [[1337年]]) - フィレンツェの[[ゴシック]]期の画家・彫刻家・建築家・[[ルネサンス]]の先駆者とされる * [[パドヴァのマルシリウス]]([[1275年]]/[[1280年]]/[[1290年]] - [[1342年]]/[[1343年]]) - イタリアの哲学者・神学者・『平和の擁護者』の著者 * [[シモーネ・マルティーニ]]([[1284年]]頃 - [[1344年]]) - シエナのゴシック期の画家・アヴィニョンでも活躍し[[国際ゴシック]]の先駆者とされる * [[オドリコ|ポルデノーネのオドリコ]]([[1286年]] - [[1331年]]) - イタリア出身のフランシスコ会士・インドから中国まで歴訪し『東洋旅行記』を残す * [[ジョヴァンニ・デ・マリニョーリ]]([[1290年]]? - [[1357年]]) - イタリア出身のフランシスコ会士・宣教師として元朝に赴き順帝に会見 * [[フランチェスコ・ペトラルカ]]([[1304年]] - [[1374年]]) - イタリアの人文主義者・古典学者・詩人・『アフリカ』『凱旋』の著者 * ジル・デ・アルボルノス([[1310年]] - [[1367年]]) - スペイン出身の枢機卿・アヴィニヨン教皇に従いイタリア各地の僭主を平定し教皇領を回復 * [[ジョバンニ・ボッカチオ]]([[1313年]] - [[1375年]]) - フィレンツェの古典学者・[[作家]]・『[[デカメロン]]』の著者 * コーラ・ディ・リエンツォ([[1313年]]? - [[1354年]]) - ローマの政治家・護民官を名乗り教皇不在のローマ復興を唱えるが処刑される * [[シエナのカタリナ]]([[1347年]] - [[1380年]]) - ドミニコ会第三会員の在俗修道女・教皇のアヴィニョンからローマへの帰還を促す・後に列聖 * [[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]([[1351年]] - [[1402年]]) - [[ヴィスコンティ家]]の初代ミラノ公(在位[[1395年]] - [[1402年]]) ==== 神聖ローマ帝国 ==== * [[マイスター・エックハルト]]([[1260年]]頃 - [[1328年]]頃) - ドイツの神学者・[[神秘主義]]者・異端宣告を受ける・著作に『神の慰めの書』など * [[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]([[1282年]] - [[1347年]]) - [[ヴィッテルスバッハ朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1314年]] - [[1347年]])・レンゼ選帝侯会議を開催 * [[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]([[1316年]] - [[1378年]]) - [[ルクセンブルク朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1355年]] - [[1378年]])・「金印勅書」を発布 * [[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]](建設公)([[1339年]] - [[1365年]]) - [[ハプスブルク家]]のオーストリア公・「大公」の詐称やウィーンの整備で有名 * [[ティル・オイレンシュピーゲル]]([[1300年]]? - [[1350年]]?) - ドイツのクナイトリンゲン出身の[[トリックスター]]・民衆本の伝説で有名 ==== イングランド ==== * [[オッカムのウィリアム]]([[1285年]] - [[1347年]]) - イングランドのフランシスコ会士・後期スコラ学(唯名論)の神学者・哲学者 * [[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]([[1312年]] - [[1377年]]) - イングランド王(在位[[1327年]] - [[1377年]])・百年戦争を引き起こす * [[ジョン・ウィクリフ]]([[1320年]]頃 - [[1384年]]) - [[オックスフォード大学]]教授・その教説から[[ロラード派]]が展開し[[宗教改革]]の先駆者となる * [[エドワード黒太子]]([[1330年]] - [[1376年]]) - イングランドの[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の王太子・[[クレシーの戦い]]やポワティエの戦いで勝利 * [[ワット・タイラー]](? - [[1381年]]) - イングランドの農民・[[ワット・タイラーの乱]]の指導者・ロンドン市長により暗殺される * [[ジョン・ボール]]([[1338年]]頃 - [[1381年]]) - イングランドの神父・ウィクリフの影響を受けワット・タイラーの乱では精神的指導者となる * [[ジェフリー・チョーサー]]([[1343年]]頃 - [[1400年]]) - イングランドの[[詩人]]・『[[カンタベリー物語]]』の著者 * ジョン・マンデヴィル(生没年不詳) - イングランドの著作家・幻想と奇談で知られる『東方旅行記』を書く・架空人物説もある ==== スコットランド ==== * [[ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス]]([[1266年]]? - [[1308年]]) - スコットランドの[[フランシスコ会]]士・後期[[スコラ学]](実在論)の[[神学者]]・精妙博士 * [[ウィリアム・ウォレス]]([[1272年]]頃 - [[1305年]]) - スコットランドの愛国者・イングランドによるスコットランド支配に抵抗 * [[ロバート1世 (スコットランド王)|ロバート1世]]([[1274年]] - [[1329年]]) - スコットランド国王(在位[[1306年]] - [[1329年]])・[[スコットランド独立戦争|独立戦争]]に勝利・[[アーブロース宣言]]を採択 ==== 東ローマ帝国 ==== * テオドロス・メトキテス([[1270年]] - [[1332年]]) - 東ローマ帝国宰相・[[パレオロゴス朝ルネサンス|パレオロゴス時代]]の建築を代表する[[カーリエ博物館|コーラ修道院]]の増改築を行う * ヨハンネス・ククゼレス([[1280年]]頃 - [[1360年]]) - 東ローマ帝国の音楽家・カロフォニーと呼ばれる詠唱法を大成・「光栄讃詞」などの作品がある * [[ヨハネス6世カンタクゼノス]]([[1295年]] - [[1383年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1347年]] - [[1354年]])・帝位継承争いで国土を消耗・『歴史』を残す * [[グレゴリオス・パラマス]]([[1296年]] - [[1359年]]) - [[アトス山]]の修道士・[[テッサロニキ|テサロニケ]]大主教・神学者として[[静寂主義]](ヘシカズム)を提唱 ==== 東欧 ==== * [[ゲディミナス]]([[1275年]] - [[1341年]]) - [[リトアニア大公国]]の君主(在位[[1316年]] - [[1341年]])・キリスト教化に苦慮しつつ東方に領土拡大 * [[イヴァン1世]](カリター)([[1288年]] - [[1340年]]) - [[モスクワ大公]](在位[[1325年]] - [[1340年]])・モンゴルの徴税制度を利用しモスクワの支配を拡大 * [[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]([[1308年]] - [[1355年]]) - ネマニッチ朝の[[セルビア帝国]]の君主(在位[[1346年]] - [[1355年]])・[[バルカン半島]]に覇を唱える * [[カジミェシュ3世]](大王)([[1310年]] - [[1370年]]) - [[ピャスト朝]]のポーランド王(在位[[1333年]] - [[1370年]])・ウクライナに領土拡大 * [[ラヨシュ1世]](大王)([[1326年]] - [[1382年]]) - [[アンジュー朝]]のハンガリー王(在位[[1342年]] - [[1382年]])、ポーランド王(在位[[1370年]] - [[1382年]]) * [[ドミートリー・ドンスコイ]]([[1350年]] - [[1389年]]) - 第4代[[モスクワ大公]](在位[[1359年]] - [[1389年]])・クリコヴォの戦いで[[モンゴル人]]に勝利 * [[ラドネジのセルギイ]]([[1321年]]/[[1322年]]頃 - [[1392年]]) - ロシアの修道士・[[至聖三者聖セルギイ大修道院]]の創設者 * [[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]([[1351年]] - [[1434年]]) - ヤギェウォ朝創始者(ポーランド王位[[1386年]] - [[1434年]]、リトアニア大公位[[1377年]] - [[1401年]]) ==== 北欧 ==== * [[スウェーデンのビルギッタ|ビルギッタ]]([[1303年]] - [[1373年]]) - スウェーデンの修道女・ビルギッタ会をまとめ[[ヴァドステーナ修道院]]を建設・晩年はローマに定住 * [[マルグレーテ1世]]([[1353年]] - [[1412年]]) - 北欧連合王国の事実上の支配者([[1397年]] - [[1412年]])・カルマル同盟を締結 ==== イベリア半島 ==== * [[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]](残酷王)([[1334年]] - [[1369年]]) - カスティーリャ国王(在位[[1350年]] - [[1369年]])・庶兄のエンリケ2世に殺害される * [[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]](恩寵王)([[1333年]] - [[1379年]]) - [[カスティーリャ]]国王(在位[[1369年]] - [[1379年]])・ペドロ1世を倒し[[トラスタマラ朝]]を興す * [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]](大王)([[1357年]] - [[1433年]]) - [[アヴィス朝]]の創始者・[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(在位[[1385年]] - [[1433年]]) * [[ラモン・リュイ|ライムンドゥス・ルルス]]([[1232年]] - [[1315年]]) - [[マジョルカ島]]出身のフランシスコ会士・文字結合術の[[アルス・マグナ]]を理論化する === イスラム世界 === * [[ドゥア]]( ? - [[1307年]]頃)- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位[[1283年]] - [[1307年]])・最盛期の君主 * [[ラシードゥッディーン]]([[1249年]] - [[1318年]]) - [[イル・ハン国]]の政治家・[[ガザン・ハン|ガザン]]と[[オルジェイトゥ]]に仕える・歴史家として『[[集史]]』を編纂 * [[サフィー・アッディーン・イスハーク・アルダビーリー]]([[1252年]] - [[1334年]]) - ペルシアのサファヴィー教団教主・[[サファヴィー朝]]の遠祖 * [[オスマン1世]]([[1258年]] - [[1326年]]) - [[オスマン朝]]の初代スルタン(在位[[1299年]] - [[1326年]])・コユンヒサルの戦いで東ローマ帝国に勝利 * [[ムハンマド・イブン=アリー・イブン=タバータバー|イブン・アッティクタカー]]([[1262年]]頃 - ?) - イラクのシーア派指導者・帝王学の書『[[アルファフリー]]』を残す * [[ワッサーフ]](生没年不詳) - イル・ハン国の歴史家・『[[世界征服者の歴史]]』の続編『領土の分割と年月の推移(ワッサーフ史)』を執筆 * [[アラーウッディーン・ハルジー|アラーウッディーン]]([[1266年]]? - [[1316年]]) - [[ハルジー朝]]の第3代スルタン(在位[[1296年]] - [[1316年]])・最大領土を実現 * [[マンサ・ムーサ]](カンカン・ムーサ)(? - [[1337年]]?) - [[マリ帝国]]の第10代君主(マンサ)(在位[[1312年]] - [[1337年]])・壮麗な[[メッカ]]巡礼で有名 * [[ギャースッディーン・トゥグルク]](? - [[1325年]]) - トゥグルク朝の初代スルタン(在位[[1320年]] - [[1325年]]) * ハージュー・ケルマーニー([[1280年]] - [[1352年]]) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人 * [[オルジェイトゥ]]([[1281年]] - [[1316年]]) - イル・ハン国の第8代君主(在位[[1304年]] - [[1316年]])・[[ソルターニーイェ]]に遷都 * [[ナースィル・ムハンマド]]([[1285年]] - [[1341年]]) - [[マムルーク朝]]の第10・13・15代スルタン(在位[[1293年]] - [[1341年]]まで断続的) * [[ウズベク・ハン]](? - [[1340年]]) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の第10代君主(在位[[1312年]] - [[1342年]])・最盛期の君主 * [[ケベク]](? - [[1326年]])- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位[[1320年]] - [[1326年]])・その死後に国が東西分裂 * [[ムハンマド・ビン・トゥグルク]](? - [[1351年]]) - トゥグルグ朝の君主(在位[[1325年]] - [[1351年]])・度重なる遠征で「天才か狂人か」と評される * [[イブン・バットゥータ]]([[1304年]]頃 - [[1368年]]頃) - [[モロッコ]]生まれの旅行家・『[[三大陸周遊記]]』の著者 * [[イブン・アル=ハティーブ]]([[1313年]] - [[1375年]]) - ナスル朝の政治家(宰相)・詩人・歴史家としては『グラナダ史』を残す * [[ムラト1世]]([[1319年]]/[[1326年]] - [[1389年]]) - オスマン朝の第3代スルタン(在位[[1359年]] - [[1389年]])・コソヴォの戦いで勝利 * [[ハーフェズ]]([[1325年]] - [[1389年]]) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人 * [[イブン・ハルドゥーン]]([[1332年]] - [[1406年]]) - [[チュニス]]生まれの政治家・歴史家として『[[歴史序説]]』の著者 * [[ティムール]]([[1336年]] - [[1405年]]) - 中央アジアの征服者でティムール朝の建設者(在位[[1370年]] - [[1405年]]) * [[トクタミシュ]](? - [[1406年]]) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の君主(在位[[1378年]] - [[1395年]])・キプチャク・ハン国を再統一 * [[バヤズィト1世]]([[1360年]] - [[1403年]]) - オスマン朝の第4代スルタン(在位[[1389年]] - [[1402年]])・ニコポリスの戦いで勝利 * [[バルクーク]]([[1366年]] - [[1399年]]) - マムルーク朝のスルタン(在位[[1382年]] - [[1399年]]まで断続的)・バフリー系からブルジー系へ === 南アジア・東南アジア === * ハリハラ1世(? - [[1356年]]) - 南インドの[[ヴィジャヤナガル朝|ヴィジャヤナガル王国]]サンガマ朝の初代国王(在位[[1336年]] - [[1356年]]) * [[ガジャ・マダ]](?- [[1364年]]) - ジャワ島の[[マジャパヒト朝]]の宰相・トリブワナー女王からハヤム・ウルク王を補佐し王国の全盛期を築く * [[ラーマーティボーディー1世]]([[1314年]]? - [[1369年]]) - タイのアユタヤ朝の初代国王(在位[[1351年]] - [[1369年]])・アユタヤを都とする === 東アジア === ==== 元・明 ==== * [[テムル]]([[1265年]] - [[1307年]]) - 元の第2代皇帝(成宗)(在位[[1294年]] - [[1307年]])・[[カイドゥ]]の乱を鎮圧し西方ハン国と和平を結ぶ * [[黄公望]]([[1269年]] - [[1354年]]) - 元の[[水墨画]]家・[[元末四大家]]の一人・「[[富春山居図]]」が代表作で画論『写山水訣』もある * [[呉鎮]]([[1280]] - [[1354年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・孤高清貧の生涯を送る・代表作に「洞庭漁隠図」がある * [[アユルバルワダ]]([[1285年]] - [[1320年]]) - 元の第4代皇帝(仁宗)(在位[[1311年]] - [[1320年]])・廃止されていた[[科挙]]を復活 * 康里巎巎([[1295年]] - [[1345年]]) - 元の[[色目人]]の官僚・書家として「李白詩巻」がある * [[楊維テイ|楊維楨]]([[1296年]] - [[1370年]]) - 元の官僚・詩人として『東維子集』がある * [[倪サン|倪瓉]]([[1301年]] - [[1374年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・各地を放浪し「漁荘秋霽図」などの作品を残す * [[王蒙]]([[1308年]] - [[1385年]]) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・官吏でもあったが胡惟庸の獄に連座し獄死・「青卞隠居図」がある * 薩都刺([[1308年]] - ?) - 元のモンゴル系イスラム教徒の官吏・詩人として『雁門集』がある * [[宋濂]]([[1310年]] - [[1381年]]) - 元末明初の政治家・儒学者・明の礼楽制度を整備・『[[元史]]』の編者・[[方孝孺]]の師 * [[劉基]](劉伯温)([[1311年]] - [[1375年]]) - 元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師として小説や講談の主役として名高い * [[李善長]]([[1314年]] - [[1390年]]) - 明初の政治家(左丞相)・明の行政財政の基礎をなす・胡惟庸の獄に連座して誅殺される * [[トゴン・テムル]]([[1320年]] - [[1370年]]) - 元朝の最後の皇帝(順帝)(在位[[1333年]] - [[1370年]])・大都を捨て北元の初代となる * [[韓山童]](? - [[1351年]]) - 元末の反乱指導者・[[白蓮教]]を組織し紅巾の乱を引き起こす * [[韓林児]](? - [[1366年]]) - 元末の反乱指導者・[[韓山童]]の子・宋朝の復興を唱える * [[方国珍]]([[1319年]] - [[1374年]]) - 元末の群雄・塩の密売人から[[浙江]]で海賊と結んで自立・朱元璋と敵対するが屈服 * [[陳友諒]]([[1320年]] - [[1363年]]) - 元末の群雄・紅巾の乱から[[湖北]]を根拠地として自立・[[鄱陽湖の戦い]]で朱元璋に敗北 * [[張士誠]]([[1321年]] - [[1367年]]) - 元末の群雄・塩の密売人から[[蘇州]]を根拠地として自立・朱元璋に敗北する * [[朱元璋]]([[1328年]] - [[1398年]]) - 明の初代皇帝(太祖洪武帝)(在位[[1368年]] - [[1398年]]) * [[徐達]]([[1332年]] - [[1385年]]) - 明初の[[大将軍]]・左[[相国]]・大都を元一族から奪回し占領・第一の功臣とされる * [[胡惟庸]](? - [[1380年]]) - 明初の政治家(左丞相)・北元や日本と内通したとして[[胡藍の獄#胡惟庸の獄|胡惟庸の獄]]にて粛清される * [[藍玉 (明)|藍玉]](? - [[1393年]]) - 明初の将軍・[[ブイル・ノール]]湖畔の戦いで北元に勝利・[[胡藍の獄#藍玉の獄|藍玉の獄]]にて粛清される * [[施耐庵]](生没年不明) - 元末明初の作家・『[[水滸伝]]』の編者? [[羅貫中]]の師か?(→[[水滸伝の成立史]]) * [[羅貫中]](生没年不明) - 元末明初の作家・『[[三国志演義]]』『[[平妖伝|三遂平妖伝]]』の編者? [[施耐庵]]の門人か?(→[[三国志演義の成立史]]) * [[高啓]]([[1336年]] - [[1374年]]) - 明初の詩人・『[[元史]]』の編者・「宮女図」の詩文がもとで腰斬の刑に処される * [[方孝孺]]([[1357年]] - [[1402年]]) - 明初の儒学者・建文帝の側近として翰林侍講学士となる・靖難の変に連座して虐殺される * [[建文帝]]([[1377年]] - [[1402年]]?) - 明の第2代皇帝(在位[[1398年]] - [[1402年]])・靖難の変により叔父[[永楽帝|燕王]]に帝位を簒奪される ==== チベット ==== * カルマ・リンパ([[1326年]] - [[1386年]]) - チベット仏教[[ニンマ派]]のテルトン(埋蔵経発掘者)・『[[チベット死者の書]]』を発掘したか * [[ツォンカパ]]([[1357年]] - [[1419年]]) - [[チベット仏教]]最大の学僧・歴代[[ダライ・ラマ]]の所属する[[ゲルク派]](黄帽派)の開祖 ==== 朝鮮 ==== * [[李成桂]]([[1335年]] - [[1408年]]) - 李氏朝鮮の初代国王(在位[[1392年]] - [[1398年]]) === 日本 === * [[京極為兼]]([[1254年]] - [[1332年]]) - 公卿(権大納言)・歌人として『[[玉葉和歌集]]』を選集・両統迭立にからみ二度流罪にされる * [[度会家行]]([[1256年]] - [[1351年]]) - [[伊勢神宮]](外宮)の神官・[[反本地垂迹説]]を大成し[[伊勢神道]]を提唱・南朝を支援し影響を与える * [[後深草院二条]]([[1258年]] - ?) - [[後深草天皇|後深草院]]付きの女房・[[日記]]であり[[紀行文]]でもある『[[とはずがたり]]』を残す * [[北条貞時]]([[1271年]] - [[1311年]]) - 鎌倉幕府第9代執権(在任[[1284年]] - [[1301年]]) * [[長崎円喜]](? - [[1333年]]) - 武将・[[内管領]](得宗家執事)・息子[[長崎高資|高資]]ととも幕府末期の実権を握る * [[正宗|岡崎正宗]](生没年不詳) - 刀工・相模国鎌倉で活動し「相州伝」と呼ばれる作風を確立・刀剣史上もっとも著名な刀工の一人 * [[夢窓疎石]]([[1275年]] - [[1351年]]) - 禅僧・京都[[天竜寺]]開山・七朝帝師(歴代天皇から国師号を七度賜る) * [[赤松則村]]([[1277年]] - [[1350年]]) - 武将・守護大名・後醍醐天皇を支持し六波羅攻略で活躍・建武政権の後は足利尊氏に従う * [[虎関師錬]]([[1278年]] - [[1346年]]) - 禅僧・日本最初の仏教通史『[[元亨釈書]]』の著者 * [[文観]]([[1278年]] - [[1357年]]) - 真言宗の僧・醍醐座主・東寺長者・[[立川流 (密教)|立川流]]を大成したとされ後醍醐天皇に信任され南朝につく * [[円観]]([[1281年]] - [[1356年]]) - 天台宗の僧・法勝寺勧進職・後醍醐天皇に近侍するが後に北朝につく・『[[太平記]]』の編纂を行ったか * [[宗峰妙超]](大燈国師)([[1282年]] - [[1338年]]) - 禅僧・京都[[大徳寺]]開山・弟子の[[関山慧玄]]を[[妙心寺]]開山に推薦 * [[吉田兼好]]([[1283年]]頃 - [[1352年]]以後) - 官人・遁世者・歌人・随筆家で『[[徒然草]]』の著者・[[和歌四天王]]の一人 * [[後醍醐天皇]]([[1288年]] - [[1339年]]) - 第96代天皇(在位[[1318年]] - [[1339年]])・建武の新政を行う・南朝の初代 * [[日野資朝]]([[1290年]] - [[1332年]]) - 公卿(権中納言)・[[日野俊基]]らとともに後醍醐天皇に近侍・[[正中の変]]で[[佐渡国|佐渡]]に流罪となる * [[雪村友梅]]([[1290年]] - [[1347年]]) - 禅僧・[[一山一寧]]の門人で元に渡航・帰国後は京都[[万寿寺]]住持・[[五山文学]]の先駆け * [[北畠親房]]([[1293年]] - [[1354年]]) - 公卿([[大納言]])・[[准三后]]・南朝の指導者として[[正平の一統]]を指揮・『[[神皇正統記]]』の著者 * [[楠木正成]]([[1294年]] - [[1336年]]) - 武将・赤坂城や千早城で討幕運動を行う・建武政権から続いて南朝側に与す・「[[三木一草]]」の一人 * [[名和長年]](? - [[1336年]]) - 武将・後醍醐天皇の隠岐脱出を援助・建武政権から続いて南朝側に与す・「三木一草」の一人 * [[佐々木道誉]]([[1296年]] - [[1373年]]) - 武将・室町幕府で[[政所]]執事などを歴任・[[ばさら|婆沙羅大名]]として有名 * [[尊円法親王]]([[1298年]] - [[1356年]]) - 天台座主・青蓮院門跡・後代に公式文書として用いられた書流[[尊円流|御家流]]の祖 * [[守邦親王]]([[1301年]] - [[1333年]]) - 鎌倉幕府第9代将軍(在任[[1308年]] - [[1333年]])・[[鎌倉の戦い (元弘の乱)|鎌倉幕府の滅亡]]の後に将軍を辞す * [[新田義貞]]([[1301年]] - [[1338年]]) - 武将・北条氏を滅ぼし鎌倉を占拠・建武政権から続いて南朝側に与す * [[北条高時]]([[1303年]] - [[1333年]]) - 鎌倉幕府第14代執権(在任[[1316年]] - [[1326年]])・鎌倉幕府滅亡時の得宗 * [[足利尊氏]]([[1305年]] - [[1358年]]) - [[室町幕府]]初代将軍(在任[[1338年]] - [[1358年]])・北朝の[[光明天皇]]を擁立し幕府を開く * [[足利直義]]([[1306年]] - [[1352年]]) - 足利尊氏の弟・観応の擾乱で高師直一派を倒すが正平の一統の後に兄尊氏に追われ急逝 * [[高師直]](? - [[1351年]]) - 武将・室町幕府[[執事]]・[[四条畷の戦い]]などで活躍するが観応の擾乱で足利直義と対立し殺害される * [[護良親王]]([[1308年]] - [[1335年]]) - 後醍醐天皇の皇子(大塔宮)・[[天台座主]](尊雲法親王)・征夷大将軍・足利尊氏と争い殺害される * [[春屋妙葩]]([[1312年]] - [[1388年]]) - 禅僧・[[相国寺]]第二世(事実上の開山)・[[五山十刹]]の制度を定め[[五山版]]などの出版を行う * [[光厳天皇]]([[1313年]] - [[1364年]]) - 北朝第1代天皇(在位[[1331年]] - [[1333年]])・鎌倉幕府滅亡で退位する・光明天皇は弟 * [[北畠顕家]]([[1318年]] - [[1338年]]) - 公卿(権中納言)・[[鎮守府将軍]]・南朝方として活躍するが[[石津の戦い]]で戦死・父は北畠親房 * [[二条良基]]([[1320年]] - [[1388年]]) - 公卿([[摂政]]・[[関白]]・太政大臣)・歌人・[[連歌]]の大成者で『[[菟玖波集]]』の撰者 * [[今川貞世]](了俊)([[1326年]] - [[1420年]]?) - 武将・守護大名・[[九州探題]]として九州の南朝勢力を鎮圧・著作に『[[難太平記]]』がある * [[細川頼之]]([[1329年]] - [[1392年]]) - 室町幕府[[管領]]・[[貞治の変]]で幕政を掌握・康暦の政変で失脚するも再び幕政に復帰 * [[懐良親王]]([[1329年]]? - [[1383年]]) - 後醍醐天皇の皇子・征西大将軍(征西将軍宮)・「日本国王」として明と通交 * [[足利義詮]]([[1330年]] - [[1367年]]) - 室町幕府第2代将軍(在任[[1358年]] - [[1367年]])・貞治の変以後は北朝の優位を固める * [[楠木正儀]]([[1330年]]? - [[1389年]]?) - 武将・楠木正成の三男・南朝方を支え北朝方と戦うがやがて帰順・最晩年は南朝に復帰か * [[観阿弥]]([[1333年]] - [[1384年]]) - 猿楽師・大和猿楽座の出身で観世家の祖となる・子に[[世阿弥]]がいる * [[足利基氏]]([[1340年]] - [[1367年]]) - 室町幕府の初代[[鎌倉公方]]・足利尊氏の子・足利義詮の弟 * [[土岐康行]](? - [[1404年]]) - 武将・守護大名・[[土岐康行の乱]](美濃の乱)を起こすが幕府に鎮圧される * [[山名氏清]]([[1344年]] - [[1392年]]) - 武将・「六分の一殿」と称される[[守護大名]]・明徳の乱で敗死 * [[後亀山天皇]]([[1350年]]? - [[1424年]]) - 第99代天皇(在位[[1383年]] - [[1392年]])・[[明徳の和約|南北朝合一]]のときの南朝の天皇 * [[大内義弘]]([[1356年]] - [[1400年]]) - 武将・守護大名・南北朝合一を斡旋・応永の乱で敗死 * [[足利義満]]([[1358年]] - [[1408年]]) - 室町幕府第3代将軍(在任[[1368年]] - [[1394年]])・[[花の御所]]を造営・出家後は[[北山第]]を造営 * [[世阿弥]]([[1363年]]? - [[1443年]]?) - 猿楽師・能楽の大成者・『[[風姿花伝]]』などの著作でも知られる・父は[[観阿弥]] * [[後小松天皇]]([[1377年]] - [[1433年]]) - 第100代天皇(在位[[1382年]] - [[1412年]])・[[明徳の和約|南北朝合一]]のときの北朝の天皇 == フィクションのできごと == * 1300年 - 聖金曜日に詩人ダンテが人生の半ばで暗い森に迷い込み、地獄・煉獄・天国遍歴が始まる([[ダンテ・アリギエーリ]]『[[神曲]]』)。 * 1307年 - [[ウィルヘルム・テル]](ウィリアム・テル)が息子の頭上のリンゴを射抜き、余勢をかって[[ハプスブルク家]]の代官[[ヘルマン・ゲスラー]]を倒し、[[スイス]]独立の端緒となる(スイスの伝説)。 * 1327年 - 北イタリアのカトリック修道院にて怪事件が連続して発生。その謎をバスカヴィルのウィリアムとその弟子のメルクのアドソが解き明かしていく([[ウンベルト・エーコ]]『[[薔薇の名前]]』)。 == 10年紀と各年 == : {| |- | '''[[1300年代]]''' || [[1300年|1300]] || [[1301年|1301]] | [[1302年|1302]] || [[1303年|1303]] | [[1304年|1304]] || [[1305年|1305]] || [[1306年|1306]] | [[1307年|1307]] || [[1308年|1308]] || [[1309年|1309]] |- | '''[[1310年代]]''' || [[1310年|1310]] || [[1311年|1311]] | [[1312年|1312]] || [[1313年|1313]] | [[1314年|1314]] || [[1315年|1315]] || [[1316年|1316]] | [[1317年|1317]] || [[1318年|1318]] || [[1319年|1319]] |- | '''[[1320年代]]''' || [[1320年|1320]] || [[1321年|1321]] | [[1322年|1322]] || [[1323年|1323]] | [[1324年|1324]] || [[1325年|1325]] || [[1326年|1326]] | [[1327年|1327]] || [[1328年|1328]] || [[1329年|1329]] |- | '''[[1330年代]]''' || [[1330年|1330]] || [[1331年|1331]] | [[1332年|1332]] || [[1333年|1333]] | [[1334年|1334]] || [[1335年|1335]] || [[1336年|1336]] | [[1337年|1337]] || [[1338年|1338]] || [[1339年|1339]] |- | '''[[1340年代]]''' || [[1340年|1340]] || [[1341年|1341]] | [[1342年|1342]] || [[1343年|1343]] | [[1344年|1344]] || [[1345年|1345]] || [[1346年|1346]] | [[1347年|1347]] || [[1348年|1348]] || [[1349年|1349]] |- | '''[[1350年代]]''' || [[1350年|1350]] || [[1351年|1351]] | [[1352年|1352]] || [[1353年|1353]] | [[1354年|1354]] || [[1355年|1355]] || [[1356年|1356]] | [[1357年|1357]] || [[1358年|1358]] || [[1359年|1359]] |- | '''[[1360年代]]''' || [[1360年|1360]] || [[1361年|1361]] | [[1362年|1362]] || [[1363年|1363]] | [[1364年|1364]] || [[1365年|1365]] || [[1366年|1366]] | [[1367年|1367]] || [[1368年|1368]] || [[1369年|1369]] |- | '''[[1370年代]]''' || [[1370年|1370]] || [[1371年|1371]] | [[1372年|1372]] || [[1373年|1373]] | [[1374年|1374]] || [[1375年|1375]] || [[1376年|1376]] | [[1377年|1377]] || [[1378年|1378]] || [[1379年|1379]] |- | '''[[1380年代]]''' || [[1380年|1380]] || [[1381年|1381]] | [[1382年|1382]] || [[1383年|1383]] | [[1384年|1384]] || [[1385年|1385]] || [[1386年|1386]] | [[1387年|1387]] || [[1388年|1388]] || [[1389年|1389]] |- | '''[[1390年代]]''' || [[1390年|1390]] || [[1391年|1391]] | [[1392年|1392]] || [[1393年|1393]] | [[1394年|1394]] || [[1395年|1395]] || [[1396年|1396]] | [[1397年|1397]] || [[1398年|1398]] || [[1399年|1399]] |- | '''[[1400年代]]''' || [[1400年|1400]] || [[1401年|1401]] | [[1402年|1402]] || [[1403年|1403]] | [[1404年|1404]] || [[1405年|1405]] || [[1406年|1406]] | [[1407年|1407]] || [[1408年|1408]] || [[1409年|1409]] |} [[Category:14世紀|*]]