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− | {{Infobox Serial Killer
| + | #REDIRECT [[宮崎勤]] |
− | | subject_name = 宮崎 勤
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− | '''宮崎 勤'''(みやざき つとむ、[[1962年]][[8月21日]] - [[2008年]][[6月17日]])は[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]([[警察庁広域重要指定事件|広域指定]]第117号事件)の容疑者として逮捕、起訴され、死刑判決が確定し、執行された人物である。{{see also|東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件}}彼の犯行によって、[[ロリータ・コンプレックス]]([[ロリコン]])が一躍有名になった。
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− | == 生い立ち ==
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− | [[東京都]][[西多摩郡]][[五日市町]](現[[あきる野市]])にある地元新聞会社経営の裕福な一家の長男として出生。両親は共働きで忙しかったため、宮崎が産まれてまもなく、30歳ぐらいの[[知的障害]]を持つ子守りの男性を住み込みで雇い入れている。幼い勤の世話はほとんどこの男性と祖父が行っていた。宮崎家は曽祖父は村会議員、祖父は町会議員を勤めており地元の名士であった。家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人。祖父は引っ込み思案な宮崎を連れて歩き、可愛がっていた。
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− | 幼い頃から手のひらを上に向けられない『[[両側先天性橈尺骨癒合症]]』<ref><small>りょうがわせんてんせいとうしゃくこつゆごうしょう</small> [http://www.ncchd.go.jp/hospital/section/second-clinic/kata-hiji.html#05 肩・肘の外傷と疾患 先天性橈尺骨癒合症]</ref>という当時の日本には150ほどしか症例のない珍しい[[身体障害]]があった。そのため、[[幼稚園]]ではお遊戯や頂戴のポーズもできず、周囲からからかわれても幼稚園の先生は何もしなかったため、非常に辛かったと供述している。
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− | 小学生時代は「怪獣博士」と呼ばれるほど[[怪獣]]に夢中になったが、クラスの人気者というわけではなかった。中学生時代は[[将棋]]部に所属、負けると異常に悔しがり、さまざまな攻略本を読み、負けた相手には必ず勝つほど勝利に執着した。また[[通信教育]]で[[空手道|空手]]を習い、空手の型を同級生に見せる事があった。成績は上位であったが、[[国語 (教科)|国語]]と[[社会 (教科)|社会科]]を非常に苦手とした。[[1978年]]、手の障害を気にし、自宅から片道2時間もかかる男子校であった[[明治大学付属中野中学校・高等学校]]へ進学するが、両親は英語教師になるためにわざわざ遠い高校へ進学したと勘違いしていた。同級生は暗く目立たない少年だったと証言している。高校時代は徐々に成績が落ち、本人は[[明治大学]]への推薦入学を希望していたが、クラスでも下から数えた方が早い成績で、その希望は果たせなかった。高校卒業後の[[1981年]]、[[東京工芸大学短期大学部]]画像技術科に進学。この頃は[[パズル]]に夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されることもあった。[[1982年]]の[[短大]]在学中に[[日本放送協会|NHK]]のトーク番組『[[YOU (テレビ番組)|YOU]]』のスタジオ収録に友人と出かけているが、[[アナウンサー]]が近づき[[インタビュー]]をしようとすると、他の出演者に隠れて、インタビューを受けることはなかった。俳優の[[川崎麻世]]は宮崎とは短大の同級生になるが、宮崎の逮捕時のインタビューでは「僕は記憶力が良い方で、80人ぐらいの少人数クラスなので覚えているはずだが、友人に聞いても覚えていなかった」というほど影が薄い存在であった。
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− | [[1983年]]4月、短大卒業後は叔父の紹介で[[小平市]]の印刷会社に就職し、印刷機オペレーターとして勤務。ある同僚は「''勤労態度は極めて悪く、評判も非常に悪い''」と評している。[[1986年]][[3月]]に解雇。両親が家業を手伝うよう何度か声をかけたが、自室にこもる[[引きこもり]]生活が数ヶ月続いた。9月ごろから家業を手伝い出すが、広告原稿を受け取りに行く程度の簡単な手伝いであった。この頃[[アニメ]]の[[同人誌]]を発行するが、仲間から嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したTVアニメや[[特撮番組]]の[[ビデオ]]を[[ダビング]]交換、[[コレクション]]するようになるが、ほとんどのテープは自ら鑑賞する事はなかった。ビデオサークルでは他の会員に無理な録画やダビング注文をするためここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。[[1988年]][[5月]]、祖父が死去。[[8月22日]]に第一の犯行を起こす。[[1989年]][[3月]]には晴海の[[コミックマーケット]]に[[漫画]]作品を出品している。
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− | == 事件後 ==
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− | [[1989年]][[7月23日]]、わいせつ事件を起こそうとしていたところを[[被害者]]の父親により取り押さえられ、宮崎は[[強制わいせつ]]容疑で現行犯逮捕された。次々と別の事件が明るみになった後、[[後藤正夫]][[法務大臣|法相]](当時)は「死刑くらいでは収まらない残酷な出来事だ」と発言した。1989年[[8月24日]]、[[東京地検]]の総務部診断室で[[精神鑑定|簡易精神鑑定]]を受ける。[[統合失調症|精神分裂病]](当時の呼称で、現在では統合失調症に改称)の可能性は否定できないが、現時点では[[人格障害]]の範囲に留まるとされ、これを受けて検察は起訴に踏み切った。初公判では「全体的に、醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか・・・」と[[罪状認否]]で訴えた。
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− | [[公判]]開始後の[[1990年]][[12月20日]]より468日間にわたって、5人の[[精神科医]]と1人の[[心理学者|臨床心理学者]]による[[精神鑑定]]が実施される。この鑑定では[[動物虐待]]等の異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べた事などは供述が曖昧なため事実ではないとみなされた。[[1992年]][[3月31日]]精神鑑定書が提出され、[[人格障害]]とされた。実際、[[性的倒錯]]は人格障害の患者によく見られる症状である。祖父の骨を食べた件については弁護側は[[墓石]]などが動かされた事を証拠としたが、[[検察]]側はそれだけでは確証ではないと反論した。
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− | 1992年[[12月18日]]より、弁護側の依頼により3人の鑑定医により678日をかけた再鑑定が始まる。[[1994年]][[11月30日]]に鑑定書が提出される。第2回鑑定では1人は統合失調症、2人が[[解離性同一性障害]]の鑑定を出した。
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− | === 判決後 ===
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− | [[1997年]][[4月14日]]、[[東京地方裁判所]]で死刑判決。判決時の被告は時折周囲をしらけた表情で眺めるくらいで、いつものように机上に広げたノートに何かを書き続けていた。法廷を出る際は、薄笑いを浮かべていた。[[責任能力]]に関しては、逮捕時の彼にそのような[[多重人格]]や統合失調症を疑わせるような異常な反応は見受けられず、逮捕による[[拘禁反応]]とみなした場合に最もうまく説明できる事を理由に第2回鑑定は採用されず、責任能力は完全に保たれていたとされた。即日控訴。
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− | [[2001年]][[6月28日]]、[[東京高等裁判所]]で[[一審]]支持・[[控訴]]棄却の判決。同年[[7月10日]]、上告。[[2004年]]には[[奈良小1女児殺害事件]]が起こるが、同事件の容疑者が「第二の宮崎勤」の発言を行ったことに対し「精神鑑定も受けずに、『第二の宮崎勤』は名乗らせません」(『創』[[2006年]]1月号)と宮崎の名を使った事に対し痛烈に批判した。2006年[[1月17日]]、[[最高裁判所]]が弁護側の上告を棄却。弁護側は判決訂正を求めたが、[[2008年]][[6月17日]]、[[東京拘置所]]で死刑が執行された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080617/trl0806171018000-n1.htm 幼女連続誘拐殺害の宮崎勤死刑囚に死刑執行]産経新聞 2008年6月17日。</ref>。宮崎は冷静に執行を受け入れ、また宮崎の母親は遺体との面会後に、遺体の措置については拘置所に任せたという<ref>読売新聞2008年10月3日</ref>。
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− | 雑誌『創』[[篠田博之]]編集長に宛てた手紙には日本の現行の死刑方法における批判がしばしば書かれており、2006年には「踏み板がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどんぞこにおとしいれられるのである」と[[絞首刑]]を批判、薬物注射による死刑導入を訴えている。2007年の書簡には「この国の現行の死刑執行方法だと、死刑確定囚の人は、刑執行時は恐怖とたたかわねばならず、反省のことなど考えなくなる」とも記していた<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2008/06/17/20080617dde041040003000c.html 連続幼女誘拐殺人:宮崎死刑囚・刑執行(その1)最後まで謝罪なく◇絞首刑を再三批判「薬物注射」導入を主張]2008年6月17日 毎日新聞</ref>。編集部に宛てた手紙はおよそ300通、内容は拘置所内で読んだ漫画本のタイトルを並べただけの物が殆どであった。知人にも合計で2000通近くの手紙を拘置所内から送っていた。また、死刑判決が決定してからは独房でアニメビデオを鑑賞することが許可されていた<ref>[http://www.zakzak.co.jp/top/2008_06/t2008061806_all.html 宮崎勤「死刑回避」意思に感じた・・・月刊誌「創」編集長]ZAKZAK 2008年6月18日</ref>。
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− | == 動機 ==
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− | 事件の奇異さから、さまざまな憶測が飛び交い、また宮崎自身が要領を得ない供述を繰り返していることから、裁判でも動機の完全な特定には到っていない。
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− | 鑑定に当たった医師たちによると、彼は本来的な[[小児性愛]]者(ペドフィリア)ではなく、あくまで代替的に[[幼女]]を狙ったと証言されている。「[[成人]]をあきらめて幼女を代替物としたようで、[[小児性愛]]や[[ネクロフィリア|死体性愛]]などの傾向は見られません」(第1次精神鑑定鑑定医 保崎秀夫 法廷証言)および「幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず・・・幼児を対象としたことは代替である」(簡易精神鑑定)。
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− | ==死刑執行の背景および波紋==
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− | 2008年6月17日午前に[[鳩山邦夫]]法相の命令で宮崎の死刑は執行された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080617/plc0806171829014-n1.htm 法相が適切判断 官房長官] 産経新聞 2008年6月17日</ref>。犯行動機は未解明のまま、精神鑑定も継続中という状況だった。(過去10年間における)死刑確定から死刑執行までの平均は約8年であり、死刑確定から2年4ヶ月というスピード執行となる。2007年12月以降、法務大臣が死刑執行された死刑囚の氏名を公表しているが、宮崎勤の死刑執行は鳩山法相下では最も大きな注目を集めた死刑執行であった。
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− | 2008年[[6月8日]]の[[秋葉原通り魔事件|秋葉原無差別殺傷事件]]が影響を及ぼした可能性も指摘されていたが<ref>[http://www.j-cast.com/2008/06/17021964.html 宮崎死刑囚に「スピード」死刑執行 囁かれる「秋葉原事件」の影響?] J-CASTニュース 2008年6月17日</ref>、鳩山法相元秘書でジャーナリストの[[上杉隆]]によると宮崎勤死刑執行は秋葉原事件とは関係ないとしている。死刑執行時の恒例であるが、この執行に対しても[[アムネスティ・インターナショナル]]日本や「[[死刑廃止を推進する議員連盟]]」(会長・[[亀井静香]][[衆院議員]])など[[人権団体]]が同日、相次いで抗議を表明した<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080618k0000m040073000c.html 死刑:3人執行、廃止議連や人権団体の抗議表明相次ぐ] 毎日新聞 2008年6月17日</ref><ref>[http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=488 日本支部声明 : 死刑の執行に抗議する] 社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2008年6月17日</ref>。
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− | また、[[日本弁護士連合会]]は[[宮崎誠]]会長名で「半年余りで13人の大量の死刑執行が行なわれた。政府に対し、[[死刑制度]]の存廃を含む抜本的な検討と見直しを行なうまでの一定期間、執行を停止するよう重ねて強く要請する」との声明を出した<ref>[http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/080617.html 死刑執行に関する会長声明] 日本弁護士連合会 2008年6月17日</ref>。宮崎死刑囚の弁護人を務めた[[田鎖麻衣子]]弁護士は同日、「数ヶ月前から[[再審]]請求の準備を進めていた。こうした事情を知りながら、死刑を執行したことに強く抗議する」との声明を発表した<ref name=Bengonin>[http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080617k0000e040073000c.html 連続幼女誘拐殺人:「再審準備中」の執行に抗議 弁護士] 毎日新聞 2008年6月17日</ref>。5月末には鳩山邦夫法相に死刑を執行しないよう文書にて要請していたという<ref name=Bengonin> citation </ref>。
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− | == 著作 ==
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− | 雑誌『創』編集部との往復書簡を掲載したものが出版されている。
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− | *夢のなか - 連続幼女殺害事件被告の告白 -1998年12月 創出版 ISBN 9784924718302
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− | *夢のなか、いまも - 連続幼女殺害事件元被告の告白 - 2006年2月 創出版 ISBN 9784924718722
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− | == 註 ==
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− | <div class="references-small"><references /></div>
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− | == 外部リンク ==
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− | * [http://www.youtube.com/watch?v=WyUUU37NEMI YouTube - 宮崎勤死刑執行]
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− | {{DEFAULTSORT:みやさき つとむ}}
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− | [[Category:おたく]]
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− | [[Category:日本の殺人犯]]
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− | [[Category:シリアルキラー]]
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− | [[Category:死刑囚]]
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− | [[Category:日本の性犯罪]]
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− | [[Category:障害を持つ人物]]
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− | [[Category:東京都出身の人物]]
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− | [[Category:1962年生]]
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− | [[Category:2008年没]] | + | |