「うたごえ運動」の版間の差分

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革命歌、労働歌、反戦歌、ロシア民謡などをレパートリーとし、合唱曲の創作活動も行う。「日本のうたごえ全国協議会」は2013年の段階で、加盟団体(うたごえサークル)の達成目標数を「500団体」としている<ref>第46回日本のうたごえ全国協議会総会(2013年)で採択の方針文書</ref>。
 
革命歌、労働歌、反戦歌、ロシア民謡などをレパートリーとし、合唱曲の創作活動も行う。「日本のうたごえ全国協議会」は2013年の段階で、加盟団体(うたごえサークル)の達成目標数を「500団体」としている<ref>第46回日本のうたごえ全国協議会総会(2013年)で採択の方針文書</ref>。
  
==歴史==
 
*[[1946年]]5月1日、関鑑子、第17回メーデー(東京・宮城前広場)で、赤旗の歌」「インターナショナル」を指揮。その経験から、うたごえ運動の構想を抱きはじめる<ref>[[関鑑子]]「うたごえ運動の理論-音楽とは何か-」(「知性」1956年増刊号[東京、河出書房])58ページ</ref>。
 
  
 
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*[[1953年]]11月29日、「1953年日本のうたごえ祭典」を日比谷公会堂・神田共立講堂で開催<ref name="akko">関鑑子追想集編集委員会 編「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」(音楽センター 1981年)関鑑子略年譜</ref>。
 
*[[1953年]]11月29日、「1953年日本のうたごえ祭典」を日比谷公会堂・神田共立講堂で開催<ref name="akko">関鑑子追想集編集委員会 編「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」(音楽センター 1981年)関鑑子略年譜</ref>。
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*[[1960年]]5月、日本のうたごえ実行委員会、「われわれは新安保条約に反対する」との声明を発表<ref>「うたごえ新聞」1960年6月11日号</ref>。[[日米安全保障条約]]改定案の衆議院本会議での可決(同年5月20日)に対して。
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*[[1967年]]11月7日、歌劇「沖縄」の抜粋初演を、[[沖縄県]]那覇市の[[琉球新報]]ホールで実現<ref>沖縄のうたごえ運動編集委員会「ひびけ平和のうたごえ-米軍占領下の沖縄のうたごえ運動」(あけぼの出版 2004年)83ページ</ref>。
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*[[1967年]]11月25日、歌劇「沖縄」の"本土"における抜粋初演。[[日本武道館]]にて<ref>日刊紙「[[しんぶん赤旗|赤旗]]」1967年11月26日号</ref>。
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*[[1969年]]12月10日、歌劇「沖縄」完成・全幕初演。[[渋谷公会堂]]にて<ref>「うたごえ新聞」1970年1月1日・10日合併号</ref>。
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*[[1973年]]5月2日、関鑑子、死去。
  
 
== うたごえ運動と日本共産党 ==
 
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== 関連人物 ==
 
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*[[関鑑子]]
 
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*須藤五郎
 
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*井上頼豊
 
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*中澤桂
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*寺原伸夫
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*林光
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*外山雄三
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*[[大西進]]
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*[[杉本信夫]]
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*[[相馬公信]]
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*[[山本忠生]]
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*[[藤本洋]]
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*土井大助
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*いずみたく
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*青柳常夫
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*木下航二
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2019年2月3日 (日) 22:11時点における最新版

うたごえ運動(うたごえうんどう)は、第二次世界大戦後の日本における、合唱団の演奏活動を中心とした、大衆的な社会運動政治運動である。共産主義、または社会民主主義を思想的な基盤として、労働運動学生運動と結びつきながら、全国各地の職場、学園、居住地に合唱サークルを組織し、1950年代 -1960年代にその最盛期を迎えた。声楽家関鑑子が運動の創始者とされる。

概説[編集]

革命歌、労働歌、反戦歌、ロシア民謡などをレパートリーとし、合唱曲の創作活動も行う。「日本のうたごえ全国協議会」は2013年の段階で、加盟団体(うたごえサークル)の達成目標数を「500団体」としている[1]


歴史[編集]

  • 1946年5月1日、関鑑子、第17回メーデー(東京・宮城前広場)で、赤旗の歌」「インターナショナル」を指揮。その経験から、うたごえ運動の構想を抱きはじめる[2]
  • 1953年11月29日、「1953年日本のうたごえ祭典」を日比谷公会堂・神田共立講堂で開催[3]
  • 1960年5月、日本のうたごえ実行委員会、「われわれは新安保条約に反対する」との声明を発表[4]日米安全保障条約改定案の衆議院本会議での可決(同年5月20日)に対して。
  • 1973年5月2日、関鑑子、死去。

うたごえ運動と日本共産党[編集]

「うたは闘いとともに」のスローガンのもと、企業で不当に差別されている人を励ます曲が多く創作されている。また、1960年代には、職場・学園・地域にうたごえ活動家を育成し、その思想的・政治的・芸術的資質を高めることが、日本共産党の文化・大衆活動における重要課題であった。1960年安保闘争三池闘争を経験したうたごえ運動活動家たちの中から、大勢の入党者が生まれたとされる[8]

脚注[編集]

  1. 第46回日本のうたごえ全国協議会総会(2013年)で採択の方針文書
  2. 関鑑子「うたごえ運動の理論-音楽とは何か-」(「知性」1956年増刊号[東京、河出書房])58ページ
  3. 3.0 3.1 関鑑子追想集編集委員会 編「大きな紅ばら: 関鑑子追想集」(音楽センター 1981年)関鑑子略年譜
  4. 「うたごえ新聞」1960年6月11日号
  5. 沖縄のうたごえ運動編集委員会「ひびけ平和のうたごえ-米軍占領下の沖縄のうたごえ運動」(あけぼの出版 2004年)83ページ
  6. 日刊紙「赤旗」1967年11月26日号
  7. 「うたごえ新聞」1970年1月1日・10日合併号
  8. 日本共産党中央機関紙「アカハタ」1960年12月9日号所載の論説“「日本のうたごえ祭典」を迎えて”

関連人物[編集]