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全国でも[[埼玉県]][[蕨市]]、埼玉県[[鳩ヶ谷市]](現[[川口市]])、[[東京都]][[狛江市]]についで4番目に小さい市であった。
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田無の地名は、[[1559年]]([[永禄]]2年)の[[後北条氏|後北条]]家の文書にあるのが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。
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# '''田んぼが無い'''ため田無となった説
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# '''棚瀬'''が変化し「たなし」となり、田無の字があてられた説
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# '''田成'''が田無に変化した説
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# '''種なし'''が田無となった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種[[籾]])までとられてしまうため、周囲の村から'''種なしの村'''と呼ばれたと言う説。
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1の説では、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無い([[陸稲]]が中心)こと。2と3の説では、途中で意味は正反対に変わってしまっていること。4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、決め手となる説がない。
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== 歴史 ==
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[[青梅街道]]と[[所沢街道]]が交差する交通の要所で、かつ青梅街道の[[宿場町]]として[[江戸時代]]より栄える。
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宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、[[甲武鉄道]](現在のJR[[中央本線]])の開業によりその地位を失う。その後は[[西武鉄道]][[西武新宿線|新宿線]]の開通などで東京の市街地となり、[[昭和]]10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京のベッドタウンとしての発展を続けた。
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江戸時代より商業的に発展していたことから、周辺の地区が複数の村を統合して明治以降、村を形成したのに対して、田無は江戸から同じ市域で明治以降の田無村となった。全国の市で、複数の[[大字]](に相当する区域)を持たない唯一の市であった。そのため[[明治]]20年代より幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、[[2001年]](平成13年)に隣接する保谷市との合併を果たした。
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* [[1868年]]([[明治]]元年) - 明治維新によりそれまでの[[代官]]支配から[[韮山県]]となる。
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* [[1868年]](明治2年) - [[品川県]]となる。
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* [[1871年]](明治4年) - [[入間郡]]となる。
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* [[1872年]](明治5年)5月 - [[神奈川県]]となる。
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* [[1873年]](明治6年)[[5月13日]] - 区番組制により第11区4番組に編入される。
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* [[1876年]](明治9年)4月 - [[大区小区制]]により神奈川県第11大区5小区に編入される。
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* [[1878年]](明治11年)[[7月22日]] - [[北多摩郡]]に編入される。
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* [[1879年]](明治12年)[[5月7日]] - 町制施行([[郡区町村編制法]]下)し田無町となる。
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* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行に伴い、'''田無町'''がそのまま単独町制。また、飛地が久留米村の大字田無となる(現在の[[東久留米市]][[下里 (東久留米市)|下里]]の一部)。
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* [[1893年]](明治26年) - 北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所属となる。
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* [[1927年]]([[昭和]]2年) - 西武鉄道開通、[[田無駅]]開業。
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* [[1943年]](昭和18年)[[7月1日]] - [[東京都制]]施行により東京都の所属となる。
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* [[1967年]](昭和42年) - 市制施行。'''田無市'''となる(東京で16番目/全国で563番目)。保谷市・[[国立市]]も同日付である。
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** 北多摩郡で[[当初から町制を施行している町の一覧#関東地方_2|当初から町制を施行していた]]自治体のうち、[[単独市制]]施行したのは当市だけである。[[調布町]]・[[府中町 (東京都)|府中町]]はいずれも合併市制。
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* [[2001年]]([[平成]]13年)[[1月21日]] - 保谷市と合併し西東京市となる(21世紀最初の合併による市制施行)。
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== 姉妹都市・提携都市 ==
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* [[須玉町]]([[山梨県]][[北巨摩郡]])
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** [[1999年]][[2月4日]]、姉妹都市提携
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== 関連項目 ==
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* [[日本の廃止市町村一覧]]
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* [[東京都の廃止市町村一覧]]
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{{デフォルトソート:たなしし}}
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[[Category:東京都の市町村 (廃止)]]
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[[Category:西東京市の歴史]]

2015年5月13日 (水) 08:14時点における最新版

田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在したである。東京都特別区部への通勤率は44.7%(平成12年国勢調査)。2001年平成13年)1月21日に保谷市と合併し西東京市となった。

全国でも埼玉県蕨市、埼玉県鳩ヶ谷市(現川口市)、東京都狛江市についで4番目に小さい市であった。

地名の由来[編集]

田無の地名は、1559年永禄2年)の後北条家の文書にあるのが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。

  1. 田んぼが無いため田無となった説
  2. 棚瀬が変化し「たなし」となり、田無の字があてられた説
  3. 田成が田無に変化した説
  4. 種なしが田無となった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種)までとられてしまうため、周囲の村から種なしの村と呼ばれたと言う説。

1の説では、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無い(陸稲が中心)こと。2と3の説では、途中で意味は正反対に変わってしまっていること。4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、決め手となる説がない。

歴史[編集]

青梅街道所沢街道が交差する交通の要所で、かつ青梅街道の宿場町として江戸時代より栄える。

宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央本線)の開業によりその地位を失う。その後は西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となり、昭和10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京のベッドタウンとしての発展を続けた。

江戸時代より商業的に発展していたことから、周辺の地区が複数の村を統合して明治以降、村を形成したのに対して、田無は江戸から同じ市域で明治以降の田無村となった。全国の市で、複数の大字(に相当する区域)を持たない唯一の市であった。そのため明治20年代より幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、2001年(平成13年)に隣接する保谷市との合併を果たした。

姉妹都市・提携都市[編集]

関連項目[編集]