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衛藤 衛(えとう まもる、1883年2月3日 - 1992年2月16日)は、日本の宣教師。アメリカの日系人教会でも牧師を務めた。日本人マフィアモンタナ・ジョーこと衛藤健の実父でもある。

生涯[編集]

大分県竹田に生まれる。大分師範学校卒業後、1903年(明治36年)徴兵検査に合格し、第12師団に所属。1904年(明治37年)の日露戦争の際には遼陽会戦に参加。歩兵連隊の司令部で戦闘報告書を書く任務に就く。

関西学院の創立にも関わり、体操の教師を務めた。1917年(大正6年)に日本政府より、日系アメリカ人の実態調査を命じられ、カリフォルニア州に派遣される。現地の日系人の荒んだ状態を目の当たりにした衛藤は、彼らを救済するために、ストックトンで教会を開く。

1919年に長男・健(後の、ジョー・モンタナ)が誕生するも、1933年に健は父と喧嘩して家出し、後にマフィアになる。

衛藤は、戦前から戦中の収容所生活を経て、戦後にもハリウッドの祈りの家の主任牧師を勤め、北米ホーリネス教会に加わる。1992年に米国で109歳で死去する[1]

なお、日本国内で岡儀平が死去した際に、渡名喜元完が戸籍上で男性長寿日本一(石崎伝蔵が戸籍届けが2年遅れた事により実際には1884年生まれとされるために、場合によっては石崎が男性長寿日本一)となったが、国外に移住した人物を含めると衛藤が男性長寿日本一であった。

脚注[編集]