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'''主要国首脳会議'''(en:''Group of Seven and Russia'', de:''Sieben führende Industrieländer und Russland'')とは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[イタリア]]、[[カナダ]]、[[ドイツ]]、[[日本]]、[[フランス]]、[[ロシア]]の各国首脳(および国際機関の代表)が年一回集まり、国際的な経済的、政治的課題について討議する会議。合わせて、数多くの下部会議や政策検討もある。ロシア参加前は'''先進国首脳会議'''と呼ばれていた。'''G8'''(ジーエイト)とも言う。<!--会議に参加する8カ国のこと自体も指す-->
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<nowiki>'''主要国首脳会議'''(en:''Group of Seven and Russia'', de:''Sieben führende Industrieländer und Russland'')とは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[イタリア]]、[[カナダ]]、[[ドイツ]]、[[日本]]、[[フランス]]、[[ロシア]]の各国首脳(および国際機関の代表)が年一回集まり、国際的な経済的、政治的課題について討議する会議。合わせて、数多くの下部会議や政策検討もある。ロシア参加前は'''先進国首脳会議'''と呼ばれていた。'''G8'''(ジーエイト)とも言う。<!--会議に参加する8カ国のこと自体も指す-->
  
 
==概説==
 
==概説==

2020年1月8日 (水) 04:18時点における版

'''主要国首脳会議'''(en:''Group of Seven and Russia'', de:''Sieben führende Industrieländer und Russland'')とは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[イタリア]]、[[カナダ]]、[[ドイツ]]、[[日本]]、[[フランス]]、[[ロシア]]の各国首脳(および国際機関の代表)が年一回集まり、国際的な経済的、政治的課題について討議する会議。合わせて、数多くの下部会議や政策検討もある。ロシア参加前は'''先進国首脳会議'''と呼ばれていた。'''G8'''(ジーエイト)とも言う。<!--会議に参加する8カ国のこと自体も指す--> ==概説== G8は[[1973年]]の[[オイルショック]]とそれに続く[[世界不況]]に起源を持つ。これらのトラブルによって米国でライブラリーグループが生まれた。これは、米国、ヨーロッパ、および日本の財務を預かる政府高官が集まり、経済的課題を討議する会議である。 [[1975年]]、フランス大統領[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]は、主な工業化された民主国家6ヶ国の国家首脳をフランス・ランブイエに招待しはじめての首脳会議を開催し、定期的に首脳会議を持つことを提案した。このときの出席者は、主催国を交代しつつ年1回会議を持つことに合意した。こうして、フランス、西ドイツ、イタリア、日本、英国および米国で構成されるいわゆるG6が生まれた。翌年のプエルトリコでのサミットで、米大統領[[ジェラルド・R・フォード|ジェラルド・フォード]]の要請によりカナダが参加したことにより、[[G7]]となる。 冷戦の終結に続く[[1991年]]に、[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソ連]](現ロシア)がサミット本会議の後にG7に参加し始めた。このグループは[[1994年]]のナポリサミット以降、P8(Political 8) または俗にG7プラス1として知られた。ロシアは、[[1998年]]のバーミンガムサミットからは完全参加が許されたので、このときからG8となった。しかし、ロシアは経済力が大きくなかったため蔵相会議からは除外された。このため、現在ではG7と言えばこの大臣級会議のことを指す。 米大統領[[ビル・クリントン]]の示唆により、ロシアがほとんどのセッションに参加することでG7はG8になった。これは当時のロシア大統領[[ボリス・エリツィン]]に経済改革を進めさせ、また[[北大西洋条約機構|NATO]]の東への拡大に関して中立を保つようにさせるための、クリントン大統領のジェスチャーだった。 ロシアは比較的経済的に(民主的にも)不安定だったため、経済問題についてのG7セッションにはロシアが参加しないものもあった。[[2005年]][[2月18日]]、米上院議員[[ジョー・リーバーマン]]と[[ジョン・マケイン]]は、ロシア大統領[[ウラジーミル・プーチン|ウラジミール・プーチン]]によって民主的、政治的自由が確保されるまではG8への参加を見合わせるようにロシアに呼びかけた。 当初においては、様々な国際的な課題への強い影響力を有していたが、近年では影響力の低下とともに形骸化や単なるセレモニー化が指摘されている。 もっとも、1.国連総会という外交官レベルの会議に比べ、各国の首脳会議であるサミットは決断力・実行力に格段の優位性があるほか、2.拒否権など制度的問題点がなく、国連を補完する意味でも一定の役割を果たしているという評価もなされている。 一方近年は、[[反グローバリズム]]を主張する人々が毎年のように開催地に集結し、デモ行動などを繰り広げるといった動きもある。 ==グループの編成と活動== G8は[[国際連合|国連]]や[[世界銀行]]のような機関とは異なり、国際横断的な管理部門を持たない。メンバー国の間で毎年順番にグループの議長国が回る。新しい議長国は1月1日から担当が始まると考えられている。議長国は一連の大臣級会議を主催し、続いて年の中頃に3日間の、首脳によるサミットを行う。また、出席者の安全を確保するのも議長国の役割である。 大臣級会議は、健康、法務、労働を担当する大臣が集まり、相互の、または全地球的な問題について議論する。これらのうち最もよく知られたものはG7である。すなわち、G8からロシアを除いた(およびヨーロッパ連合の事務局も除く)年1回の蔵相会議を指す。一方で、G8全員と[[中国]]、[[メキシコ]]、[[インド]]、[[ブラジル]]および[[南アフリカ]]の蔵相による、より短い「G8+5」会議というのもある。 [[1994年]]には、G7の後援の下で、情報社会の実現に関する特別プログラムが設立された。 [[2005年]]6月には、G8は[[幼児性愛]]者に関する国際的データベースを立ち上げることに同意した。これは今年の年末までに設置される予定である。G8以外の国も後に参加することができる。また、G8は、各国のプライバシーと保安にかかる法律の範囲内で、[[テロリズム]]に関するデータを集積することにも同意した。 [[2005年]]6月には、G8構成国、およびブラジル、中国、インド(発展途上国で最大の地球温暖化ガスの排出国)の[[国際科学アカデミー]]が、気候変動に関する共同声明に署名した。この声明は、気候変動についての科学的理解はいまや、各国が即座に対策を執るには十分に明らかになっており、[[IPCC]]の統一見解を明示的に支持するということを強調している。 ==G8への批判== G8で扱われる課題は、議論のある国際的問題であるため、G8は非公式な「世界政府」であるという批判がしばしばなされる。また年1回のサミットは、しばしば[[反グローバリゼーション]]活動の反対活動の的になる。特に[[2001年]]ジェノバの第27回サミットが顕著だった。 G8参加国は、二酸化炭素放出による[[地球温暖化]]や、財政危機や[[貿易不均衡]]政策に起因する[[アフリカ]]や発展途上国の[[貧困]]、厳しすぎる特許政策に起因する[[エイズ問題]]、その他グローバリゼーションに関連する諸問題のような全地球的課題の原因になっているという批判もある。 こうしたディベートは、財産所有の法的権利、グローバル経済、倫理やその他の観点からの議論を促している。例えば、一部の擁護者は、薬学上の発見を促すため[[特許]]は不可欠な法的権利であると信じている。一方で、一部の批判者は、[[並行輸入]]が解決策だと想定する。またある者はアフリカの貧困について、アフリカ大陸各地で政府の腐敗がはびこっているためだと言い、別の者は国際的な貿易不均衡のためであるという。ほとんどのディベートはグローバル化についての議論である。 G8諸国が作り出していると批判されている問題について責任を取って闘うよう、G8指導者へさまざまな団体から圧力がかかっている。例えば、[[ボブ・ゲルドフ]]は2005年7月2日と7日にグローバル・アウェアネス・コンサートである[[LIVE 8|Live 8]]を組織し、G8指導者に「[[ホワイトバンドプロジェクト|Make Poverty History(貧困を過去のものに)]]」を奨励した。また組織関係者は、G8メンバー国に[[1992年]]の[[リオデジャネイロ]]地球サミットの「[[アジェンダ21]]」で概説されたとおり国家予算の0.7%を海外援助に回すよう提案した。このコンサートは第31回G8サミットと同時になるように計画された。 ==G8とテロリズム== [[2005年]][[7月7日]]スコットランドでのサミットの初日に、50人以上が命を落とし数百人が負傷したと言われる<!--能動、受動を統一します。-->ロンドン地下鉄およびロンドン二階建てバス[[ロンドン同時爆破事件|同時多発爆破事件]]が起こった。この攻撃は、直ちに「ヨーロッパ在住の[[アルカーイダ]]秘密グループによるジハード」によるものとされた。この攻撃は、西側国家に対し、[[アフガニスタン]]および[[イラク]]での軍事活動をした場合攻撃を行うとイスラム原理主義者によって犯行の予告が先立ってされていた中で、英国が軍事行動に参加したことと関係があるものとされた。G8サミットへ集まった国際的な注目は、おそらく最大限の象徴的な効果のためにテロリストによって増幅された。この打撃は、[[国際オリンピック委員会|IOC]]が[[ロンドン]]を[[ロンドンオリンピック (2012年)|2012年オリンピック大会]]の開催地に決定した告知をした直後でもあった。 ==出席者== === G8リーダー === {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |- !回||開催年||nowrap|仏大統領||nowrap|米大統領||nowrap|英首相||nowrap|露大統領||独首相||日首相||伊首相||nowrap|加首相 |- |1||[[1975年]]||'''[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン|ジスカール・<br />デスタン]]'''||[[ジェラルド・R・フォード|フォード]]||[[ハロルド・ウィルソン|ウィルソン]]|| ||[[ヘルムート・シュミット|シュミット]]||[[三木武夫]]||[[アルド・モーロ|モーロ]]||  |- |2||[[1976年]]||ジスカール・<br />デスタン||'''フォード'''||[[ジェームズ・キャラハン|キャラハン]]|| ||シュミット||[[福田赳夫]]||モーロ||[[ピエール・トルドー|トルドー]] |- |3||[[1977年]]||ジスカール・<br />デスタン||[[ジミー・カーター|カーター]]||'''キャラハン'''|| ||シュミット||福田赳夫||[[ジュリオ・アンドレオッティ|アンドレオッティ]]||トルドー |- |4||[[1978年]]||ジスカール・<br />デスタン||カーター||キャラハン|| ||'''シュミット'''||福田赳夫||アンドレオッティ||トルドー |- |5||[[1979年]]||ジスカール・<br />デスタン||カーター||[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]|| ||シュミット||'''[[大平正芳]]'''||アンドレオッティ||[[チャールズ・ジョセフ・ジョー・クラーク|クラーク]] |- |6||[[1980年]]||ジスカール・<br />デスタン||カーター||サッチャー|| ||シュミット||不在||'''[[フランチェスコ・コッシガ|コッシガ]]'''||トルドー |- |7||[[1981年]]||[[フランソワ・ミッテラン|ミッテラン]]||[[ロナルド・レーガン|レーガン]]||サッチャー|| ||シュミット||[[鈴木善幸]]||[[ジョヴァンニ・スパドリーニ|スパドリーニ]]||'''トルドー''' |- |8||[[1982年]]||'''ミッテラン'''||レーガン||サッチャー|| ||シュミット||鈴木善幸||スパドリーニ||トルドー |- |9||[[1983年]]||ミッテラン||'''レーガン'''||サッチャー|| ||[[ヘルムート・コール|コール]]||[[中曽根康弘]]||[[アミントーレ・ファンファーニ|ファンファーニ]]||トルドー |- |10||[[1984年]]||ミッテラン||レーガン||'''サッチャー'''|| ||コール||中曽根康弘||[[ベッティーノ・クラクシ|クラクシ]]||トルドー |- |11||[[1985年]]||ミッテラン||レーガン||サッチャー|| ||'''コール'''||中曽根康弘||クラクシ||[[マーティン・ブライアン・ムルルーニー|ムルルーニー]] |- |12||[[1986年]]||ミッテラン||レーガン||サッチャー|| ||コール||nowrap|'''中曽根康弘'''||クラクシ||ムルルーニー |- |13||[[1987年]]||ミッテラン||レーガン||サッチャー|| ||コール||中曽根康弘||'''ファンファーニ'''||ムルルーニー |- |14||[[1988年]]||ミッテラン||レーガン||サッチャー|| ||コール||[[竹下登]]||[[チリアーコ・デ・ミータ|デミータ]]||'''ムルルーニー''' |- |15||[[1989年]]||'''ミッテラン'''||[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ(41代)]]||サッチャー|| ||コール||[[宇野宗佑]]||デミータ||ムルルーニー |- |16||[[1990年]]||ミッテラン||'''ブッシュ(41代)'''||サッチャー|| ||コール||[[海部俊樹]]||アンドレオッティ||ムルルーニー |- |17||[[1991年]]||ミッテラン||ブッシュ(41代)||'''[[ジョン・メージャー|メージャー]]'''|| ||コール||海部俊樹||アンドレオッティ||ムルルーニー |- |18||[[1992年]]||ミッテラン||ブッシュ(41代)||メージャー|| ||'''コール'''||[[宮澤喜一]]||[[ジュリアーノ・アマート|アマート]]||ムルルーニー |- |19||[[1993年]]||ミッテラン||[[ビル・クリントン|クリントン]]||メージャー|| ||コール||'''宮澤喜一'''||[[カルロ・アツェリオ・チャンピ|チャンピ]]||[[キム・キャンベル|キャンベル]] |- |20||[[1994年]]||ミッテラン||クリントン||メージャー|| ||コール||[[村山富市]]||nowrap|'''[[シルヴィオ・ベルルスコーニ|ベルルスコーニ]]'''||[[ジャン・クレティエン|クレティエン]] |- |21||[[1995年]]||[[ジャック・シラク|シラク]]||クリントン||メージャー|| ||コール||村山富市||アマート||'''クレティエン''' |- |22||[[1996年]]||'''シラク'''||クリントン||メージャー|| ||コール||[[橋本龍太郎]]||[[ロマーノ・プローディ|プローディ]]||クレティエン |- |23||[[1997年]]||シラク||'''クリントン'''||[[トニー・ブレア|ブレア]]|| ||コール||橋本龍太郎||プローディ||クレティエン |- |24||[[1998年]]||シラク||クリントン||'''ブレア'''||[[ボリス・エリツィン|エリツィン]]||コール||橋本龍太郎||プローディ||クレティエン |- |25||[[1999年]]||シラク||クリントン||ブレア||エリツィン||nowrap|'''[[ゲルハルト・シュレーダー|シュレーダー]]'''||[[小渕恵三]]||[[マッシモ・ダレマ|ダレマ]]||クレティエン |- |26||[[2000年]]||シラク||クリントン||ブレア||[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]||シュレーダー||'''[[森喜朗]]'''||アマート||クレティエン |- |27||[[2001年]]||シラク||[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ(43代)]]||ブレア||プーチン||シュレーダー||[[小泉純一郎]]||'''ベルルスコーニ'''||クレティエン |- |28||[[2002年]]||シラク||ブッシュ(43代)||ブレア||プーチン||シュレーダー||小泉純一郎||ベルルスコーニ||'''クレティエン''' |- |29||[[2003年]]||'''シラク'''||ブッシュ(43代)||ブレア||プーチン||シュレーダー||小泉純一郎||ベルルスコーニ||クレティエン |- |30||[[2004年]]|||シラク||'''ブッシュ(43代)'''||ブレア||プーチン||シュレーダー||小泉純一郎||ベルルスコーニ||[[ポール・マーティン|マーティン]] |- |31||[[2005年]]||シラク||ブッシュ(43代)||'''ブレア'''||プーチン||シュレーダー||小泉純一郎||ベルルスコーニ||マーティン |- |32||[[2006年]]||シラク||ブッシュ(43代)||ブレア||'''プーチン'''||[[アンゲラ・メルケル|メルケル]]||小泉純一郎||プローディ||[[ステファン・ジョセフ・ハーパー|ハーパー]] |- |33||[[2007年]]||||ブッシュ(43代)||||プーチン||'''メルケル'''||[[安部晋三]]||プローディ||ハーパー |} '''太字'''は議長。 G8は以下の8名で構成される。 *[[フランスの大統領|フランス大統領]] *[[アメリカ合衆国大統領]] *[[イギリスの首相|イギリス首相]] *[[ロシアの大統領|ロシア大統領]] *[[ドイツの首相|ドイツ首相]] *[[内閣総理大臣|日本首相]] *[[イタリアの首相|イタリア首相]] *[[カナダ首相]] **第1回は、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカ6ヶ国首脳によるG6 **第2回から第23回までは、上記6ヶ国にカナダを加えたG7 **第24回からは上記7ヶ国にロシアを加えたG8になっている。 **第6回は、サミット直前に日本国内閣総理大臣[[大平正芳]]が急死。大平の後継総理は[[第36回衆議院議員総選挙]]、[[第12回参議院議員通常選挙]]の[[衆参同日選挙]]が終了するまで決定されなかったため総理ポストに空白が出来た。サミットには代わって外務大臣の[[大来佐武郎]]が出席した。 ===その他=== G8メンバー以外にも様々な政治のリーダーが、会合に参加している。 先ず国家としては *[[ブラジル連邦共和国大統領|ブラジル大統領]] *[[中華人民共和国主席]] *[[インドの歴代首相|インド首相]] *[[南アフリカの大統領|南アフリカ大統領]] *[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]] 以上の5名である。上記5ヵ国はロシアに続くサミットの新規参加国候補でもある。 次に国際機関としては *[[国際連合|国連]]の[[国際連合事務総長|国連事務総長]] *[[欧州連合]]の[[欧州委員会|欧州委員会委員長]]および[[欧州理事会|欧州理事会議長国]] の3名が参加する。この内欧州委員会委員長はEUを代表しオブザーバーとしてG8の本会合にも参加する。 これ以外に経済分野では[[国際通貨基金|国際通貨基金総裁]]が参加する。 == サミット開催地の一覧 == 以前は、サミット参加7ヶ国の間で、フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ(統一前は西ドイツ)、日本、イタリア、カナダの順で毎年持ち回り開催されてきた。ロシアが参加するようになってからは、イギリスの次にロシアが入り、8ヶ国持ち回りになった。ロシアを含め、前半4ヶ国が[[国際連合安全保障理事会]]の[[常任理事国]]であり、後半4ヶ国はそうではない。 1990年代までは大都市(特に開催国の(当時の)首都など)での開催が多かったが、1990年代末になると反[[グローバリズム]]団体の抵抗運動によるデモが頻発。特に2001年のジェノヴァでは大規模なデモに見舞われたことから、以降警備のしやすい地方都市、保養地での開催が多くなっている。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |- ! 回 || 年月日 || 国 || 開催地 || 備考 |- | 1 || [[1975年]][[11月15日]] - [[11月17日]] ||[[Image:Flag of France.svg|20px]] [[フランス|仏]] || [[ランブイエ]] || カナダ・ロシアを除く6カ国で開催 |- | 2 || [[1976年]][[6月27日]] - [[6月28日]] || [[Image:Flag of the United States.svg|20px]] [[アメリカ合衆国|米]] || [[サンフアン (プエルトリコ)]] || カナダが参加し、7カ国 |- | 3 || [[1977年]][[5月7日]] - [[5月8日]] || [[Image:Flag of the United Kingdom.svg|20px]] [[イギリス|英]] || [[ロンドン]] || |- | 4 || [[1978年]][[7月16日]] - [[7月17日]] ||nowrap| [[Image:Flag of Germany.svg|20px]] [[西ドイツ|西独]] || [[ボン]] || |- | 5 || [[1979年]][[6月28日]] - [[6月29日]] || [[Image:Flag of Japan (bordered).svg|20px]] [[日本|日]] || [[東京]] || |- | 6 || [[1980年]][[6月22日]] - [[6月23日]] || [[Image:Flag of Italy.jpg|20px]] [[イタリア|伊]] || [[ヴェネツィア]] || 日本首相は急死により不在 |- | 7 || [[1981年]][[7月20日]] - [[7月21日]] || [[Image:Flag of Canada.jpg|20px]] [[カナダ|加]] || [[オタワ]] || |- | 8 || [[1982年]][[6月4日]] - [[6月6日]] || [[Image:Flag of France.svg|20px]] [[フランス|仏]] || [[ヴェルサイユ]] || |- | 9 || [[1983年]][[5月28日]] - [[5月30日]] || [[Image:Flag of the United States.svg|20px]] [[アメリカ合衆国|米]] || [[ウィリアムズバーグ (バージニア州)|ウィリアムズバーグ]] || |- | 10 || [[1984年]][[6月7日]] - [[6月9日]] || [[Image:Flag of the United Kingdom.svg|20px]] [[イギリス|英]] || [[ロンドン]] || |- | 11 || [[1985年]][[5月2日]] - [[5月4日]] || [[Image:Flag of Germany.svg|20px]] [[西ドイツ|西独]] || [[ボン]] || |- | 12 || [[1986年]][[5月4日]] - [[5月6日]] || [[Image:Flag of Japan (bordered).svg|20px]] [[日本|日]] || [[東京都|東京]] || |- | 13 || [[1987年]][[6月8日]] - [[6月10日]] || [[Image:Flag of Italy.jpg|20px]] [[イタリア|伊]] || [[ヴェネツィア]] || |- | 14 || [[1988年]][[6月19日]] - [[6月21日]] || [[Image:Flag of Canada.jpg|20px]] [[カナダ|加]] || [[トロント]] || |- | 15 || [[1989年]][[7月14日]] - [[7月16日]] || [[Image:Flag of France.svg|20px]] [[フランス|仏]] || [[ラ・デファンス]]、[[パリ]] ||「[[グランダルシュ|アルシュ]]・サミット」と呼ばれる。[[フランス革命]]200年祭(→[[パリ祭]])に合わせて開催。 |- | 16 || [[1990年]][[7月9日]] - [[7月11日]] || [[Image:Flag of the United States.svg|20px]] [[アメリカ合衆国|米]] || [[ヒューストン]] || |- | 17 || [[1991年]][[7月15日]] - [[7月17日]] || [[Image:Flag of the United Kingdom.svg|20px]] [[イギリス|英]] || [[ロンドン]] || |- | 18 || [[1992年]][[7月6日]] - [[7月8日]] || [[Image:Flag of Germany.svg|20px]] [[ドイツ|独]] || [[ミュンヘン]] || |- | 19 || [[1993年]][[7月7日]] - [[7月9日]] || [[Image:Flag of Japan (bordered).svg|20px]] [[日本|日]] || [[東京都|東京]] || |- | 20 || [[1994年]][[7月8日]] - [[7月10日]] || [[Image:Flag of Italy.jpg|20px]] [[イタリア|伊]] || [[ナポリ]] || |- | 21 || [[1995年]][[6月15日]] - [[6月17日]] ||[[Image:Flag of Canada.jpg|20px]] [[カナダ|加]] || [[ハリファックス]]|| |- | - || [[1996年]][[4月19日]] - [[4月20日]] || [[Image:Flag of Russia (bordered).svg|20px]] [[ロシア|露]] || [[モスクワ]] || 核の安全のための特別サミット |- | 22 || [[1996年]][[6月27日]] - [[6月29日]] || [[Image:Flag of France.svg|20px]] [[フランス|仏]] || [[リヨン]] || |- | 23 || [[1997年]][[6月20日]] - [[6月22日]] || [[Image:Flag of the United States.svg|20px]] [[アメリカ合衆国|米]] || [[デンバー]] || |- | 24 || [[1998年]][[5月15日]] - [[5月17日]] || [[Image:Flag of the United Kingdom.svg|20px]] [[イギリス|英]] || [[バーミンガム]] || 初めてのG8公式サミット |- | 25 || [[1999年]][[6月18日]] - [[6月20日]] || [[Image:Flag of Germany.svg|20px]] [[ドイツ|独]] || [[ケルン]] || |- | [[第26回主要国首脳会議|26]] || [[2000年]][[7月21日]] - [[7月23日]] || [[Image:Flag of Japan (bordered).svg|20px]] [[日本|日]] || [[沖縄県]]、[[福岡県]]、[[宮崎県]] ||「[[九州・沖縄サミット]]」と呼ばれる |- | 27 || [[2001年]][[7月20日]] - [[7月22日]] || [[Image:Flag of Italy.jpg|20px]] [[イタリア|伊]] || [[ジェノヴァ]] || |- | 28 || [[2002年]][[6月26日]] - [[6月27日]] || [[Image:Flag of Canada.jpg|20px]] [[カナダ|加]] || [[カナナスキス (アルバーター州)|カナナスキス]] || http://www.g8.gc.ca/ |- | 29 || [[2003年]][[6月2日]] - [[6月3日]] || [[Image:Flag of France.svg|20px]] [[フランス|仏]] || [[エヴィアン=レ=バン|エビアン]] || http://www.g8.fr/ |- | 30 || [[2004年]][[6月8日]] - [[6月10日]] || [[Image:Flag of the United States.svg|20px]] [[アメリカ合衆国|米]] || [[シーアイランド]] || http://g8usa.gov/ [broken] |- | [[第31回主要国首脳会議|31]] || [[2005年]][[7月6日]] - [[7月8日]] || [[Image:Flag of the United Kingdom.svg|20px]] [[イギリス|英]] ||nowrap| [[グレンイーグルズ]] || http://www.g8.gov.uk/ |- | [[第32回G8サミット|32]] || [[2006年]][[7月15日]] - [[7月17日]] || [[Image:Flag of Russia (bordered).svg|20px]] [[ロシア|露]] || [[サンクトペテルブルク]] || ロシアで初のサミット |} == 次のG8サミット開催地 == {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |- ! 回 !! 年月日 !! 国 !! 開催地 !! 備考 |- | 33 || [[2007年]] || [[Image:Flag of Germany.svg|20px]] [[ドイツ|独]] || [[ハイリゲンダム]] || |- | 34|| [[第34回G8サミット|2008年]] || [[Image:Flag of Japan (bordered).svg|20px]] [[日本|日]] || [[北海道]][[洞爺湖町]] || |- | 35 || [[2009年]] || [[Image:Flag of Italy.jpg|20px]] [[イタリア|伊]] || || |- | 36 || [[2010年]] || [[Image:Flag of Canada.jpg|20px]] [[カナダ|加]] || || |- | 37 || [[2011年]] || [[Image:Flag of France.svg|20px]] [[フランス|仏]] || || |- | 38 || [[2012年]] || [[Image:Flag of the United States.svg|20px]] [[アメリカ合衆国|米]] || || |} == 首脳の写真撮影の立ち位置 == サミットにおいて恒例となった写真撮影では首脳の立ち位置は毎回変化しているが、実はこの立ち位置にはきちんとルールがある。中央に開催国(議長国)を配し、左右に在任期間の長い順に並ぶ。(日本は首相の交代が多いため端に位置することが多いが、比較的在任期間の長かった小泉純一郎首相は中央付近に並ぶこともあった。 == 研究者 == *[[高瀬淳一]](たかせ・じゅんいち) ==転語== 主要国首脳会議がサミットと呼ばれていることから、トップ同士の集まりのことを「サミット」と形容することがある。(例、[[市町村サミット]]) == 関連書籍 == *『サミット』(芦書房 2000年 [[高瀬淳一]]著) == 関連項目 == * [[国際関係]] * [[G7]] * [[BRICs]] * [[ヴァレリー・ジスカール=デスタン]] {{jawp}} [[Category:サミット|*]]