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		<title>有栖川宮威仁親王 - 変更履歴</title>
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		<title>Fromm: ページの作成：「有栖川宮威仁親王 '''有栖川宮 威仁親王'''（ありすがわのみや たけひとしんのう、[[文久...」</title>
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				<updated>2013-06-03T11:28:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成：「&lt;a href=&quot;/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%9C%89%E6%A0%96%E5%B7%9D%E5%AE%AE%E5%A8%81%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B1.jpg&quot; title=&quot;ファイル:有栖川宮威仁親王1.jpg&quot;&gt;有栖川宮威仁親王&lt;/a&gt; &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;有栖川宮 威仁親王&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（ありすがわのみや たけひとしんのう、[[文久...」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;[[Image:有栖川宮威仁親王1.jpg|350px|thumb|有栖川宮威仁親王]]&lt;br /&gt;
'''有栖川宮 威仁親王'''（ありすがわのみや たけひとしんのう、[[文久]]2年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]]（[[1862年]][[2月11日]]） - [[大正]]2年（[[1913年]]）[[7月5日]]）は、[[日本]]の[[皇族]]、[[軍人]]。官職は[[軍事参議官]]。[[称号]]・[[軍隊における階級呼称一覧|階級]]は[[元帥 (日本)|元帥]][[海軍大将]]。[[勲等]]は[[大勲位菊花章頸飾|大勲位]]。功級は[[金鵄勲章|功三級]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[有栖川宮幟仁親王]]の第四王子（男女合わせた王子女の中では八人目、但し成人した男子は熾仁親王と威仁親王だけ）で、生母は家女房の森則子。[[有栖川宮熾仁親王|熾仁親王]]は異母兄。 幼称は'''稠宮'''（さわのみや）。 妃は[[加賀国|加賀]][[加賀藩|金沢藩]]主[[前田慶寧]]の娘・[[威仁親王妃慰子|慰子]]（やすこ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 幼年期 ===&lt;br /&gt;
文久2年1月13日（1862年2月11日）、京都において誕生、稠宮と命名された。父・幟仁親王にはすでに熾仁親王という嫡子がいたため、稠宮は然るべき年齢に達した後に[[妙法院]]門主を相続することが内定した。しかし、[[明治維新]]による諸制度の変革で宮門跡の制度が廃されたことから、[[明治]]4年（[[1871年]]）に稠宮の妙法院相続の内定は取り消され、[[明治天皇]]によって幟仁親王が[[東京]]への転居を命じられたのに従い、稠宮も上京した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治7年（[[1874年]]）[[7月8日]]、参内した稠宮は明治天皇から海軍軍人を志すよう命じられ、同月13日、[[海軍兵学寮]]予科に入学した。明治9年（[[1876年]]）、前田慰子と婚約。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治10年（[[1877年]]）、鹿児島県逆徒征討総督として九州赴任中の熾仁親王からの呼び出しにより、稠宮は船で鹿児島に赴き、熾仁親王と共に[[西南戦争]]の戦地跡を視察した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 青年期 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Prince_takehito_in_england.jpg|200px|thumb|英国留学時代]]&lt;br /&gt;
[[Image:Arisugawa Takahito.jpg|200px|thumb|海軍大将時代]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治11年（[[1878年]]）4月、40歳を過ぎて妃との間に継嗣のできない熾仁親王は、稠宮を事実上の養子として有栖川宮の後継者にしたい旨を明治天皇に願い出る。当時はまだ[[旧皇室典範]]制定前で、皇族の継承権問題が天皇の裁量で決められたため、[[5月18日]]に勅許が出された。これにより同年[[8月26日]]、稠宮は明治天皇の猶子となり、[[親王宣下]]を受けて威仁の名を賜った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治12年（[[1879年]]）、威仁親王は[[太政官]]より、[[イギリス海軍]]シナ海艦隊旗艦・「アイアン・デューク（Iron Duke）」への乗組みを命ぜられ、約1年間にわたり艦上作業に従事した。帰国後の明治13年（[[1880年]]）、[[少尉]]に任ぜられたのを皮切りに12月1日に英国留学を命じられ、[[帝国海軍]]士官としての歩みを始める。10日後の12月11日、前田慰子と結婚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新婚間もない明治14年（[[1881年]]）1月、威仁親王は慰子を残してイギリスのグリニッジ海軍大学校に留学、3年半後の明治16年（[[1883年]]）6月に漸く帰国した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 壮年期 ===&lt;br /&gt;
海軍[[大佐]]として[[巡洋艦]]「[[高雄 (巡洋艦)|高雄]]」艦長在任中の明治24年（[[1891年]]）、威仁親王は[[ロシア帝国]]のニコライ皇太子（後の[[ニコライ2世]]）来日の際、外国留学の経験を買われ明治天皇の名代として接待役を命じられた。このニコライ皇太子訪日の日程中、[[滋賀県]][[大津市]]において[[大津事件]]が発生。外国の王皇族に日本の官憲が危害を加えるという日本外交史始まって以来の大事件となったが、威仁親王の要請により明治天皇自らがニコライを見舞うなど、日本側が誠実な対応をしたことによりロシアとの関係悪化は回避された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日清戦争]]中は海軍大佐であったが、開戦時は横須賀海兵団長、その後は[[大本営]]附と、いずれも陸上勤務の日々を過ごした。[[黄海海戦 (日清戦争)|黄海海戦]]終了後の明治27年（[[1894年]]）12月8日、ようやく[[連合艦隊]]旗艦「[[松島 (防護巡洋艦)|松島]]」艦長として艦隊勤務についたが、翌明治28年（[[1895年]]）1月、熾仁親王の薨去とその葬儀のために一時帰国を余儀なくされた。その直後に起きた[[威海衛の戦い]]は、威仁親王が艦へ戻った時には既に終結しており、結局親王は実戦を経験することができなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熾仁親王の薨去により、威仁親王は有栖川宮の第10代の当主となった。熾仁親王同様明治天皇の信任が篤く、明治32年（[[1899年]]）から同36年（[[1903年]]）まで、皇太子・嘉仁親王（後の[[大正天皇]]）の教育係である東宮輔導に任命されている。一方で、これ以降海軍においては籍こそ現役として置いているものの、実際の軍務にはほとんど従事していない。[[日露戦争]]開戦時も海軍中将であったが、一時的に大本営附となったほかは戦争に全く関与しておらず、[[日本海海戦]]が行われた頃には、[[ドイツ帝国]]皇太子結婚式出席のためヨーロッパに滞在していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 晩年 ===&lt;br /&gt;
威仁親王は生来体が弱く、軍務も度々休職して静養するなどしていたが、栽仁王の薨去後は[[肺結核]]を患い、明治42年（[[1909年]]）から薨去に至るまで、現在の[[兵庫県]][[神戸市]][[垂水区]]にあった有栖川宮舞子別邸で家族を東京に残して静養を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[大正]]2年（[[1913年]]）[[7月5日]]、威仁親王は舞子別邸において52歳で薨去した。だが諸般の事情により喪は秘され、[[7月10日]]に遺体は「御重体」のまま汽車に乗せられ、東京の[[麹町区]]三年町1番地（現在の[[内閣府]]庁舎の付近）にあった宮邸に搬送された。この日初めて喪が発表され、薨去の日付も7月10日とされた。超えて17日に[[斂葬の儀]]が行われ、[[豊島岡墓地]]に埋葬された。これにより、男系の後継者がいない有栖川宮は[[皇室典範]]の定めによって断絶が確定したが、威仁親王の教育を受け、身分を越えて親王を慕っていた大正天皇は有栖川宮の維新以降の功績を特に慮り、第三皇子の[[宣仁親王]]にその祭祀を継承させた。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
薨去の直後の[[7月7日]]に[[元帥 (日本)|元帥府]]に列せられ、[[大勲位菊花章頸飾]]が授与されているが、公式発表では生前に授けられたものとされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==家族==&lt;br /&gt;
威仁親王は慰子妃との間に績子（いさこ）女王、[[栽仁王|栽仁（たねひと）王]]、[[徳川實枝子|實枝子（みえこ）女王]]の3人の王子女を儲けた。績子女王は生後間もなく薨去。 栽仁王は[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]在学中の[[1908年]]（明治41年）、[[虫垂炎]]によって20歳の若さで独身のまま薨去した。實枝子女王は[[公爵]]・[[徳川慶久]]に降嫁し、[[高松宮宣仁親王]]妃となった[[宣仁親王妃喜久子|喜久子]]らを産んだが40代半ばで結腸癌で他界した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 威仁親王ゆかりの場所 ==&lt;br /&gt;
*[[天鏡閣]]　（[[福島県]][[猪苗代町]]に現存する元別邸、庭に[[銅像]]が建てられている）&lt;br /&gt;
*[[有栖川宮記念公園]]　（[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]にある御用地跡。兄熾仁親王の銅像がある）&lt;br /&gt;
*[[神奈川県立近代美術館]]葉山館　（[[神奈川県]][[三浦郡]][[葉山町]]にある別邸跡。威仁親王の薨去後、高松宮別邸などを経て神奈川県が用地を取得した）&lt;br /&gt;
*[[舞子ビラ|シーサイドホテル舞子ビラ神戸]]　（威仁親王最期の地、[[兵庫県]][[神戸市]][[垂水区]]の別邸跡に建つホテル）&lt;br /&gt;
*[[谷保天満宮]]（やぼてんまんぐう）　（1908年（明治41年）8月1日、威仁親王の先導による「遠乗会」と称されたわが国初のドライブツアーが[[東京都]][[国立市]]にある谷保天満宮を目的地として開催された。梅林に「有栖川宮威仁親王殿下台臨記念」の石碑あり）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連団体 ==&lt;br /&gt;
* [[日本水難救済会|大日本帝国水難救済会]]  初代総裁&lt;br /&gt;
* 日本海員掖済会 初代総裁&lt;br /&gt;
* [[日本海事協会|帝国海事協会]]  初代総裁&lt;br /&gt;
* [[水交社]]  総裁&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
『威仁親王行実』上巻・下巻・別巻、高松宮家、1926年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== リンク ==&lt;br /&gt;
[http://miyake.yaekumo.com/Arisugawa.html 有栖川宮威仁親王の写真]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{有栖川宮}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ありすかわのみや たけひとしんのう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日清戦争の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:大日本帝国海軍将官]]&lt;br /&gt;
[[Category:水交社の人物|*ありすかわのみや たけひとしんのう]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の海事団体幹部]]&lt;br /&gt;
[[Category:大日本水産会の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:貴族院皇族議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:勲一等旭日大綬章受章者]]&lt;br /&gt;
[[Category:結核で死亡した日本の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1862年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1913年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Fromm</name></author>	</entry>

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